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ひらがなでよめばわかる日本語

これを読めば、句会でかなりパワーアップした句をひねることができるのでは? 訳文を作るときに役に立つのでは? などといやらしい欲を出して手にしました。しかし、「やまとことば」を語る背景として、そこここに散りばめられた神話や古代人の考え、万葉の歌がことごとく面白かったです。俳句も訳文も自分の言語力やセンスの範囲を超えたものは作れない。「なんか盗めるかも?」と考えたのはせこかった。

ところで、私の俳号は「今日丹」です。「ショーン・タン」みたいな響きですね。

仕事上、言葉をいろいろ知っておいたほうが武器になるし、ブログを始めるずっと前から、すてきな言葉をメモしています。この本を読み終わってからぱらぱら見返すと、どうも頭でっかちな「熟語」とかが多く、なんかちょっと恥ずかしかったです。もっぱら、そのときに読んでいる本に影響されているのだと思うけど。逆に、英語のすてきな言葉は、ドラマや映画のセリフが多くて、キャッチーな言葉ばかり書き留めてありました。いずれにせよ、自分が「こんな言葉が駆使できる人間になりたい」の欲望がうずまいておりました。

『ひらがなでよめばわかる日本語』は、日本の神話を知ることもできるし、著者が何をもって「やまとことば」と考えているのかもわかるし、日本の古代人の考えまでもがわかるような気がしてきて、なんというか、今のごたごたした世の中を忘れさせてくれるような、悠久の時の流れを感じさせてくれました。

日本の神話と言えば、もちろん三重県のこともちらちらと出てきて、ぐいぐい読んでしまいました。終わりのほうは、おそらく国語を研究している人たちの間ではまだ議論されていて、決着がついていないようなことも書いてありました。そういうトゲトゲした話題から入らないところに上品さを感じました。

Cobra Kai (Season 3)

新年早々からコブラ会見てました。シーズンフィナーレには必ず「ボコボコの乱闘シーン」が来るのですね。

今シーズンは中年の大人たちの「自己実現の欲求」に付き合わされて、そこが面倒くさく感じた分、高校生たちの悩みがより一層ピュアで、真剣そのもののように思えました。彼らの悩みというのは自分で選んだわけではない、むしろ親から与えられた試練のようなものなので…… でも、高校生に正しいSNSの使い方をいい年した大人が教わっている場面など、ほのぼのとするところもあったりします。

私にとって『コブラ会』の面白いところは、若い時は貧しくて純粋だったダニエルが成功者となったがために、財力をふりまわしていることに本人がまったく気づいていない点です。今回も、リッチなミヤギ道場が、またまた金に物を言わせてコブラ会つぶしにかかっていました。一応、ミヤギ道場は「善」を重んじる道場なので、何をしても許されるような感じで描かれているし、そういうことに関しては「悪」のほうがまともなのですね。だから「悪」のほうはミヤギ道場を「ボコボコにしたくなる」のでしょう。

オリジナル映画に出ていた俳優たちの同窓会のノリも、それはそれで楽しかったです。エリザベス・シューは『リービング・ラスベガス』の頃を思い出して、「へぇ……」と思ってしまったんですけどね。

謹賀新年

会津の赤べこ。赤は魔除け。これは柿渋の赤なので、元々こういう色です。

今年の干支は何なのか、失念していたところ、SNSの投稿が牛だらけになったので気づきました。フリーランスになると、年末年始にまとまった休みを取るのは難しいです。なぜかというと、企業にお勤めの人々が休み前に「これお願い」と仕事を渡し、「1月5日頃に仕上げてくださいね」と言うからです。でも今年は、在宅勤務で年末年始も働いた人が多かったりして(お仲間!)。

2020年はまったくTJWKの活動をしなかったのですが、日本ではいろいろと活動があったので、反則的ではあるものの、自分のお金をTJWKからあしなが育英会に寄付しました。旅行のキャンセル代がまだ残っていたので。

新年の抱負を考えようとしたら、2020年の抱負がほぼ全滅しているので無意味だわ…… と思いました。仕事にかかわるようなことなら計画は立てられるし、目的意識も持てるけど、プライベートなことにはだらーっとしたい。いや、気の赴くままに好きなことをやっていたいです。

ある本を読んでいたら、「あそぶ」の「あそ」とは「ぼんやりした状態」のことを言うのだそうです。だから、阿蘇山のような火山や火山灰地が広がるような場所には「あそ」とか「あさ」という名前が付いているのではないかと……。なーるほど、確かに、火山灰や霧や靄、砂塵など、前後不覚になるようなものは、ぼんやり、漠然としています。

というわけで、2021年は「あそび」の年にしたいと思います。

ま、毎年同じようなこと言ってますけどね。

赤坂で

コロナ一色で終わってしまった2020年。年の瀬に一年を振り返ってみようかと思ったら、妙なことを思い出した。

10年以上も前の出来事だと思う。私は家人と赤坂のイケイケな感じの店にいた。私たちの後ろには男3人女3人のグループがいて、座り方からいって合コンだった。ま、それで「合コン文化」の説明というか、盗み聞きをしながら家人に実況中継をしていた。

終電の時刻が近づいたらしく、みんなが連絡先を交換しだし、「今度一緒にゴルフに行こうね」という社交辞令が交わされていた。が、一人、そのような情報交換を固辞している女がいた。これまでの会話の流れからいって、その女は比較的男たちに人気だったようで、男たちから相当にしつこく「何らかの直接連絡を取る方法」を訊かれていた。終電の時間は迫るし、男たちをかわさなければならないしで、切羽詰まったのだと思うが、

「あたし、実は既婚者なんですぅ」と女は言った。

ざわめきが波のように広がり、それまで背を向けて盗み聞きした私も、少々の時差をつけて振り向いた。若い時の木村佳乃風の、清楚な感じの、だけど私の友人の中には絶対いないようなタイプだった。

合コンがどのようにお開きになったのか、私はショックのあまり覚えていない。彼女が女の友人とそそくさと駅に向かって行く姿を目で追ったことしか覚えていない。

人がいなくなって静かになった店で、「ああいうのがいちばん恐ろしいタイプだね」と私はもの知り顔で言うと、「なんで?」と訊かれた。ま、私も本当はよくわかっていないで適当なことを言っただけなのだが。いろんな意味で罪づくりじゃないですか?

この一年間、こういう機会がまるでなかった。人々のドラマを盗み聞きする日が一日も早くやってくることを願ってやまない。

死ぬまでに行きたい海

『死ぬまでに行きたい海』というタイトルなのに、著者の岸本佐知子さんは、それがどこの海だったか思い出せないのだそうで…… 共感できるところが多いから(同じ職業のせい?)岸本さんのエッセイが好き。コロナ禍で日本の書店がやっているブックイベントにカナダからでも参加できるようになり、この本のイベントものぞけたのは本当にありがたい。こっちからだと午前5時始まりだけど、徹夜で働けばちょうど朝寝前に参加できて、私にはちょうどいい。オンラインのイベントだと質問もしやすいし、実際参加者の質問はおもしろい。

私は伊勢湾のそばで育ったせいなのか「海は働くところ」「怖いところ」のイメージがあります。今まで入った中でよかった海はクレタ島にあるエラフォニシビーチ。ものすごく遠浅の海が広がっていって、カバンを頭の上に乗せて水中散歩する感じでした。見てよかった海はイギリスのセントアイブスの海。冷たそうだから見ているだけで十分。

死ぬまでに行きたい海があるとしたら、ずっと昔の記憶の海にもう一度行きたい。子どもの頃、ウミガメの卵を発見した実家の家の近くの砂浜とか。砂を掘り返してみつけたので、今思えばかわいそうなことをしたわけですが。一緒に卵を発見した姉は、「幼稚園の友達に見せる」と大事に卵を持って幼稚園に行ったら、カメが死んでいたというホラーな経験もしたらしいです。

同じ砂浜には桜貝の貝殻もふんだんに落ちていて、「今日は桜貝だけを拾い集める」というルールを決めて、みんなで桜貝だけを拾いながらどこまでも歩いていった記憶もあります。拾った貝はビニール袋に入れ、それを振り回しながら歩くので、華奢な桜貝は家に着く頃にはほぼ全部割れているのですが…… バブルの頃、四駆で砂浜を走る同じくらいの若者たちを見ては、「あんなことしたら桜貝が全部割れる!」と怒っていたのも覚えてる。

地元の海だけど、家の近くではない浜へ(江戸橋駅からだったと思う)、一人で行きました。その頃私は『赤毛のアン』シリーズの制覇中で、砂浜に寝転がって本を読んでいると、いつの間にか寝入ってしまいました。自分のスース―した寝息に「さらさらさらさら……」と水の音が伴奏が……ものすごく身近に聞こえる…… がばっと起き上がると、満潮になってきて周り一帯が海になっていました。私のいるところだけが島になっていて、砂浜は彼方遠くにありました。あのホラー体験をした浜辺は一体どこなのか、今は思い出せませんが、河口付近だったような気がします。