I was miles away

日本語で「あ、今、ぼうーっとしてた」と言うとき、比喩的に「あ、ちょっと今遠い世界に行ってた」と言うことがあります。英語だと「I was miles away」です。比喩的にではなく、本当に「遠く離れたところにいた」の場合も、「I was miles away」ですが。

「mile」が使われているので、これはアメリカ英語ですね。イギリス英語だとどうなるんでしょう? Kilos away??? なんか響きが悪いですね。別の表現がありそうです。カナダ英語は、文化的にはイギリスの影響が強くても、地理的にアメリカに近いので度量衡に関しては入り混じっています。なので「I was miles away」と言っても通じます。

カナダで難しいなと思うのは布を買うときです。店員によって、ヤード(yard)、メートル、インチのどの単位で注文しても、換算して「単価はヤードだからこれくらいになるけどいい?」と親切に対応してくれる人もいれば、メートルで注文すると、「うちはヤードでしか売らないから!」とぶっきらぼうに言う人もいます。

ところで……

先日「ピヨちゃん」を初登場させた動画の再生回数が桁外れに多く、驚きました。そして、なんと、初めての「dislike」を獲得しました!

この動画チャンネルは「ユーチューブ」という大海の一滴にもならず、わずかな回数しか再生されていないので、ある意味、「dislike」は一大ニュースです。

My lips are sealed

英語でも「My lips are sealed.」と言いながら、指先でチャックを閉めるような仕草をする人がいます。その辺は、国境ないんでしょうか。他の言語だとどうなんでしょう?

「絶対誰にも言わないでね」と言ったって、人のお口にチャックなどできません。秘密とは不思議なもの。誰かに秘密を打ち明けられると「信頼された」と思ってうれしくなる反面、それを誰かにばらして、信用を裏切ってしまうのです。

なーんて言うと、「やだやだ、自分のことは絶対誰にも言わないでおこう!」と思うかもしれません。

でも、自分の苦しみを他人に打ち明ける行為は、自分を客観視する第一歩のような気がします。苦しみや悲しみの主人公になっている間は、そこから抜けられない。だって、主人公なんですもの。

とはいえ、人に苦しみを打ち明けるとき、何も赤裸々にぜーんぶ話す必要もないと思います。文章を書いたり、絵を描いたり、俳句を詠んだり、写真を撮り歩いたり、何かしら自分の思うままにできることで、心の中の黒いものを浄化させて表現するのもいいかなと思います。

話は変わり、動画に新しく登場したピヨちゃんですが、他の2つ(キクとタマ)と同じメーカーのものなのに、この子はやたらとはきはきしゃべるのです。開けてびっくりです。実はそれぞれに癖があり、猫のタマは、私がしゃべっている先からものまねしはじめるので、結構大変です。トイプードルのキクちゃんは、英語を話す設定なのですが、英語の子音をうまくキャッチできません。まあ、英語ネイティブでない私の英語がうまく聞き取れていないだけなのかも……

カウチ作った

なんたって座ってキーボード叩くか、読むかが仕事なので、家の中のあちこちにいろんな座り心地のイスがある。マッサージチェアもある。高さ調節できる机を使っているので、バーカウンターくらいの高さにして、立ったままキーボード叩くこともある(レバーをくるくる回すだけで、モニターなどを机に乗せたまま、高さ調節ができる)。それでも長時間働けば、足がむくむ。

てなわけで、ゴロゴロできるカウチなようなものが欲しかった。以前はいちいちベッドに寝転がりに行っていたが、それだとついうっかり寝てしまう。

かといって、カウチや、オットマン付きのリクライニングチェアは場所をとる。場所をとらず、畳に座っている感覚で、体育座りもできて、時どきもたれかかれるものはないものか?? 探したけどアマゾンにもなかった。

そこで、家の中にあった、いらないIKEAのマットレスをハサミとカッターで縦に真っ二つに切ってみた。スプリングコイルは入っていない。巨大なスポンジが入っているだけだったので、切るのはいたって簡単。

しかしスポンジは表面が滑らかでない。そこでまず、激安なコットン布でスポンジを包み込む。それをさらに、家具用の布でまた包み込む(こっちの布は厚手なので安くはない)。布のほうが高くついたけど、ま、カウチを買うより安い。布は、待ち針をいっぱい突き刺して、引っ張りながら、縫い付けた。待ち針は後で抜き忘れないように!!!

コロナ禍で突如在宅勤務を強いられ、まずは家のオフィス作りから検討しないといけない人も多いはず。何年も在宅勤務やってますが、完璧なオフィスはなかなか作れない。これから机を買うって人には、高さが調節できる机をお勧めします。

I took the rap for it

I took the rap for it

「rap」には「非難」という意味があります。「I took the rap for it. 」は「かばってあげた」「かばってやったんだよ」くらいの意味です。「I took」で始まるくらいですから、積極的に罪をかぶってます。

無償奉仕という言葉がありますが、それはバランスがとれている場合にのみに通用するものだと私は思います(主従関係がはっきりしている関係とか、相手が「公共」「大義」「神様」のような自分よりも大きな存在の関係とか。平等でない関係のほうが無償奉仕しやすくないですか?)。「XXXしてあげた」が「XXXしてあげたのに」に変わるとき、バランスは崩れているのです。崩れているバランスを直すとき、なぜか人間は「ただでは置かないぞ!」と思ってしまいます。裏切られたと思うからでしょうか。最初の一歩は無償奉仕のはずだったのに。複雑ですね。

ところで……

動画の投稿は久しぶりです。ずっと前に撮りためてあったのですが、編集する時間がなかった。この4カ月間、私の中では大書を訳していました。数えたら、これで11冊目でした。2014年に出版翻訳を始めたので、なかなかよいペースで仕事を受けているのではないかと思います。出版翻訳を始めるにあたり、諸先輩方に「10冊やって一人前だと思ってもらえる」と言われましたが、今はその言葉の意味がよくわかります。それは、翻訳の技量だけでなく、時間配分を自分で決めてスケジュールどおりに仕事ができるか(たった一人でやるのでプレッシャーがすごい)、次につながる仕事ができているか(思うように仕事がはかどらず、原作者など他人のせいにしたくなる誘惑に耐える)、ある種のことをペラペラSNSで言わないとかが試されているのだと思います。それに、10冊もやると、様々な関係者から厳しいフィードバックをもらうので腕も磨かれます。

文筆業って自己実現じゃなくて「職業」なんだな、としみじみ思います。はるか遠いところに「自己実現」のゴールはありそうな職業ではありますが。

Lack of Awareness

「意識高い系」と意識の高い人々を揶揄する言葉が流行りだしてずいぶんと経ちます。自分のことや明日のことで精一杯なのに、遠い外国のことや、いつやってくるのかわからない未来のことで説教しないで!! という叫びを短く凝縮させたような言葉です。ただ、こういう表現はどれほど浸透しても揶揄でしかなく、イソップ物語でキツネが「チェ、あのブドウは酸っぱいんだよ!」と言っているのに等しい。人間臭さを放っていて好きですが。

しかしながら、「意識が高い人々」に「多様性」を声高に説教され、まるで自分が偏狭であるかのような言い方をされてしまうと、「いやぁ、思考の多様性を尊重してよ!」と言いたくもなります。ところが議論には滅法弱く、ついつい「意識高いね」と褒めているかのように見せかけて終わり……。

私は今、山崎豊子の『不毛地帯』を読んでいるのですが、主人公の壱岐正は、戦前の軍事教育を受けた超エリートで、戦後、商社で働きながら、ものすごく冷徹に物事を判断し、情報通で(情報の質を確かめるのがうまいという意味)、会社を大いに成長させています。ところが、彼に「蹴落とされた」「脅かされている」と感じる人々が、じゃんじゃん出てきて彼の足を引っ張る…… この負のパワーのすごさといったら!! しかし、壱岐正は絶対にこうは言わないのです。

「あいつら、意識低いな」

じゃあ、お前はどうなんだよ!? って話なんですが、私は個人的に揶揄表現はなるべく避けるようにしています。とは言っても、いつの間にか口から出ているのですが。一応、言霊を信じてます。

ちなみに英語の「Awareness」には、翻訳者として悩まされることが多々あります。それは何を「Aware」しているのかがよくわらかないからです。「Aware」って意外と無責任だし。幸いなことに日本語でも「意識している」というのは、ぼやーっとしているので助かってますが。テクノロジーの世界でも、「hardware-aware」なんて言葉が出てきます。「何だそれは!」です。最近のテクノロジーは意識が高くていやになります。