映画は劇場公開されていたときに見たので、あらすじは既に知っていた。数百ページを費やして描けることと、2時間で描けることは全然違うよな、と改めて思った。映画は割と「愛」の物語になっていたと記憶しているので。
主人公の男と親子ほど年の離れた女は、かつて肉体関係にあり、二人の間には愛情もそれなりにはあった。が、互いに言えない秘密を持っていた。
その女は、主人公の男を「坊や」と呼ぶ。「あんたの何でも知りたがることといったら、坊や」「あら、坊や、何言ってるの?」「元気でね、坊や」
たまらないね、「坊や」の響きが。
この小説は愛の物語というよりは、もちろんそうも読めるけれど、人間の尊厳の話だと私は思う。「坊や」は、知識が豊富で言語能力が高く、たぶん第二次世界大戦後生まれ。年上の愛人は、文盲をひた隠しにしているが、文盲ゆえに社会の「罪」を背負わされていく。身寄りのない彼女を何らかのかたちで救うことができるとしたら、この世には「坊や」しかいない。女は、他人の世話になり、ささやかな幸福を手にして生きていくのか、それとも、人間としての尊厳を大切にして生きるのか、誰にも何にも相談せず、静かに考える。
言葉を操れない女は、「坊や」の朗読のおかげで文学を知り、読み書きがかろうじてできるようになり、それほど長くはなかった一生に、ほんとうにわずかで短い言葉だけを残して去っていく。彼女が心の中で何を考え、感じていたのかは誰にもわからない。ほんの少しだけ推測を許す、ささやかな痕跡を残していく。
一方の「坊や」は…… この女に救いの手を差し伸べなかった自分、女をどこかで裏切っていた自分、この女を知りつくし、他の女と常に比べてしまう自分について、正当化したり悩んだりして数百ページもかけて書いている……
言っておくけど、別に私はフェミニストっぽい視点で「坊や」を叩いているわけではない。
この小説はドイツのホロコースト後の世界が舞台。社会が暴力的になるとき、暴力を煽る人、ふるう人、助長する人、傍観する人、目を背ける人、阻止しようとする人たちに分かれる。やがて、暴力が蔓延しつくした社会に反省の時がくると、暴力を受け入れた社会の中で人同士が裁き合う。このとき、暴力を煽ったり命じたりした人たちは、既に姿を消してもういない。そして残された人たちが、暴力的な社会で自分が担ってしまった役割について反省する……
新しい本ではないけど、読んだタイミングがよかった。