Tár

ブログチャレンジが5日目でストップしたけど、Day 7 まで続ける。

姉御にミロミロ攻撃に遭ったので、見た。な、長い! 私は女性の多い世界で過ごすことが多いので、こういう展開にあまり驚かなかった。結末以外は。

女ばかりの世界にいれば、当然リーダーも女になる。女がリーダーになったからといって、女性が抱える問題は消えない。支配欲のある女は、支配を強めるために、他の女の権利を奪うような、他の女を敢えて苦しめるようなことをする。女ばっかりの世界に浸かったことがある人は、「ちょっと男の人が混じってるほうが、平穏になるのになぁ」と思ったことも多いはず。私はそう思っていた。アグレッシブ烈子のハイ田が、バイト先のコンビニで他の女性店員の癒しになっていたのを思い出してほしい。あれだ。

主人公がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者っていう設定が、支配を描くのにぴったり。

She Said

今週もまたブログチャレンジやってる。今日で3日目。

『She Said』は、ハーヴィー・ワインスタインが引き起こした数々のセクハラ事件を暴いたニューヨーク・タイムズの2人の女性記者の話。

超大物のセクハラを全力で(金に物を言わせて)隠蔽できる社会構造と、暴く側の社会構造(社会進出してる女性が多くて、家事・子育てを分担してる男性もそこそこいる社会)の対比が印象的だった。

この映画では、主人公の2人の女性ジャーナリストにしっかりと仕事をしてもらわなければ、2時間の間に話が進まない。なので、彼女たちの男性パートナーたちが超模範的に描かれている。真夜中に電話がかかってきても、「おい、今何時だと思ってるんだよ」などと言わないし、子どもが夜泣きすれば、「僕が様子見てくる」と言ってくれる。あの夫たちがぐずぐず言い出すと話が進まなくなるので、寝ているか、赤ちゃんを抱いてくれているか、パソコンを開いて、じっとして模範的な夫を演じている。

金と権力に物を言わせて性暴力を隠蔽できる社会構造については、ジェフリー・エプスタインの事件でも、見せつけられた(トランプもそう。下で働いていた人が服役している)。そういえば、エプスタイン事件も権力に屈せず事件を追ったのは、マイアミ・ヘラルドの女性記者だった。

『She Said』を思い返してみると、ワインスタインを追っていたのはニューヨーク・タイムズだけではなかった。「ライバル誌も追いかけている」というプレッシャーが、ニューヨーク・タイムズを焦らせ、前へ前へと動かしていた。エプスタイン事件も同じで、マイアミ・ヘラルドだけではなかった。ジャーナリストの間で競争があった。

ニューヨーク・タイムズの記者たちは、ワインスタインの性暴力の犠牲者たちをカミングアウトさせ、これをきっかけに#Metoo運動が起きたわけだけど、それだけではなくて、大きな権力と対峙するジャーナリストやメディア企業が<複数存在する>ってところもすごいなと。

「同性のジャーナリスト2人」という設定で思い出したけど、ウォーターゲート事件を暴いたのは「男性ジャーナリスト2人」だった。あれは1970年代のワシントン・ポストの話で、同じように映画になっているけど、男性ジャーナリストたちの私生活には踏み入っていなかった。事務所はたばこの煙がもくもくしていて、オフィスは開放感のある設計にもなっていなかったし、女性はほとんどタイピストだった。

ゆきゆきて、神軍

今年の終戦記念日には『ゆきゆきて、神軍』を観ました。この映画の英語タイトルで検索すると、インターネット・アーカイブで無料で観ることができますし、アメリカやカナダにお住いの人なら、The Criterionでも。英語は、『The Emperor’s Naked Army Marches On』です。

最後まで観たけど、精神的にきつかったです。『野火』みたいに映像がグロいわけではまったくありません。本当に人肉を食べて生還した(であろう)人たちに真実を述べよ、と奥崎謙三が迫っているからです。

奥崎謙三のことも、彼が執拗に訪ねる元日本兵たちのことも非難する気持ちにはなれません。何も言えない。どこに向けて言えばいいのかわからないけど、為政者の都合でこんな思いを味わされるのはごめんです。

帰還兵の証言を集めた本なども重要ですよね。

The Dropout

なぜか私は番組名を『The Droplet』だと勘違いしていました。正しくは『The Dropout』。そう言い間違えてしまうのは、注射器を使わず、血を一滴採血すれば、いろんな検査ができるテクノロジーを開発したと豪語していたエリザベス・ホームズの話だから。

このドラマも、『令嬢アンナの真実』も、アメリカの超富裕層に食い込む「突破口」を見つけた瞬間に、自分に流れ込むお金の金額がとんでもないレベルに跳ね上がり、それに比例して嘘のスケールも大きくなります。つまり、お金が有り余っている超富裕層へ「つなぐ人」を見つけだすしぶとさと、はったりをかませる能力が重要ということなのでしょうか。

『令嬢アンナの真実』のアンナにも、『The Dropout』のエリザベスにも虚言癖があり、人生の最終目標が「リッチになる/有名になる」ことでした。もしかするとエリザベスのほうは、最初のうちは世の中を変えるテクノロジーを開発する野心があったのかもしれませんが。最終的には、周囲にいる人々が目を覚まして彼女たちから離れ、彼女たちは失墜しています。大金には無縁のジャーナリストが必死に食いつくところも、この2つのドラマの共通点です。

『令嬢アンナの真実』のアンナには愛すべき「キメ台詞」がたくさんありましたが、『The Droplet』のエリザベスには、「キメ顔」がてんこ盛りでした。目を大きく広げて、絶対に瞬きしない! 実際のエリザベスは目がぎょろっとしてて、声をわざと低くくして話していました。アマンダ・サイフリッドがその不気味さを100倍くらい増幅させていて、そこが見どころかな。あと、守秘義務契約をみんなよく守っているので、いかにもアメリカって感じがします。ドラマだけでなくて、現実でもアメリカ人は守秘義務を(訴えられることがリアルなので)よく守る気がします。ジェフリー・エプスタインを悪を暴くときも、この守秘義務契約がかなり難関だったそうです。

ちなみに、このドラマはポッドキャストをもとにして作られています。

あと、この動画を見れば、実在の人物たちの顔が確認できます。

梨泰院クラス

『梨泰院クラス』を全話見ました。1話が1時間以上、合計16話もあったので、最終回では、面白かったことよりも、持久走のフィニッシュラインにやっとたどり着いた!という達成感で涙しました。

実は、コロナ禍の巣ごもり生活の前半に、このドラマを観ようとしたのだけど、このパク・ソジュンのへんちくりんなイガグリ頭が気持ち悪くて1話で断念。再挑戦してみたところ、今回はすごくストーリーに入り込めて、パク・ソジュン演じるパク・セロイが好きになってしまうほどでした。でも、私がすごく気になった登場人物は、長家の跡継ぎ候補だったドラ息子です。身近に似たような人がいるので、「あるあるだな……」と表情をこわばらせておりました。

しかしパク・セロイのレストラン事業の成功云々より、あいつの愛の行方が!! 鈍感な男ってドラマになるんですね。マッチョな鈍感男が、前科者になり、恨みを晴らそうとしているうちに、いろいろと起きるのが古臭い感じがしたものの、女性陣がいい感じで「自立した女」にアップデートされているのがよかったです。

『梨泰院クラス』の善玉組が相当なデコボコチームで、ある意味王道でした。で、そのチームの中に、韓国人(父)とギニア人(母)を両親に持つ黒人の青年(トニー)がいるのですが、このドラマを観ていた時期が時期だけに、「ひょっとしてトニーの両親は、今話題の宗教で合同結婚をしたのでは??」と深読みしました。

『梨泰院クラス』って「親の不在/親の愛の欠如」が重要よね。様々な形で親の愛情が感じられなくなっていることが、最初から最後まで低音で奏でられているようなドラマでした。

余談:全部見終わってから、あのサウンドトラックを毎日聞かないことには、「何かが足りない!」と思うほどになり、グーグル・ホームに英語で「Play the soundtrack of I-tae-won Class」と話しかけたら、E.T.のサウンドトラックが流れてきました。