The Queen is Dead

エリザベス女王が崩御されて、一つの時代が終わった感じがする。「あのとき、どこで何してた?」とあとで友人同士で話題になるかもしれないから、ここに書いておこう。

ちなみに、私の周囲で「あのとき、どこで何してた?」と確認し合うことが多いのは、昭和天皇崩御の日と9.11。あと、オバマが大統領に就任した日かな。

エリザベス女王危篤のニュースが流れたときからずっと家にいて、崩御の知らせが届いたときは『クリスマスの伝言』の英語版を仕上げている最中だった。まず思ったのは、『The Crown』を女王が生きている間に観ておいてよかったな、ってことと、プラチナ・ジュビリーあたりから、いつこの知らせが来るかわからない状態だったなと……

何人かの友だちとメッセージを送り合うも、驚きはなく。今日は時間に余裕があるから、メーガンのポッドキャストを聞いてみようと思っていだけど、聞く気が失せた。カナダのテレビでは、「女王はカナダをとても大切に思っていた」系のコメントが飛び交い続けている。

そのあと、図書館に頼んであった本を取りに、ピクミン散歩がてら外出。

偶然だけど、1週間後にロンドンに行く。バッキンガム宮殿に行って、私もお花を供えてこようかな。国葬と時期が重なるかも?

↓わかる人にはわかる場所

The Crown、再び

先週、メーガン妃とハリー王子のインタビューがあった。見る気満々だったのに逃した。

1週間後、アメリカのメディアでよくインタビューをする人々がクラブハウスで集まり(ケイティ・クーリックもいた)、オプラのインタビュアー能力をどう評価するか、話し合っているのを聴いた。概ね高評価だった。特に、オプラはあのカップルを個人的によく知っていて聞きにくいことも結構あったのに忖度しなかった点や、現代のアメリカ人視聴者が気になるところ(人種問題とメンタルヘルス)をよく引き出していた点が評価されていた。ダメ出しもされていたが、それは「イギリス王室や歴史」に対する知識が足りない、というもの。私はインタビューを見てないから、なんとも言えないけれど、結構突っ込んだインタビューのテクニックにまで話はおよび、ほう…と関心を持って聞いていた。

ここのところ、メーガン妃とハリー王子の王室離脱、フィリップ殿下の入院などが重なり、私の周辺ではイギリス王室が熱い。そこで『ザ・クラウン』をもう一度、最初から全部見た。『ザ・クラウン』のシーズン1の肝は、25歳の若きエリザベス女王とともに、そもそも「君主とは何なのか」を視聴者が知ることにある、と私は思う。現代人の目には君主といえども「等身大」にしか見えないもんね。

私がいちばん好きなのは、時代と君主制がそぐわなくなり、エリザベス女王と平民出身のサッチャー首相の確執という形で膿が一気に噴き出すシーズン4(前回見たときは、ひたすらダイアナとチャールズの行方ばかりに注目していたけれど)。サッチャーが貴族的保守派をバッサリと切り、帝国的なイギリス連邦を軽視するのも見どころだった。今はイギリス連邦のつながりを新たな経済ブロックとして捉える人もいるので、時代はどんどんと変わっていく……

シーズン4では、エリザベス女王やチャールズ皇太子以外の「王族」の処し方にもかなりつっこんでいる。見直してみると、いろんな細かいところに気が付いてしまい、「よくできたドラマだわ~」と感心。この部分が、メーガン妃とハリー王子の王室離脱につながっている。

メーガン妃とハリー王子のインタビューが放映されることになっていた日の午後、カナダではラジオ番組で「カナダ総督って必要ですか?」とリスナーからの意見を募っていた。伝統を重んじる派と、イギリスの持つ帝国的なイメージを嫌悪する派で意見は真っ二つに分かれていた。カナダで市民権を取得する場合、忠誠を誓う相手は「カナダ」ではなく「エリザベス女王」なので、移民・難民としてカナダに流れ着いた人の中には、「え? 多様性の国カナダに忠誠を誓うんではないの?」と戸惑いを感じる人もいるらしい。伝統派や現実派は、首相などとは違い、選挙で選ばれないカナダ総督の存在は重要と考える。

ドライブしながら、リスナーたちの意見を聞いていて、「みんな普段からそんなにカナダ総督のこと真剣に考えてるの?」と驚いた。時々現実派のリスナーが出てきて、「別に今はそのままでいいんじゃない? 今のクィーンが崩御したときにまた考えればいいんじゃない?」と言っていた。なるほど、決定打を待つか。そのとき、チャールズ皇太子はどう感じるのだろう? と私は心配してしまう。

個人的に私は、、、イギリス王室で慶事があるたびにカナダでも発行される記念切手をせっせと買っては、手紙好きの友人たちに送っていたので、そういうことができなくなる日が来るかもしれないのは残念。