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白鯨 モービィ・ディック(1)

コロナの巣ごもり生活で、長編が読みづらくなった人もいるらしいですが、私は逆です。長編を読んでもいるし、読もうと思って買ってもいます。以前から『白鯨』を読みたかったのですが、歴代、いろんな訳者が翻訳しているので、どれにしようかと悩んでいたところ、豊崎由美さんが「千石訳で読んでもらいたい」と言っていたのを聞き、講談社文芸文庫の千石英世訳を買いました。

実は昔、他の古い和訳をいくつか読みかじったことはあったのですが、なんせササっと読める話ではないので、何度も脱落しました。今回は今のところ脱落していませんし、他のものも読みつつ、非常にゆっくり読んでいます。

今回は、「おや?」と心に留まったことをツイッターでつぶやきながら読むことにしました。諸事情で間をあけると、内容を忘れるかもしれないので、それを防ぐためでもあったのですが、なかなか功を奏し、結構覚えています。ライブ読書っぽくなっているので、「#モーヴィ・ディック」で検索してみてください。

『白鯨』を古典と言っていいのかよくわかりませんが、古典は新鮮です。小説が書かれた1851年頃は、アメリカのマサチューセッツで捕鯨が盛んで、これまた外国人乗組員をたくさん捕鯨船に乗せていたことも意外なら、エイハブ船長がそもそも片足を失ったのは日本沖だったというのも知りませんでした。この小説を「鯨文学」と人が言うのも納得なほど、19世紀半ばの捕鯨情報が克明に描かれてます。狂気と正気の対比もすごいです。

というわけで、下巻に進みます。

『帝国の遺産』が日経新聞で紹介されました

帝国の遺産 – 何が世界秩序をつくるのか』が日経新聞の書評欄に紹介されました(有料記事ですが)。京都大学の国際政治学者、中西寛さんに書評していただきました。https://www.nikkei.com/article/DGXKZO70630360S1A400C2MY6000/

中西さんも書いておられますが、この本は、技術的進歩によって人類が統一されていくと考えるユヴァル・ハラリのような人たちの主張には懐疑的で、どこの国ももっと過去の伝統を引きずっている、という見方をしています。

とても高額な書籍なのに、この書評が出たとたん、アマゾンで品薄になったようです。少しくらい待っても、色褪せない内容ですよ。また、honto や、他の書店の店頭に並んでいるようですし、日本各地の図書館にもあるので、ぜひぜひ読んでみてください。自分の気になる章だけ読む、という飛ばし読みをしても大丈夫な構成になっています。

クラブハウスでやっている、なんでもかんでもブレインストーミングの説明

最近、クラブハウスをよく聞いている(よく参加もしている)。翻訳者の集まるクラブの中で、2回、自分のルームを作ってやってみた。私の中ではどんなふうにやりたいのかイメージが出来上がっているものの、他人にはわかりにくい。これからもたまにやろうと思うので、説明しておこう。「なんでもかんでもブレインストーミング」では、何かを学ぶわけではなくて、ただの遊びです。

1)お題が出る。最近のお題は「男が公園ですべり台を見つめている」

2)その男はどんな服を着ていて、何を身につけていて…… といった詳細を適当に言い合って肉づける。情景や時間などの、細かいところも。

3)途中、脱線しておしゃべりをする。 「男が公園ですべり台を見つめている」 の場合、「男」がポケットに「ポメラ」を忍ばせているという設定になったので、しばらくポメラについておしゃべりしていた。つまり、お題は、単におしゃべりを促進するための道具。「ポメラ」とは何か? 気になる人は検索してください。

4)みんながしゃべっている間、私はメモを取っている。クラブが終わったら、そのメモを写メとって、ツイッターに投稿する。

5)途中から参加しても意味がわからないので、集合時間の後10分くらいはうだうだしゃべる。ある程度人数が集まったらブレインストーミング開始。正味15分で終わりかな。

6)時間はトロントで午前10時、日本だと夜の11時、ヨーロッパだと午後のおやつの時間。

余談だけど、私は、クラブハウスが爆発的にユーザーを増やした時期の後に入ったので、当初がどんな状態だったのか知らない。今は、ずいぶんとユーザーが減り、一部の人が小さなクラブやルームを作って集まっているのだと聞いた。

私がいいなと思ったクラブ(ルーム?)は、何よりもまず、自分がよく参加している「文芸翻訳者とその周辺の人々」の集まり。それが終わる頃、アメリカのルームだと思うけど、仏教徒の人たちがひたすらお経を聞くルームがある。日本のお坊さんが読経しているのとはリズム感が違って、なんかこう、BGM風にアレンジされている気がする。なので、私も数分だけ、そこへお邪魔してお経をBGMにする。

あとは、偶然行き着いた、麻雀の会。麻雀のゲームそのものはインスタライブしていて、音声用にクラブハウスを使っている。私は麻雀やらないけど、みんなが楽しそうにしているのをBGMにした。偶然見つけただけだから、またあのルームに行けるかどうかわからない。

ま、要は、なんらかの共通の趣味を持っていて、地味に暮らしている人たちが、いい塩梅に使ってるという感じ。いつも議論や講座を開いているわけではないってこと。課金目当ての人たちは消えていなくなったってことなのかな??? 

あと、音声のみなので、非言語情報がよく伝わるのも私にはいいかも。

これなら、手芸部も復活できるんではないか!?と思ったり。各人が何を作ってるかなんてどうでもよくて、ただ、しゃべりながら手を動かす。何かを見せたい人はツイートかインスタに写真投稿すればいい。問題は、私の手芸友だちはクラブハウスにいないこと…… ま、でもやってみよっかなぁ。

翻訳教室

先日ひさかたぶりに地下鉄に乗って、友だちと落ち合い、散歩して、公園のベンチで本や翻訳の話をした。互いに、「ところで翻訳の勉強といえばサ」と言いながら、ほぼ同時に出したのが『翻訳教室』

まさかのかぶりに大笑い。日本にいるならまだしも、トロントで……

翻訳のテクニックを学ぶ実用書ではないけれど、シルバースタインの『ぼくを探しに(The Missing Piece)』の原文を読み解く作業を小学生たちと一緒にやる仕立てになっている。ささっと読めるし、心に残る。あとで気になるところを何度でも読める。

友だちとはいろんな本を貸し借りして、また地下鉄に乗って帰った。

今の地下鉄では悲しい光景を目にするね。ホームレスの人が安眠できる場所として使っているようで、ぐたーっとなって爆睡している人、せわしなく歩き回る人、ぶつぶつ独り言をつぶやく人などが何人か乗っていて、気の毒なことだとは思いながらも、警戒しながら目の端で彼らの動きを追う。ここはニューヨークじゃないから、とは思うけど、一応。

この間、カナダ人たちの集まるクラブハウスに誘われ、みんながアジア人への人種差別について正直な気持ちをぶちまけた。私もぶつけた。ただ私の場合、カナダで生まれ育ったわけではないので、他の人の怒りとは質的に違う。ぶつけ方がどこまでも自分の域を超えない。他の人はコミュニティの問題、移民の問題として、どことなく「共通項」があるような話し方をしていた。私が話したのは、彼らとは違ってこんな内容……

コロナが始まる2年前、私はとある酒場であからさまな人種差別を受けた(マイクを持った人に)。その場で言い返せなかったから、そのときの様子や気持ちを、笑いも交えて短いエッセイにしたためた。それをとあるところに送りつけたら、気にいってくれて、掲載したいと言ってきた。数回メールをやりとりしたものの、私は最後の土壇場で、見知らぬ人から嫌な反応が返ってきたりしたら、それを見る心の準備ができていないと思って断った。ここまでは、クラブハウスで話せた。

でも、掲載を断った理由はもう1つあった。私を公衆の面前で差別した人は、女装した男だった。だからその人が She なのか He なのか、はたまた三人称単数の They なのかがわからなかった。私のエッセイでは、あえて「He」にしてあった。向こうがあからさまな人種差別をしたのだから、私が相手の人称代名詞に気を遣う必要はない!と密かな報復を込めて書いた渾身のエッセイだった。それを編集者は「They」に修正した。だから私は掲載を断った。「They」に修正しないでほしいと理由も説明した。これはクラブハウスでは話せなかった。

で、この一連の出来事をすべて知っている私のライティングコーチが、「あなたは戦うべきよ! あなたが戦わないなら、わたしが代わりに、その酒場に電話をする!」と騒いだのだけれど、これも私は「お願いだから、やめて」と丁重に断った。あの酒場で、差別的な言葉をマイク越しに言われても戦わなかったのも私なら、エッセイの掲載を取り下げたのも私。「これは私の戦いで、あなたの戦いではないから」と言って引き下がってもらった。

私は私のやり方でしか戦えない。それはクラブハウスで言えた。そしたら、その点はみんなに共感してもらえた。

The Crown、再び

先週、メーガン妃とハリー王子のインタビューがあった。見る気満々だったのに逃した。

1週間後、アメリカのメディアでよくインタビューをする人々がクラブハウスで集まり(ケイティ・クーリックもいた)、オプラのインタビュアー能力をどう評価するか、話し合っているのを聴いた。概ね高評価だった。特に、オプラはあのカップルを個人的によく知っていて聞きにくいことも結構あったのに忖度しなかった点や、現代のアメリカ人視聴者が気になるところ(人種問題とメンタルヘルス)をよく引き出していた点が評価されていた。ダメ出しもされていたが、それは「イギリス王室や歴史」に対する知識が足りない、というもの。私はインタビューを見てないから、なんとも言えないけれど、結構突っ込んだインタビューのテクニックにまで話はおよび、ほう…と関心を持って聞いていた。

ここのところ、メーガン妃とハリー王子の王室離脱、フィリップ殿下の入院などが重なり、私の周辺ではイギリス王室が熱い。そこで『ザ・クラウン』をもう一度、最初から全部見た。『ザ・クラウン』のシーズン1の肝は、25歳の若きエリザベス女王とともに、そもそも「君主とは何なのか」を視聴者が知ることにある、と私は思う。現代人の目には君主といえども「等身大」にしか見えないもんね。

私がいちばん好きなのは、時代と君主制がそぐわなくなり、エリザベス女王と平民出身のサッチャー首相の確執という形で膿が一気に噴き出すシーズン4(前回見たときは、ひたすらダイアナとチャールズの行方ばかりに注目していたけれど)。サッチャーが貴族的保守派をバッサリと切り、帝国的なイギリス連邦を軽視するのも見どころだった。今はイギリス連邦のつながりを新たな経済ブロックとして捉える人もいるので、時代はどんどんと変わっていく……

シーズン4では、エリザベス女王やチャールズ皇太子以外の「王族」の処し方にもかなりつっこんでいる。見直してみると、いろんな細かいところに気が付いてしまい、「よくできたドラマだわ~」と感心。この部分が、メーガン妃とハリー王子の王室離脱につながっている。

メーガン妃とハリー王子のインタビューが放映されることになっていた日の午後、カナダではラジオ番組で「カナダ総督って必要ですか?」とリスナーからの意見を募っていた。伝統を重んじる派と、イギリスの持つ帝国的なイメージを嫌悪する派で意見は真っ二つに分かれていた。カナダで市民権を取得する場合、忠誠を誓う相手は「カナダ」ではなく「エリザベス女王」なので、移民・難民としてカナダに流れ着いた人の中には、「え? 多様性の国カナダに忠誠を誓うんではないの?」と戸惑いを感じる人もいるらしい。伝統派や現実派は、首相などとは違い、選挙で選ばれないカナダ総督の存在は重要と考える。

ドライブしながら、リスナーたちの意見を聞いていて、「みんな普段からそんなにカナダ総督のこと真剣に考えてるの?」と驚いた。時々現実派のリスナーが出てきて、「別に今はそのままでいいんじゃない? 今のクィーンが崩御したときにまた考えればいいんじゃない?」と言っていた。なるほど、決定打を待つか。そのとき、チャールズ皇太子はどう感じるのだろう? と私は心配してしまう。

個人的に私は、、、イギリス王室で慶事があるたびにカナダでも発行される記念切手をせっせと買っては、手紙好きの友人たちに送っていたので、そういうことができなくなる日が来るかもしれないのは残念。