翻訳者向け書評講座のご案内

豊崎由美さんによる翻訳者向け書評講座を企画しましたので、ご案内いたします。

日時:12月5日(日)日本時間で13時開始(Zoomでの開催)
所要時間:約3時間から4時間
費用:1500円
参加希望の方は、knsbookclub@gmail.com (新田享子)宛にメールを送って下さい。お支払方法は銀行振り込みになります(海外の方ならPayPalも可能)。人数は10人を予定しています。人数は最低10人揃えば、活発に合評できるので、その辺りの人数を目指していますが、今のところ特に制限は設けておりません。

課題書:
エルサレム(ゴンサロ・M・タヴァレス 河出書房新社)
クイーンズ・ギャンビット(W・テヴィス 新潮文庫)
キャビネット(キム・オンス 論創社)

以上3作のうちどれを選んでいただいてもいいです。複数作書いていただいてもかまいません。

「書評」のつもりで書いている方は800〜1600字。これを訳したとして、「訳者解説」のつもりで書いた方は1600〜3200字。自分がどちらにしたか明記の上、「書評」を選択した人はどういう媒体に載せるつもりで書いたか、最後に(想定媒体=○○××)と付記してください。

提出方法:ワードファイルで作成(縦書き)、フォントやサイズは適当で。無記名でお願いします。
提出日:11月24日(水)いっぱい。knsbookclub@gmail.com、新田享子宛に送ってください。
その後、11月29日(月)までに参加者全員分の「採点」をしてもらいます。申し込みをしていただいたときに、この「採点」の説明をします。

翻訳の実績レベルは問いません。みなさん、ふるってご参加ください。

ニッポンの書評

この間受けた講座は、豊崎由美さん自身が「句会をイメージした書評講座」と言っているように、プレバトで夏井いつきさんに俳句をこき下ろされるのと同じ感じでした。そのことを友人に話したら「(私は)相当なM」と言われたのですが、心当たりはありますな。

もう少し書評の書き方を掘り下げて勉強してみようと思い、『ニッポンの書評』を読みました。講座で教わったことを思い出せる内容だし、他の書評家についても触れられているので、次はその人たちの著書を読むのもいいかも。「書評って何?」という定義からして様々な考え方があって、まるで翻訳みたいなんです、文筆業の中の位置付けが。

何百ページを費やして書かれたものをぎゅぎゅっと1,000文字くらいに圧縮するには、その書物が読めていないとできないし、読み方にも工夫がいる。圧縮するときの情報の取捨選択も重要。講座を1回とっただけでは、ざるで水をすくうようなものなので、何かしらの形でスキルを磨こうと考えています。

今さら何言ってんだ?という話なのですが、早速、学んだことを生かす案件もあって、あの講座とってよかった、と心から思いました。読んで考え、過去の知識を整理整頓して、まとめて、なおかつ書き手である「わたし」にしか書けない文章を作るって難しい。でもですね、私が参加している句会では、みんな狙っているわけではないのに、誰が詠んだ句なのかが歴然としているので、自分らしさというのは案外素直ににじみ出てくるのかもしれません。

旅する練習【After】

さて、書評講座が終わりました。非常に勉強になりました。今後も書評の書き方をどこかで習いたい気分です。

「Before and After」ということで、先日私の「書評」をこのブログにさらしました。本業が文筆業のくせに、「この程度?」という恥ずかしい代物を提出しましたが、1)ジャンルの違う文章を、そうそう簡単には書けない、2)ブログに書くのと同じで無責任に書く文章だと、この程度になってしまう、ということに尽きると思います。

豊崎由美さんの講評は、まさに「メッタ切り」でしたが、厳しい言葉のなかに「いい書評家を育てたい」という愛が感じられ、厳しい言葉が浴びせられても、褒めるところはちゃんと褒めてくださったので、うれしかったです。10人分の講評を聞いたのですが、どの方の書き方も、目の付け所も、めちゃくちゃ参考になりました。

厳しいことを言われた箇所は赤、褒めてもらったところは青です。

1)「おじさん」は平仮名だと「危ないおじさん」みたいに聞こえてしまうから、ちゃんと血縁者であることを示すために漢字で書かなければならない。

2)「利根川河口までの徒歩の旅は」の部分は、この主語に呼応するはずの述部がちゃんと書けていない。文章としてそもそも成立していない。

3)ここで「そして」は使わないほうがいい。

3つとも、そのとおり!です。反省。あとは、書き出しが「女性誌っぽい」とも言われました。確かに……

青色の部分は、小説をよく読めていると褒めてもらいました。実は、この小説は最後の最後に衝撃的な事件が起きるのですが、そこを読んだときに、「あ!しまった」と思ったのです。「気になる部分が途中何度か出てきたのに、ちゃんとしっかりメモしなかった。私はこの小説をきちんと読めていなかったのかも!」と焦ったけれど、もう時間もないし、自分が理解できている範囲で書くしかない……。結果、あらすじを書くための取捨選択がおかしなことになっていて、前半がちゃんと書けていないわけです。とほほ。ですから、やっぱり『旅する練習』を買ってご自分で読んでみてください。すばらしい小説なので。


 あなたは「旅」や「練習」と聞いて何を思い浮かべますか。「練習」というと、なにやら、努力や忍耐が必要なものに聞こえませんか。
 この小説では、亜美と書いて「あび」と読む名の少女が、「にいちゃん」と呼ぶおじさんとふたりで、ある目的を果たすために、手賀沼から鹿島に向かって利根川沿いを歩きます。亜美は小学校を卒業したばかりのサッカー少女。一方のおじさんは小説家。したがって、亜美はサッカーボールでドリブルしながら、おじさんは風景を文章で描写しながら、六日間の旅をします。
 ふたりが出発したのは二〇二〇年三月九日のこと。WHOがパンデミック宣言をしたのは三月一一日で、東京などで緊急事態宣言が出るのはその約一カ月後です。つまり、まったく先が読めないタイミングで、ふたりの旅は始まり、終わるのです。
「今度中学生になる女の子が成長する話でしょ」と早合点してはいけません。利根川河口までの徒歩の旅は、小説家のおじさんの趣味により、瀧井考作、田山花袋、柳田國男、小島信夫、安岡章太郎らの文豪が書き残した小説に触れ、数々の鳥や草木に出会い、名もなき先人たちが残した信仰の跡や碑を訪ねます。そして、「みどりさん」という女性と出会い、回り道もします。
 みどりさんは、誰かのために何かをしてあげられる人です。逆に言うと、自分のために何かをすることができずにいる人。そんなみどりさんの傍らを歩く、中学進学を目の前にした亜美は、自分がやりたいことを見つけ、それをだけを考え、それに向かって生きていくつもりでいることに何の疑問も持ちません。
 ところが、三人がのどかな田園風景の中を旅する間に、コロナ蔓延は刻々と深刻さを増してきて、ますます先の見えない状況になっていきます。
 三人の旅は、あちこちで支流が合流する利根川の流れそのもので、河口に達したときに終わりを迎えます。小説家のおじさんによれば、利根川河口にある鹿島神宮は「鹿島立ち」といって、旅の祈願をする場所なのだそうです。終点だと思った場所が実は始点だったというわけです。
 亜美、みどりさん、そしておじさんの三人はそれぞれに約束をして、ひとまずは、六日間の旅を終えます。でも、話はそこでは終わらないのです。

旅する練習

わぁ、書評講座の課題書が『旅する練習』だったので、つい最近読んだばっかり! 三島由紀夫賞受賞おめでとうございます。すごくよかったですよ、この小説。

で、書評講座はこれから始まるところなのですが、「Before and After」ということで、講評前の、私が書いた「書評」をこのブログにさらしておきましょう。書評を書くときのルールなどは知らない状態で書いたので、「もしもこの小説についてブログを書くとしたら」と想定して書きました。

プロが書いた『旅する練習』の書評は出ていて、たとえば、毎日新聞に鴻巣友季子さんのものがあります。私のなんか読みたくない人は、そちらをどうぞ。


 あなたは「旅」や「練習」と聞いて何を思い浮かべますか。「練習」というと、なにやら、努力や忍耐が必要なものに聞こえませんか。
 この小説では、亜美と書いて「あび」と読む名の少女が、「にいちゃん」と呼ぶおじさんとふたりで、ある目的を果たすために、手賀沼から鹿島に向かって利根川沿いを歩きます。亜美は小学校を卒業したばかりのサッカー少女。一方のおじさんは小説家。したがって、亜美はサッカーボールでドリブルしながら、おじさんは風景を文章で描写しながら、六日間の旅をします。
 ふたりが出発したのは二〇二〇年三月九日のこと。WHOがパンデミック宣言をしたのは三月一一日で、東京などで緊急事態宣言が出るのはその約一カ月後です。つまり、まったく先が読めないタイミングで、ふたりの旅は始まり、終わるのです。
「今度中学生になる女の子が成長する話でしょ」と早合点してはいけません。利根川河口までの徒歩の旅は、小説家のおじさんの趣味により、瀧井考作、田山花袋、柳田國男、小島信夫、安岡章太郎らの文豪が書き残した小説に触れ、数々の鳥や草木に出会い、名もなき先人たちが残した信仰の跡や碑を訪ねます。そして、「みどりさん」という女性と出会い、回り道もします。
 みどりさんは、誰かのために何かをしてあげられる人です。逆に言うと、自分のために何かをすることができずにいる人。そんなみどりさんの傍らを歩く、中学進学を目の前にした亜美は、自分がやりたいことを見つけ、それをだけを考え、それに向かって生きていくつもりでいることに何の疑問も持ちません。
 ところが、三人がのどかな田園風景の中を旅する間に、コロナ蔓延は刻々と深刻さを増してきて、ますます先の見えない状況になっていきます。
 三人の旅は、あちこちで支流が合流する利根川の流れそのもので、河口に達したときに終わりを迎えます。小説家のおじさんによれば、利根川河口にある鹿島神宮は「鹿島立ち」といって、旅の祈願をする場所なのだそうです。終点だと思った場所が実は始点だったというわけです。
 亜美、みどりさん、そしておじさんの三人はそれぞれに約束をして、ひとまずは、六日間の旅を終えます。でも、話はそこでは終わらないのです。