北国に住むようになり、夏との関係が変わった。夏は、来るときは私を散々焦らし、去るときは置き手紙すら残さない。8月後半の晴れた日でも、ぱっと窓を開けると、「あ……. もういない」と直感的に感じる。
夏は虚しさを教えてくれる。今の私からは想像もつかないけど、子どもの頃は野球ファンで、プロも好きだったけど、夏の甲子園を観戦するのが好きだった。トーナメント戦の「負けたら終わり」に儚さや悔しさを教えてもらった。特に、第四試合とか遅めの試合が好きだった。試合の後に、バァーっと二階に駆け上がり、屋根に登って、夕焼けを見ながらこっぱずかしい詩を作って、ひとり泣いていた。「第四試合後の夕焼け、見たことある?」と、踏み絵的によく人に訊いていた(わかってくれる人とは親友になっていた)。
ある日、その詩が姉に見つかって「曲つけたるわ」と言われ、地獄の思いをしたのを覚えている。姉に作曲の才能があったわけではなく、でたらめに大声で歌われただけ。
誰かに「虫除けにタンスの引き出しには新聞をひくとよい」と聞き、新聞をひいておいた。実家に帰ったとき、引き出しを開けたら、新聞がスポーツ欄で、巨人の定岡が20勝を上げていた。あらためて読みふけってしまい、断捨離に新聞は禁物、ということを学んだ。