三島由紀夫の本と『むずかしい年ごろ』

巣ごもり中に、三島由紀夫の本をとりあえず4冊読みました。『潮騒』と戯曲を除き、ナルシストの三島由紀夫が書いたナルシストな小説は、巣ごもり中にはキツかったです。「そんなこと、どうでもええやろ!」とページを飛ばしてしまいたくなるのです。昔読んだときはそうは思わず、むしろ感化されていたので、「読みごろ」ではなかったのかも。『潮騒』にある三島由紀夫の海の描写がすばらしく、何回読んでも飽きない。あの海を知っているからかも。

面白かったのは、このロシアの小説。『むずかしい年ごろ』というタイトルがもうすばらしく(「むずかしい」が平仮名にしてあるところとか)、遠方の友人がこの本をブックインスタしていたのを見て、私も買ってしまったというわけです。

アンナ・スタロビネツはロシアでは有名なホラー作家らしいです。私はモスクワの空港にしか行ったことないくせに、「ロシアっぽい!」と感動してしまいました。「怖さ」は、そーですねー、乱暴にたとえるなら、ネットフリックスの『Black Mirror』っぽい怖さですかね。虫も出てくるし。虫が苦手な人は、一番最初の話は読まないほうがいいです。私は髪を掻きむしりながら読みましたから。

一番気に入ったのは、「家族」っていう話。頭が半分にスパッと切れているおじさんが出てきて(頭がお椀の形になっている)、頭の中から、「紫色のマスカット」や「ニンニク添えのチキン」を出すのです。こういう話大好き。

紙の本を買ったので、読みたい人には貸せますよ。

昭和45年11月25日

Mishima

歌舞伎の本を読むうちに、たどり着いた一冊。今年は三島由紀夫と東大全共闘の討論会が映画になったから、というのもあって読んだ。

この本は、三島事件が起きた昭和45年11月25日に、三島由紀夫とつながりのあった文壇、メディア、演劇&映画界、政界の「人々の反応」だけを集めている。故人とのつながりは濃いのから薄いのまでいろいろで、「いかにも」な人々から、ユーミンやいかりや長介までも網羅されている。盾の会の制服は西武百貨店で誂えたとか、三島由紀夫は『あしたのジョー』の大ファンで、心の残りがあるとしたら、その最終回を読めなかったことかもしれない、などのトリビアもいっぱい。これが私のツボにはまった。

無数に取り上げられている「人々の反応」は文章として記録に残っているものを引っ張ってきているだけなので、別に著者は執筆のために誰にもインタビューしていない。三島事件が起きたあの日、誰もが何かを語らずにはいられなくなってベラベラしゃべっていたのだけど、だいたい1人につき2、3ページにまとまっているので、「誰だこれは?」と思う人がいても気にならない。その辺はネットで調べながら見るのもヨシ。

誰もが何かを言わずにいられないっていうのは今のコロナ禍の状況に似ているね。

私は大学1回生の夏休みに三島由紀夫の本をいっぱい読んだ。久しぶりに読み返してみようかなと本棚を探したけど、1冊も見つからなかった。引越が多かったので、きっと人にあげたか、寄付したか、古本屋に売ったか。なので、またアマゾンでポチった(ポチポチポチポチポチ…… と7冊ぐらい)。

玉三郎と三島由紀夫

Tamasaburo

六代目歌右衛門と坂東玉三郎の対立関係が主軸になっているけど、このふたりは世代が違うので、背景の情報量が多い。これを読んでから玉三郎を見ようなんて思っていると、なかなか本物を見に行けないくらいの情報量。坂東玉三郎についての本なのに、そこに話がいきつくまでがとても長い。生まれた「家」が重要な歌舞伎の世界だから、そこを説明しないと玉三郎の活躍がどんなに「奇跡的」なことかがわからないので仕方ないが、三島由紀夫についてもいろいろと知ってしまう。なのに、女形の頂点に立ってからの坂東玉三郎については、この一冊では書ききれないらしく、1960年代から1990年代ぐらいまでで終わっている。しかも、玉三郎本人は六代目歌右衛門との対立はなかった発言を繰り返しているので、この本は「あれを実際に見た人々は証言を残してほしい」という結びになっている。

…とディスっているように聞こえるけど、私の歌舞伎熱が続く限りは手元に置いておきたい本だった。

この本によると、歌舞伎が好きだった三島由紀夫にも、「もう歌舞伎は面白くない」とそっぽを向きかけた時期があり、それをグイっと引き戻したのが玉三郎の美貌だったらしい。そんな玉三郎も、もう若くはない。あまりにも若い役柄の演目は、封印しているというか、今はもう演じないらしい。そんなことを言われると見たくなる。「見たい、見たい」と思っていたら、二月大歌舞伎に出ていた!! それなら日本に坂東玉三郎を見に行こう!

去年11月、飴がないと仕事を頑張れない私は「今の仕事が終わったらカリブ海だ!」とクルーズ旅行を予約する気満々でいた。クルーズの行先に種類が多すぎて悩んでいる間に、コロナウィルスが蔓延しだした。今クルーズ船に乗ってなくて本当によかった…… これも玉三郎のおかげ?