新しいことしてみる?

年末も年始も変わりなく、ひたすら仕事をしていましたが、同業者をはじめ、フリーランスをしている人はみな同じようでした。でも、お勤めをしている人はそうじゃない。私も会社員時代は、「長い休みがないと、やってられねぇ」と思っていました。ちなみに私は、アメリカの企業に勤めていたときはもちろん、日本の会社でお勤めしたときも、有休を全部取りつくしていました。「有休」それはサラリーマンだけが持つ特権です。

この間、大組織の中で働いている知人が、「定年が来たら、さっと身を引いて違うことがしたい」と言っていました。その気持ちがとてもよくわかる気がしました。ちなみに私の父はささっと仕事を辞め、ぶらぶらしていましたが、長生きしているせいで、もう「仕事を辞めてぶらぶらしている時間」のほうが長くなっているはず。私の祖父はその逆で、一生現役。体が自由に動かなくなるまで働いていました(自分で起業した会社だったので、誰もクビにできなかったのかも??)

まあ私も一生現役で行くでしょう。というか、自分で「これも仕事のうちだ」と思ってやっていることの多くは、他人にとっては遊びのようなものだから。遊びでない証拠(?)は、映画やドラマを観るにしても、読書にしても、メモをとりながらやってるってこと。いつもメモ用紙に書きこんでますが、すぐなくすので、書いたら文箱のようなものに入れてます。ところが、その文箱がパンパンになってきたので、スキャンしようと思って、スキャナーを買いましたが、スキャンしてる時間がないです。

この間までやっていた翻訳の仕事で、訳しながら図を描いていました。それがないと他の人も原文が何言ってるのかわからないと思ってスキャンしました。それが新しいスキャナーを使った初めての「メモ」でした。なんと、その図は訳書の中に使われるらしいです。すごくないですか? 私の理解が合っていたという証拠ですよ!?

さてさて、今年、何か新しいことをはじめるとしたら? と考えていたのですが、クリスマスプレゼントにポッドキャスター用のマイクをもらったことですし、ポッドキャストしてみよっかな。ユーチューブライブに出たとき、意外に楽しかったし、見てくれた人も面白かったって言ってくれたし。

もちろん、去年はじめたことも続けますよ。著作権切れの作品の翻訳とか、書評講座とか、その他諸々……

できるかなぁ、滑舌が悪くて、要領よくしゃべることができないのに。よくわからないでいたら、「わたしがプロデュースしちゃる!」という猛者が現れました。とりあえず、5回くらいやってみようかな。目標設定はいつも低め、が信条の私です。

でも、もともとブロガーだった人が音声&映像に乗り出した結果、「ブログのほうが隙間時間に読めてよかったのに!!」と思うことは多々あるので、続かないかもしれません。スキャナーと同じで、このプロ用マイクもインテリアと化す可能性は高いです。

2021年も終わり……

今年も近辺以外はどこにも行けなかった。楽しみにしていたニューヨーク行きも危ぶまれている。

2021年は盛りだくさんだったけど、すべてが仕事がらみだったような気がしてならないのが、残念といえば残念。すごくよかったことは多くの同業者とつながれて、親しくなったこと。

1)YAの勉強会に入れてもらった。自分はYAが結構好きなんだということに気づいた。

2)セルフパブリッシング講座をとった。出版社を作るつもりはないけれど、出版業界のいろんなことを学んだ。すごい情報量だったので、自分に関係ないところは忘れてしまうかもしれない。いろんなことを知らなさすぎて、バカ丸出しで講座を受けたけれど、講師に手取り足取りでいろんなことを教えてもらった。

3)翻訳者向け書評講座をやった。こちらは、講座直後に炎上事件が起きたので、いろんな意味で心に深く刻まれた。この機会に同業者たちと親しくなれたのもうれしかった。書評というものは何なのかを深く考えさせられた講座だった。受講者の間で盛り上がって、有志が書き直したものをここに載せてる。

4)クラブハウスで同業者と頻繁に話した。私はそれまで一匹狼的にひとりで黙々と仕事をしていたので、他の翻訳者とこれほど密に情報交換ができたのは、本当にありがたかった。毎回情報交換をしているわけではなく、無駄話をすることも多いけど、それも楽しい。

5)同人誌『クリスマスの伝言』を作って出した。イラストレーターの友人にはこれがきっかけで仕事が舞い込んだが、私には…… 来年に期待しよう。同人誌やクラファンという形態で翻訳物を出版している人々に直接体験談を聞けたのはとてもラッキーだった。どの形で出版物を出すにしても、それぞれに違った苦労と喜びがつきもの。同人誌は「著作権切れ作品」を掘り出す作業が意外と楽しい。

6)本は4冊訳したと思う(まだ刊行されていないものもある)。

7)カナダを伝える会を発足させたけど……(目的が明確でないよね。反省)

8)ユーチューブライブに初めてゲスト出演した。恥ずかしかったけど、始まってみれば楽しかった。誘われればまたやってみたい。3人で鼎談がいいなぁ。翻訳について、ためにはならないけど面白い小話(または裏話)をいっぱい集めた披露会とか。

9)友だちとゆるく続けている句会が、リアルには集まれなくなって早や2年。記念に『パンデミッ句』という句集をみんなで作った。

10)デジタルピアノでけっこう遊んだ。しかし一向にうまくはならない。

11)配信を見まくった。そのせいなのか、あんなに大好きだった映画館へ行くのが億劫になった。1回しか映画館に行かなかった(非常に楽しかったけれども)。白黒映画同好会の人々とも2年以上会ってない。みんな大丈夫かしら?と心配になることも時々あるけれど、後期高齢者や健康に問題を抱えている人が多かったので、怖くて連絡できない。白黒映画は後期高齢者と見に行くと楽しいんです。当時のことを昨日のように話してくれるから。

12)今年も、編み物も刺繍もほとんどできなかった。以前、どうやって編み物の時間を捻出していたのだろう?と考えて、ふと思い当たった。今年は配信をメモをとりながら見ていたせいで、お手々が忙しかったのだった!

13)カリフォルニア州からカナダに持ってきた赤いプリウスにさよならした。思い出深い車だった。ディーラーで買った、その足でNHLの試合を見に行った。ディーラーのおじさんが「新車をいきなりかっとばしたら、あかん! 時速60マイル!」と注意する声を背中で聞きながら、時速80マイルで走った。ギリギリ試合に間に合った。オバマの大統領就任演説を聞いたのも、あの赤いプリウスの中だった。初の黒人の大統領ということよりも、あの若さに感動して、車のなかでうるうるとしたのを思い出す。プリウスを売った中古車屋のお兄さんに「これ、どこへ売るんですか?」と訊いたら、「外国」と言っていた。次は、暖かい国に行ってもらいたい気がした。

14)『白鯨』を読み通したのをきっかけに、鯨好きになった。

15)去年よりツイッターを使うことが増えたけど、それは良し悪し両方あるな。

クリスマスはゆっくりしたけど、年末年始は仕事。暖かくなったら、どこかにパァっと行けるようにしたい。

来年は、そーねー、持ち込みを成功させてみたい。今年はそのやり方をいろいろ学んだ一年だったので、それを活かして。

A Man of a Small Calibre

カナダではワクチン接種が進んで新型コロナウィルスの新規感染者が激減し、経済再開が進んでいます。しかし、デルタ株が増えてきている……。

そんなわけで、お店の中に入るにはまだまだ必ずマスクをしなくてはならないのですが、夏になってマスクで顔を覆うのがつらいのと経済再開の喜びから、マスク着用を嫌がる人もいます。先日、マスクをしていないおじさんがスーパーマーケットへの入店を拒否され、店頭でごねていました。若い店員さんが気の毒でした。

揉めている間、後ろで待たされた私は「器の小さい男だな」と心の中でつぶやきました。このような状況で男性に対しては「XXが小さい」という表現がよく使われます。文化的に「男たるもの大きくあれ!」と求められるのですね。しかし、女性とて同じです。

そこで、「A man/woman of a small calibre」という表現を紹介しましょう。Calibreは「器量」の意味です。

英語を学びはじめたばかりの頃は、ポジティブな表現や謙遜の表現をまず学び、ちょっとむかついたときなどに言いたい言葉は後回しになります。「I’m angry」と言いながら地団駄を踏むくらいしかできません。しかし、それは語学学習におけるサバイバルスキルなのです。幼児が母語を学ぶ場合と同じです。まずは「ママ、ママ!」と可愛い言葉を発し、「このババア!」と言えるようになるのは、自分の足で走って逃げる能力を体得してからです。語学学習でも、人をけなす表現を学ぶのは、外国語である程度自己弁護できるようになってから。そこに行き着くまでは、腕力に頼るか、我慢するかの二択です。英語学習、がんばりましょう!

This will go with me to my grave

大変長い間が開いてしまいましたが、きくたまの動画を作りました。間が開いたのは本業のせいです。

動画編集ソフトを長らく使っていなかったので、アップデートがあったり、サササっと編集するコツをすっかり忘れており、時間がかかりました。本格的なポッドキャスターやブロガーたちがよく、「時間を決めて毎日更新しろ」と言うのがわかる気がします。

あまりに久しぶりなので、私の動画編集ソフトで使えるエフェクトや効果音、音楽などが増えており、「ほう、こんなものもあるんだね」と使いもしないものをクリックしては眺めておりました。

基本コンセプトとして、英語学習とぬいぐるみとミニチュアは外せないのですが、1分も満たない動画にやたらと手間暇かけて作っています。最近、こういう動画づくりについて助言してくれる人々がいることを知り、なんか目から鱗が落ちるようなことを教えてくれるなら、と変な期待を抱いて、連絡しようか迷っています。最初は無料コンサルで、「おおっ!」と前のめりになった段階で有料になるのだと思いますが。

まったくの独習で、手探りで知ってる機能だけを使って、このまま突っ切るべきか、プロっぽくしてみるべきか、自分でもわかりません。わかっているのは、ほんの数人、ファンが存在することだけ。

This will go with me to my grave は秘密を「墓場まで持っていく」という意味です。

いろんなことがめんどうくさい気分

長期間休みなく働いたせいなのか、急に静かになって、投げやりな気持ちになっている。本を読んでも、映画を見ても、散歩しても、ピアノを弾いても、なんかもうひとつ面白くない。

私は、これまで大してツイッターをやってこなかったのだけれど、最近、いつもより頻繁につぶやいたら、もらい事故が発生。コレ↓

やたらポジティブ思考で悪かったな。

著名人からの流れ弾だったので、私からしてみると恐ろしい数の人がこのツイートを目にした。私のつぶやきの内容に同意してくれる人が半分、「なんだこのお花畑系のやつは!?」と思った人が半分といった感じ。これが短文投稿の世界の現実……。実を言うと、私がネット世界で「お花畑批判」を受けたのはこれで2回目。1回目はニットで募金活動を始めたとき。どちらも面識のない人からの批判であることに注目したい。

さて、このブログには、私が前向きな気持ちになれた経緯を書き残しておこう。

先週、ジュリエット・カーペンターというアメリカの日本文学の翻訳者(結構なお年の大御所)の公演にズームで参加したときのこと。参加者の誰かが、「専門にしている分野ってありますか?」と質問した。それに対し、ジュリエットはこう答えた。

「専門分野って…… 何も自分の可能性を狭める必要はないでしょう?」

さらに彼女はこう続けた。

「安部公房の小説が訳したいからって、安部公房の本しか読まないわけじゃないでしょう。いろんな本を読むわけでしょう?」

彼女は仏教の専門書も訳すらしく、そのときは仏教の専門家の助けを借りている。翻訳者には、編集者という陰の功労者が付いているから、最終的に訳文が磨かれるのは、編集者や専門家のおかげだとも言っていた。まさに。自分が書いた訳文を世間が目にする前に、推敲を手伝ってくれる人々がいるからこそ、世に出せる。つまり、翻訳者とは翻訳の専門家だということ。もちろん、専門知識があれば大いにプラスになるし、そのための勉強もする。

他の訳者がどうなのかは知らないけれど、私は自分から訳書を選ぶ立場に立ったことがない。まず翻訳予定の原書があって、それを「翻訳しませんか?」と打診される。あるいは、試訳を提出して、何人かの訳者と競い選定される。むしろ、「そろそろ、これくらいのレベルの本を一人で担当できますよね」と成長の機会を与えられる。

ノンフィクションの形をとりながら小説みたいなストーリー性の高い本なら訳した経験があって、いつか小説を訳したいとは思っているけれど、まだ声を掛けられたことはない。つまり、自分の能力を顧みずに本の翻訳を引き受けたことは一度もない。そもそも私は翻訳界の片隅にしかいない。私のようなポジティブ思考の人間が、その思考回路だけで「アマンダ・ゴーマンの詩を訳したい」と挙手しても、出版界や世間が認めない。

後で調べて気づいたけど、ジュリエット・カーペンターは私の母校の先生だった。在学中に既に教鞭をとっていたらしいけど、覚えていない。川端康成の『雪国』を訳したエドワード・サイデンステッカーに師事して翻訳を学んだ時代の人だ。日本文学を訳せる人がそれほど多くなかった時代に、作家や分野を問わず、積極的に何でも翻訳に取り組んだ人の言葉に私は感銘を受けた。

ちなみに、件のツイートは削除していない。プチ炎上しても24時間以内に鎮火することを身をもって知った。