The Crown、再び

先週、メーガン妃とハリー王子のインタビューがあった。見る気満々だったのに逃した。

1週間後、アメリカのメディアでよくインタビューをする人々がクラブハウスで集まり(ケイティ・クーリックもいた)、オプラのインタビュアー能力をどう評価するか、話し合っているのを聴いた。概ね高評価だった。特に、オプラはあのカップルを個人的によく知っていて聞きにくいことも結構あったのに忖度しなかった点や、現代のアメリカ人視聴者が気になるところ(人種問題とメンタルヘルス)をよく引き出していた点が評価されていた。ダメ出しもされていたが、それは「イギリス王室や歴史」に対する知識が足りない、というもの。私はインタビューを見てないから、なんとも言えないけれど、結構突っ込んだインタビューのテクニックにまで話はおよび、ほう…と関心を持って聞いていた。

ここのところ、メーガン妃とハリー王子の王室離脱、フィリップ殿下の入院などが重なり、私の周辺ではイギリス王室が熱い。そこで『ザ・クラウン』をもう一度、最初から全部見た。『ザ・クラウン』のシーズン1の肝は、25歳の若きエリザベス女王とともに、そもそも「君主とは何なのか」を視聴者が知ることにある、と私は思う。現代人の目には君主といえども「等身大」にしか見えないもんね。

私がいちばん好きなのは、時代と君主制がそぐわなくなり、エリザベス女王と平民出身のサッチャー首相の確執という形で膿が一気に噴き出すシーズン4(前回見たときは、ひたすらダイアナとチャールズの行方ばかりに注目していたけれど)。サッチャーが貴族的保守派をバッサリと切り、帝国的なイギリス連邦を軽視するのも見どころだった。今はイギリス連邦のつながりを新たな経済ブロックとして捉える人もいるので、時代はどんどんと変わっていく……

シーズン4では、エリザベス女王やチャールズ皇太子以外の「王族」の処し方にもかなりつっこんでいる。見直してみると、いろんな細かいところに気が付いてしまい、「よくできたドラマだわ~」と感心。この部分が、メーガン妃とハリー王子の王室離脱につながっている。

メーガン妃とハリー王子のインタビューが放映されることになっていた日の午後、カナダではラジオ番組で「カナダ総督って必要ですか?」とリスナーからの意見を募っていた。伝統を重んじる派と、イギリスの持つ帝国的なイメージを嫌悪する派で意見は真っ二つに分かれていた。カナダで市民権を取得する場合、忠誠を誓う相手は「カナダ」ではなく「エリザベス女王」なので、移民・難民としてカナダに流れ着いた人の中には、「え? 多様性の国カナダに忠誠を誓うんではないの?」と戸惑いを感じる人もいるらしい。伝統派や現実派は、首相などとは違い、選挙で選ばれないカナダ総督の存在は重要と考える。

ドライブしながら、リスナーたちの意見を聞いていて、「みんな普段からそんなにカナダ総督のこと真剣に考えてるの?」と驚いた。時々現実派のリスナーが出てきて、「別に今はそのままでいいんじゃない? 今のクィーンが崩御したときにまた考えればいいんじゃない?」と言っていた。なるほど、決定打を待つか。そのとき、チャールズ皇太子はどう感じるのだろう? と私は心配してしまう。

個人的に私は、、、イギリス王室で慶事があるたびにカナダでも発行される記念切手をせっせと買っては、手紙好きの友人たちに送っていたので、そういうことができなくなる日が来るかもしれないのは残念。

The Dig

サットン・フー遺跡調査がこんなドラマになるとは!! わたしにとってはうれしい驚き(『忘れられた巨人』を読んだときや、ロンドンにいたときに知っただけで、古墳好きというわけじゃない)。

失われ、埋もれてしまった伝統を探し当て、発掘作業をしつつ新しい何が生まれる。伝統が重くのしかかり、権力が本気になったときの個人の無力感と、それでも勇気を出せば自分で自分の運命を決められることもあるっていう「破壊と再生」のストーリーが好き。

気になったのは、土を掘り返すという汚れ作業をしているのに、「作業服」の類を着ていないこと。動きづらいんではないか?と思ってしまったが、ジャージなんてない時代だからしょうがないのか。

サットン・フー遺跡については、こちらを読んでね。

Cobra Kai (Season 3)

新年早々からコブラ会見てました。シーズンフィナーレには必ず「ボコボコの乱闘シーン」が来るのですね。

今シーズンは中年の大人たちの「自己実現の欲求」に付き合わされて、そこが面倒くさく感じた分、高校生たちの悩みがより一層ピュアで、真剣そのもののように思えました。彼らの悩みというのは自分で選んだわけではない、むしろ親から与えられた試練のようなものなので…… でも、高校生に正しいSNSの使い方をいい年した大人が教わっている場面など、ほのぼのとするところもあったりします。

私にとって『コブラ会』の面白いところは、若い時は貧しくて純粋だったダニエルが成功者となったがために、財力をふりまわしていることに本人がまったく気づいていない点です。今回も、リッチなミヤギ道場が、またまた金に物を言わせてコブラ会つぶしにかかっていました。一応、ミヤギ道場は「善」を重んじる道場なので、何をしても許されるような感じで描かれているし、そういうことに関しては「悪」のほうがまともなのですね。だから「悪」のほうはミヤギ道場を「ボコボコにしたくなる」のでしょう。

オリジナル映画に出ていた俳優たちの同窓会のノリも、それはそれで楽しかったです。エリザベス・シューは『リービング・ラスベガス』の頃を思い出して、「へぇ……」と思ってしまったんですけどね。

The Queen’s Gambit

ものすごく暗い話でしたが、話を語る順番って大事だなって思いました。主人公がやさぐれたときのメイクがすごかったです。あと、人生に「鉄板」があるってすごく大事だとも思いましたね。ま、主人公にとってそれがチェスなわけですが。

巣ごもり生活が続いているし、このドラマに触発されてチェスやってる人、多いんでしょうね。以前働いていた会社にはチェスクラブがあって、夕方になると、会社の人とその子どもたちが会議室に集まってやってました。

我が家はチェスではなく、囲碁だったので、祖父は近所の人と対戦するため自転車に乗って互いを訪ね合っていました。祖父が好んで対戦する人は「船乗りさん」だったことを亡くなってから知りました。私も小学生の頃、囲碁を習おうと思いましたが、碁会所のたばこの煙がすごくてあきらめました。祖父は私の大学生時代の下宿先の大家さん相手に囲碁を打ったこともあり、「あなたのおじいさんとまた一局お願いしたいわぁ」とよく声を掛けられました(あれは、自分で声を掛けられないから、私に頼んでいたのではないかと今頃になって思う……)。そういえば、サンフランシスコに住んでいた時、外でテーブル広げてチェスやってる人いっぱいいたな。

全然関係ないですけど、今頃やっと『ひよっこ』全部見終わりました。世の中いろんなコンテンツがあふれていますが、ああいうドラマってNHKの朝ドラしかないんじゃないか、とネットフリックスで海外ドラマばっかり見ている私は思いました。

Year of the Dragon

「なんて美しい顔……」と私がため息をついたはじめての人はジョン・ローンです。作品数も少ないし、いつの間にか映画界から消えていったので、年老いた彼の姿を見ることもなく、あの美しさは神格化されています。「謎に包まれた芸能人」でしたよね。

久しぶりに『Year of the Dragon』を見ました。1980年代のニューヨークの中華街が舞台になっているので、今見ると何かとひっかかりを感じるかもしれないと思いましたが、そうでもありませんでした。今だったらアウトになるアジア人に向けた差別用語がじゃんじゃん出てきますが。

今さら驚いたこと/印象深かったこと

1)痩せたミッキー・ルークと、彼が体現しているベトナム帰りの男(何かと見失っている)

2)アメリカ側はミッキー・ルークのような個人であるのに対し、チャイナタウンは「家族(のようなつながり)、1000年の歴史、勤労、集団」で対抗

3)ミッキー・ルークが「何かにつけ“1000年の歴史”っていうお前らはウザい!」と暴言を吐くところ。

4)アメリカにおいて、チャイナタウン(異質な文化のはびこる場所)は結局、触らないほうがよいと帰結するところ。

5)最後の決闘シーン。ジョン・ローンが自らの手で死ぬところ(恥の文化)。その場にいたミッキー・ルークが気持ちを汲んで、銃を貸してやるところ。多分、現代の映画だと、せっかく銃を貸してやったミッキー・ルークがやられて、二人とも死ぬと思う。

6)旧態依然としたチャイナタウンの伝統を変えようとしていたはずのジョン・ローンが死んでも、チャイナタウンはまた翌日から活気にあふれ、何事もなかったかのように日常が始まること。

7)準主人公級の中国系アメリカ人、トレイシー役は、日系アメリカ人が演じていること。彼女のファッション、髪型、メーク、住んでいるアパートと、すべてがいかにも1980年代なこと。

8)トレイシーのアパートはブルックリン(?)にあるらしく、ワールドトレードセンターのツインタワーが見えていること。

9)エンディングに流れる中国の演歌