不毛地帯(全巻読破)

いやぁ、非常に情報量が多く、5巻までの道のりは長かった。昭和の話なので、情報戦が料亭とか銀座のクラブを基軸にしていたり、「財務省」や「金融庁」ではなく「大蔵省」だったりして隔世の感はある。基本、男たちが主役だけれど、女性のほうも芯が強いし、豪快なキャラクターもいる(弱い女性像は山崎豊子が書きたくなかったのかも?)。

誰かが、「リアルタイムでニュース記事を読んでいるとノイズが多いので、10年前くらいの新聞・雑誌の記事を読むと、物事の本質がよくわかる」と言っていた。この小説もそんなかんじじゃないかと。ま、小説だし、10年どころか、もっと古いですけどね。

なんたってシベリア帰りの元参謀本部の男が、大手総合商社に大きく水をあけられている「関西系の繊維商社」を成長させる話が軸になっているので、スケールが大きい。昭和の大物政治家(ついこの間まで首相だった人の親戚だとか、田中角栄など)、黒幕(児玉誉士夫らしき人や稲川会の会長らしき人など)も出てくる(本名で出てくるわけではないので、想像しなければならないけれど)。

1巻:シベリア抑留生活と東京裁判

2巻:航空自衛隊の次期戦闘機選定合戦

3巻:資本自由化でアメリカ資本が日本自動車業界進出を画策

4&5巻:イラン・サルベスタン鉱区での石油発掘

ドラマは新しいのも古いのも見ていない。なんとなく映像にすると、『半沢直樹』のような暑苦しそうなストーリーになる気がしなくもない。

巣ごもり生活中に、『デカメロン』、そしてこの『不毛地帯』と超長編を読んだ。2カ月ほど前に、仕事の資料として『三国志演義』と『戦争を平和』という超大作を買った。ちらちらと読んでいるうちに、最初から最後まで読んでみようかなという気がしてきた。今なら読めるかも。

不毛地帯

毎日、世界のあちこちにあった帝国について調べています。翻訳作業のために下調べしているのに、今日もリヴィウ(ウクライナにある)っていいところだな、コロナが落ち着いたら行ってみたいな、と長い間(ネット上で)すてきな建造物を見る旅をしてしまい、気が付けば仕事がはかどっていませんでした。

私の頭の中は、帝国や帝国主義のことでいっぱいで、仕事していない時間には山崎豊子の『不毛地帯』を読んでいます。戦前の軍事教育を受けた優秀な軍人って、戦後どういうところで何をしていたのだろう? と気になっていましたが、それに答えてくれる内容です。何度もドラマ化されているので、ここであらすじを話すまでもないですが。

毎年、夏の今くらいの時期になると、第二次世界大戦中の日本を描いた映画が見たくなります。市川崑の『野火』を見ようと決めてはいるのですが、内容が内容だけに、ホットドッグなど肉を食べながら見るのも憚られ(人肉を食べる話が出てくる)、まだ見ていません。その代わり、ドナルド・リッチーがこの映画について話しているインタビューを見ました。「実際に戦争を体験した世代が生々しくそれを覚えている時代にこういう映画は作られるけれど、今の日本ではこういう映画は絶対に作ることができない」と言っていました。時代が流れているってことですね。『不毛地帯』もそんな小説。

大地の子3&4

不要不急の外出を控える生活が続いているので、「時間があるときにやろう」と思っていたことを順番にやっつけている。『大地の子』の3&4巻もやっと読んだ。後半は時代が1985年ぐらいになり、もうちょっと身近な話になってきていた。小ネタでちょっと驚いたのが、中国がまだ日本からの経済や技術支援を受け、巨大な製鉄所を上海に建設しているときに、内蒙古の製鉄所では、中国の援助でタンザニアからの実習生が技術を学んでいたこととか、ソ連からの支援で建てられた製鉄所が、中ソの関係悪化でソ連に放置されたこと。

それにしても、これを読み終えるまでの道のりは長かった。テレビドラマにはなかった、主人公の妹「あつ子」が受けた虐待の詳細が3巻に書かれていて、読むのがつらかった。

中国残留孤児の宿命は、日本で生まれ育ち、そのままそこで骨を埋めるつもりの人、あるいは、途中海外で暮らすが、母国である日本に戻るオプションが当然のこととして残されている人には、わかり得ないのかもしれない。「日本に帰りたければ帰ればいい」と他人は簡単に言うだろうが、本人たちはそんな簡単には踏み切れない。心のどこかで「戻りたい」と思っても、不可抗力が働いて、「さあ、帰ろう」とはなかなか思えない。実際に行動に移すとしたら、それは経済的困難や被差別階級から抜け出したいなどの現実的な事情が後押ししているだけだと思う。かの国でどんなひどい差別を受けようと、長年かけ、そこで生き延びていく方法を身に着けた人々には、「どこへ帰るのか」と聞かれたり、「帰れ」と言われたりすることは、非常につらく、一生かけても答えが出せないような深いことなのだと思う。また、母国に帰ったとしても、またそこでも困難は待ち受けているはず。前にも書いたかもしれないが、山崎豊子がこんなにも長々と日中の歴史や製鉄技術をめぐる国際協力を書き、最終巻でページ数も残りわずかになってからやっと、主人公の陸一心に「私は大地の子です」と言わせて話が終わるのは、本当にすごい。たぶん、山崎豊子が一番言いたかったのはそれだったと思うから。

私も海外生活が長くなるにつれ、こんなことをぼんやりと考えるようになった。私も実際は「移民」なのだけど、なぜか自分は違うと思っていた。でも、どこかでうっすらと母国であるはずの日本との隙間を感じるようになっている。歴史に翻弄されたわけでもない、自分の意志で海外に出た人間でも、こんなふうに思うようになる。

コロナ禍のせいで、妙なことを考える時間が増えてしまった。