白鯨 モービィ・ディック(4)

 

『白鯨 モービィ・ディック』をとうとう読み終えました。時間のあるときにちびちびと読み、内容を忘れないようツイートしながら読んだので、間が空いても内容をよく覚えていました。

遂にピークオッド号がジャパン沖に達し、赤道付近へと南下していき、モーヴィ・ディックと対決します。対決の3日間は克明に描かれています。ここに至るまでに、私は散々捕鯨の道具や船の作りや漕ぎ手たちの役割について読まされてきたのですから、白鯨との死闘の場面は感動というかすさまじい勢いでページをめくりました。狂ったエイハブ船長がさらに狂い、船員たちも「決死の覚悟」で船を漕ぐので、最後はもう全員の瞳孔が開きっぱなしだったのだと思います。

19世紀といえば、イギリスやフランスなどヨーロッパの列強が先端の海洋技術を駆使して覇権を争っていた時代。最先端の海洋技術を取り入れ損ねたオスマントルコなどが没落していった時代でもあります。パトリック・オブライアンの『マスター・アンド・コマンダー』の世界ですよね。『白鯨』もそういう時代に出版された本なので、鯨船や帆船の細やかな描写は、それだけで当時の読者をわくわくさせたのかもしれません。そのとき日本は鎖国していて、まだペリーが浦賀に来ていなかった。

ロンドンに3カ月滞在していたとき通ったニットクラブには、若いアメリカ人女性がよく来ていました。「なんでロンドンにいるの?」と訊いたら、「19世紀の海軍の歴史を研究していて、大英博物館の資料を読みに来ている」と言っていました。私もお金の心配をしなくてよいなら、そういうことを勉強したい。

あと、この講談社文芸文庫版には、ロックウェル・ケントというアメリカのイラストレーターの挿絵がたくさん使われています。このイラストを復刻させて売っている人もいるくらい、モーヴィ・ディックのイラストも有名です。岩波文庫版も同じ挿絵使ってるのかな?

白鯨 モービィ・ディック(3)

 

『白鯨 モービィ・ディック』をちびちびと読んでいるのですが、下巻真ん中に差し掛かってもまだ肝心のモービィ・ディックは姿を現していません。じゃあ、一体ここまで私は何を読まされているのか。これほど分厚く、文字量も多い本なので、気になる人もいるでしょう。

実は、ここまでずっと、19世紀半ばおよびそれ以前の世界の捕鯨事情について、鯨についてありとあらゆることを読まされてきました。鯨に関しては、抹香鯨が主ですが、背美鯨と対比させている箇所も多く、背美鯨についても相当な情報量を私は得ています。最近読んだ章では、ある捕鯨船が仕留めかけたものの逃してしまった「はなれ鯨」を別の捕鯨船が仕留めた場合、「その鯨は誰のものになるのか」という所有権の問題が書かれ、一例としてイングランドでの鯨訴訟が挙げられていました。その他にも、仕留めた鯨のさばき方、鯨脳油の取り方なども知りました。

そんなことを知って面白いのか、と思う人もいるでしょう。控えめに言ってもめちゃくちゃ面白いです。鯨や捕鯨に関して相当な知識を蓄えたので、ここから先、モービィ・ディックが姿を現したとき、特権的にこの小説の面白さを享受できるものと確信しています。

話をネットフリックスで配信されているドラマにずらします。鯨についてありとあらゆる情報を細やかな筆致で伝え、最終的に読者がページの中でモービィ・ディックに遭遇したときに、何とも言えぬ深遠な感動や複雑な思いを抱かせるのが、ハーマン・メルヴィルの小説家としての手法だとしましょう。私は、最近、そのメルヴィルの手法を踏襲した法廷ドラマを見ました。『The Staircase』です。これについては、また後ほど書きたいと思います。

引き続き、心に留まったことをツイッターでつぶやきながら『白鯨』を読んでいます。「#モーヴィ・ディック」で検索してみてください。

 

白鯨 モービィ・ディック(2)

『白鯨 モービィ・ディック』を読んでいるうちに、スエズ運河座礁事故が起き、はっと気づきました。『白鯨』が刊行されたのは1851年、スエズ運河開通は1869年、パナマ運河開通は1914年なのです。 『白鯨』 には、南アフリカの喜望峰沖は世界中の船が行きかう「四辻」だという描写が出てきます。この小説に出てくる捕鯨船はすごく遠回りをして世界の海を航海しているのです。鯨の漁場に向かうので、ひょっとしたら、これらの運河が開通していたとしても、遠回りしているのかもしれませんが…… 

ついでに調べると、飛行機が発明されたのは1903年。鉄道が本格的に敷かれるようになったのは1830年代。『白鯨』が書かれた時代はほぼ船を中心に世界中の物資が行き交っていた、ということです。

他にも、『白鯨』には、北米大陸にあった聞きなれない運河の名前が出てきました。「エリー運河」です。マンハッタンのハドソン川から、ニューヨーク州北部ローチェスターなどを通って、エリー湖につながる運河です。今は、ほんの一部しか残っていません。水路は、物流網であり、情報網でもあって、2020年代の5Gみたいなものだったのかもしれませんね。エリー運河は、セントローレンス川を経由して大西洋と五大湖を結ぶ「セントローレンス海路」が出来たために廃れました。そのあおりを受けて、ニューヨーク州北部の一部は経済が疲弊し、代わりにセントローレンス川沿いと五大湖につながるカナダの町が栄えていったようです。カナダの鉄道網の発達も、水路に関連しているのでしょうからすごいですね。いやあー、『白鯨』からカナダの発展史につながるとはね!

引き続き、心に留まったことをツイッターでつぶやきながら読んでいます。「#モーヴィ・ディック」で検索してみてください。

白鯨 モービィ・ディック(1)

コロナの巣ごもり生活で、長編が読みづらくなった人もいるらしいですが、私は逆です。長編を読んでもいるし、読もうと思って買ってもいます。以前から『白鯨』を読みたかったのですが、歴代、いろんな訳者が翻訳しているので、どれにしようかと悩んでいたところ、豊崎由美さんが「千石訳で読んでもらいたい」と言っていたのを聞き、講談社文芸文庫の千石英世訳を買いました。

実は昔、他の古い和訳をいくつか読みかじったことはあったのですが、なんせササっと読める話ではないので、何度も脱落しました。今回は今のところ脱落していませんし、他のものも読みつつ、非常にゆっくり読んでいます。

今回は、「おや?」と心に留まったことをツイッターでつぶやきながら読むことにしました。諸事情で間をあけると、内容を忘れるかもしれないので、それを防ぐためでもあったのですが、なかなか功を奏し、結構覚えています。ライブ読書っぽくなっているので、「#モーヴィ・ディック」で検索してみてください。

『白鯨』を古典と言っていいのかよくわかりませんが、古典は新鮮です。小説が書かれた1851年頃は、アメリカのマサチューセッツで捕鯨が盛んで、これまた外国人乗組員をたくさん捕鯨船に乗せていたことも意外なら、エイハブ船長がそもそも片足を失ったのは日本沖だったというのも知りませんでした。この小説を「鯨文学」と人が言うのも納得なほど、19世紀半ばの捕鯨情報が克明に描かれてます。狂気と正気の対比もすごいです。

というわけで、下巻に進みます。