She Said

今週もまたブログチャレンジやってる。今日で3日目。

『She Said』は、ハーヴィー・ワインスタインが引き起こした数々のセクハラ事件を暴いたニューヨーク・タイムズの2人の女性記者の話。

超大物のセクハラを全力で(金に物を言わせて)隠蔽できる社会構造と、暴く側の社会構造(社会進出してる女性が多くて、家事・子育てを分担してる男性もそこそこいる社会)の対比が印象的だった。

この映画では、主人公の2人の女性ジャーナリストにしっかりと仕事をしてもらわなければ、2時間の間に話が進まない。なので、彼女たちの男性パートナーたちが超模範的に描かれている。真夜中に電話がかかってきても、「おい、今何時だと思ってるんだよ」などと言わないし、子どもが夜泣きすれば、「僕が様子見てくる」と言ってくれる。あの夫たちがぐずぐず言い出すと話が進まなくなるので、寝ているか、赤ちゃんを抱いてくれているか、パソコンを開いて、じっとして模範的な夫を演じている。

金と権力に物を言わせて性暴力を隠蔽できる社会構造については、ジェフリー・エプスタインの事件でも、見せつけられた(トランプもそう。下で働いていた人が服役している)。そういえば、エプスタイン事件も権力に屈せず事件を追ったのは、マイアミ・ヘラルドの女性記者だった。

『She Said』を思い返してみると、ワインスタインを追っていたのはニューヨーク・タイムズだけではなかった。「ライバル誌も追いかけている」というプレッシャーが、ニューヨーク・タイムズを焦らせ、前へ前へと動かしていた。エプスタイン事件も同じで、マイアミ・ヘラルドだけではなかった。ジャーナリストの間で競争があった。

ニューヨーク・タイムズの記者たちは、ワインスタインの性暴力の犠牲者たちをカミングアウトさせ、これをきっかけに#Metoo運動が起きたわけだけど、それだけではなくて、大きな権力と対峙するジャーナリストやメディア企業が<複数存在する>ってところもすごいなと。

「同性のジャーナリスト2人」という設定で思い出したけど、ウォーターゲート事件を暴いたのは「男性ジャーナリスト2人」だった。あれは1970年代のワシントン・ポストの話で、同じように映画になっているけど、男性ジャーナリストたちの私生活には踏み入っていなかった。事務所はたばこの煙がもくもくしていて、オフィスは開放感のある設計にもなっていなかったし、女性はほとんどタイピストだった。

Perversion of Justice

著者はアメリカの地方紙「マイアミ・ヘラルド」のジャーナリスト、ジュリー・ブラウン。ジェフリー・エプスタイン逮捕にいたるまで、彼のセックス・トラフィッキングの犠牲者たちを説得して地道に取材を続けた過程がわかる本です。

アメリカの司法制度がわからないと難しい点もありますが、それをすっとばして、エプスタインの斡旋で16歳未満の女性たちとセックスをした「世界的に有名な男たち」、「アメリカの諸領域で重職に就いている男たち」の名前はもちろんのこと、エプスタインを長年にわたり法の裁きを受けさせないよう、特別な計らいをした人々の名前を心に刻むだけでも価値があるかもしれません。それにしても、こういうスキャンダルが起きるとすぐに名前が出てくるビル・クリントンやドナルド・トランプのような人たちがいるかと思えば、バラク・オバマのように絶対に名前が出てこないクリーンな人はいるんですよね。

この本に魅力を添えているのは、著者のジュリー・ブラウンがワーキング・シングル・マザーであって、元夫もあまり頼りにならない状況で二人の子どもを育て、請求書とにらめっこしつつ、日々の生活に苦労しながら、アメリカの暗部を暴いた事実かもしれません。エプスタイン事件の取材が本書の大筋ならば、著者の私生活の苦労が副筋になっていて、人間味を感じます。

司法制度を無視できるだけの富を持つエプスタインのゴージャスな生活を垣間見たいなら、ネットフリックスの『ジェフリー・エプスタイン: 権力と背徳の億万長者』がいいかもしれません。でも私は、ジュリー・ブラウンに投げ銭するつもりでこの本を買いました。なので、読んだのは英語版です。

原題になっている「Perversion of Justice」という言葉が、著者にとってどれだけ大切だったかが原書には書かれています。エプスタインそのものが怪物ですが、そういう存在を許してしまう「歪んだ司法制度」を暴いた本だから。

『ジェフリー・エプスタイン 億万長者の顔をした怪物』という邦題で、日本語訳も出ています。