ニット帽

せっかくこのウェブサイトにお金を払ってるから、今日から1週間連続でブログを書くことにする。とりあえず。

あんなに大好きだった編み物を今やっていなくて、友だちにニット帽を編んでもらった。暖かいカリフォルニアに住む友人なので、雪国仕様にしてね、とお願いもした。可愛い。お礼に本を送った。

私はどれくらい編み物から遠ざかっているのか。3年前に編もうと思った編みかけのセーターと毛糸を入れておいた籠を掃除のためにどかしたら、小さな虫が2匹わらわらと動くのが見えた。よく見たら、毛糸に虫がわいていた。ちょっとしたホラーな光景だった。全部泣く泣く捨てた。

今日のハイライト

アメリカの金融機関に文句を言った。「苦情を言うときは、失礼なことを言わない」と昔、村上春樹の著書から学んだ。ま、学ぶまでもなく、私はどちらかというと冷静なほうだけど。

村上春樹流に、相手に何をしてほしいかを簡潔に述べた。「わずかな手数料ですが、今までの諸々の手違いを考えると、どうしても払う気になれませんから、そちらで負担してください」と。そしたら、「OK. No problem」だって。本当は100ドルくらいの手数料だから、大きいぞ! プチ勝利じゃ!

実際に言った台詞はこれ↓

It’s a small fee, but with all the fiasco that happened to me, I can’t bring myself to cover the cost. Please pay.

L.A. Timesの『一人称単数』の書評と『Promising Young Woman』

4月はじめだったと思いますが、アメリカの新聞各社が村上春樹の『一人称単数』の書評を出していました。中でも、L.A. Timesの書評はもはや書評の体になっていない悪口でした。どのくらいの酷評なのかというと、村上春樹を「女嫌い」呼ばわりし、ユニクロとのコラボでグッズ販売していることまでけなし、もう本の話ではなかったのです。たとえば、アマゾンのコメント欄に、読者が本の梱包や配達に対する不満を書いて、星★1個の評価をし、本の全体的な評価を押し下げているケースが散見されますが、 L.A. Timesの書評もそれに近いものがありました。

それに比べると、ニューヨークタイムズの書評は、英訳者へのリスペクトも込められていて、8つの短編に合わせて「村上春樹の8つの見方」と多面的に評価しています。しかも、今の村上春樹は「西欧のある時期の文化の影響を強く受けた日本人作家」として見られているので、世界的に人気があるけれど、そういう彼を好まない人たちもいる、と書いています。ま、この2つの書評しか私は読んでいないんですが、L.A. Timesの書評と比べれば、そもそも質が段違いによいですよね。書評家なら、やはり「本」を評価してほしい。 L.A. Timesのあの書評が炎上狙いであったことは、あれを書いた女性書評家のツイッターを見ると、なんとなくうかがえました。

しかしですね、キャリー・マリガン主演の『Promising Young Woman』をご覧になりましたか? この映画は、学校で起きるレイプ事件に『危険な情事』的な恐ろしさを感じさせる内容です。学校で起きる性犯罪は、加害者も学生だった場合に「若気の至りだ/酔っていたから正気ではなかった」という言訳がついてまわり、うやむやにされがち。この映画が流行った2020年のアメリカを考えると、 L.A. Timesの書評が許される土壌はあったのかなと思います。『一人称単数』は、「僕」が若かりし頃に関わり合った女たちを回顧する内容で、「僕」は、それなりの関係があった女たちを「名前が思い出せない」などと言いながら、淡々と語ります。つまり、「僕」の記憶の中では、女たちがのっぺらぼう化しているので、アメリカの先鋭的なフェミニストは、村上春樹に対して「この野郎!」と思うのかもしれません。しかも、「僕」は限りなく本人っぽく書かれていますから。

でも、人は回顧するとき、自分と関わりのあった人々の全容を鮮明に思い出せるわけはなく、ぼんやりとしか思い出せない乳白色な部分や、記憶がすり替わっている部分があります。むしろ、そういうほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。『Promising Young Woman』の中でも、当事者たちの記憶が抜け落ちていたり、薄らいでいたり、主役の記憶ですら、ひょっとしたら「絶対に忘れたくない」という強い思いから、一部の記憶が自己強化しちゃってる可能性もなくはない。

そんな『Promising Young Woman』ですが、一回見終わって結末を見た後に、「ひょっとしてあれも、これも、計画の中に織り込まれていた??」と疑問が次々に湧いてきました。もう一回見なければ! これについても、誰かとちょっと話し合いたいです。←パンデミック前なら、映画を映画館で観た後に、一緒に行った人々と話し合えたんですよ。今は、それをクラブハウスでやっている人たちを見かけるんですよね。

一人称単数

読んでる途中から、短編小説なのか、エッセイなのか混乱するほど語りが「村上春樹」だったけど、一応8作とも短編小説らしい。

8作品のうち、『謝肉祭』が興味深かった。「謝肉祭」はシューマンのピアノ曲のこと。「ブスな女と美男のカップル」の「ブスな女」が主要登場人物で、限りなく村上春樹っぽい男友達と「シューベルトの一部のピアノソナタいいよね」って言い合っている(1行しか書かれていないけど)。私はシューベルトのピアノソナタがほぼ全曲大好きで、そのソナタ集を一日中グルグルと聞いても飽きない。どこがいいって、なんかきれいだから。「謝肉祭」も好きですけどね。

アマゾンのコメント見たら、「つまらない」って酷評されていた。短編って基本、余白というか「書いてないこと」がたくさんあって、内容も日常的なものが多くて、響かなければ「なんじゃそりゃ?」って思ってしまうよね。私は村上春樹なら、エッセイと短編が好きです。

ラオスにいったい何があるというんですか?

コロナのせいでどこへも行けないので妄想の世界で旅をしました。村上春樹が旅をした10カ所のうち、7カ所に私も行っていました。ボストンやメイン州のポートランドなど、行ったことすら忘れていましたが、アイスランドとギリシャ(滞在した島は違うけど)の紀行文には特に共感を覚えました。この2つの紀行文はすごくいいです。アイスランドのブルーラグーンは、多分、村上春樹が行った頃とはすっかり変わっているとは思いますが(温泉が変わったわけではなく、商魂がたくましくなっているという意味で…… 私が行ったときは、アイスランドのここだけが異常なほど国際化していて、珍しくはあったけど、宿泊先のホテルにあった温泉のほうがよっぽど好きでした)。トロントからアイスランドは近いので、また行きたい。

一人旅か二人旅の多い私は、がっちり予定を組まずに気の赴くままに移動を楽しむほうなので、村上春樹の紀行文に漂うのんびり感に安堵を感じました。