大地の子3&4

不要不急の外出を控える生活が続いているので、「時間があるときにやろう」と思っていたことを順番にやっつけている。『大地の子』の3&4巻もやっと読んだ。後半は時代が1985年ぐらいになり、もうちょっと身近な話になってきていた。小ネタでちょっと驚いたのが、中国がまだ日本からの経済や技術支援を受け、巨大な製鉄所を上海に建設しているときに、内蒙古の製鉄所では、中国の援助でタンザニアからの実習生が技術を学んでいたこととか、ソ連からの支援で建てられた製鉄所が、中ソの関係悪化でソ連に放置されたこと。

それにしても、これを読み終えるまでの道のりは長かった。テレビドラマにはなかった、主人公の妹「あつ子」が受けた虐待の詳細が3巻に書かれていて、読むのがつらかった。

中国残留孤児の宿命は、日本で生まれ育ち、そのままそこで骨を埋めるつもりの人、あるいは、途中海外で暮らすが、母国である日本に戻るオプションが当然のこととして残されている人には、わかり得ないのかもしれない。「日本に帰りたければ帰ればいい」と他人は簡単に言うだろうが、本人たちはそんな簡単には踏み切れない。心のどこかで「戻りたい」と思っても、不可抗力が働いて、「さあ、帰ろう」とはなかなか思えない。実際に行動に移すとしたら、それは経済的困難や被差別階級から抜け出したいなどの現実的な事情が後押ししているだけだと思う。かの国でどんなひどい差別を受けようと、長年かけ、そこで生き延びていく方法を身に着けた人々には、「どこへ帰るのか」と聞かれたり、「帰れ」と言われたりすることは、非常につらく、一生かけても答えが出せないような深いことなのだと思う。また、母国に帰ったとしても、またそこでも困難は待ち受けているはず。前にも書いたかもしれないが、山崎豊子がこんなにも長々と日中の歴史や製鉄技術をめぐる国際協力を書き、最終巻でページ数も残りわずかになってからやっと、主人公の陸一心に「私は大地の子です」と言わせて話が終わるのは、本当にすごい。たぶん、山崎豊子が一番言いたかったのはそれだったと思うから。

私も海外生活が長くなるにつれ、こんなことをぼんやりと考えるようになった。私も実際は「移民」なのだけど、なぜか自分は違うと思っていた。でも、どこかでうっすらと母国であるはずの日本との隙間を感じるようになっている。歴史に翻弄されたわけでもない、自分の意志で海外に出た人間でも、こんなふうに思うようになる。

コロナ禍のせいで、妙なことを考える時間が増えてしまった。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

数年前、ロンドンに3カ月滞在するときに、UK在住の人で面白いこと書いてる人いないかなと探して見つけたのがブレイディみかこ。

この本は、彼女の子どもの話なので、子育て経験のない人間にはわからないこともあったけど、面白かった。タイミングもよかった。グレタ・トゥーンベリがUNでスピーチして、今週は世界中のティーンエージャーが気候変動に手をこまねいている政治家たちに抗議してる真っ只中だったので(ブレイディみかこの子供は気候変動のデモに参加したかったのにできなかったので、その思いの丈をバンド結成に託している)。

翻訳の仕事で気候変動について調べることも多く、ふと思うのだけど、グリーンなデモは大昔ベトナム戦争が起きていたときの反戦デモに似ている。二酸化炭素って何でしょう? みたいなことを学校で学びたての若い子と、そんなものはとうの昔に習って知っている!と言っている大人との争い。二酸化炭素ひとつとっても、科学的な発見は近年いろいろとあったし、石油は今はもう地表付近にはないとか、若い子のほうが最新情報をよく知っている。反戦デモは「戦うって、私たちがですか?」なので、どちらも若者が中心。大人は資源が枯渇してきてるのを知ってても、自分が生きている間に枯渇しないならいいやとか、猛暑もあと5年ぐらいなら我慢しようかなどと、余生がどれくらいあるかで切迫感が全然違うのだと思う。FBで誰かが言っていたけど、日本の年金問題のように、世代間でのリソースの奪い合いにちかいかも。

でも表舞台に出てきて発言するティーンエージャーを、「情緒不安定」と公に言う政治家ってすごいね。アル・ゴアに対して同じこと言える? って聞いてみたい。だから若い子たちが腹を立てるんだと思うな。家の中で「あの子はちょっとおかしい」とごにょごにょ言っているのとレベルが違うもん。