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Where War Ends

ハロウィーンが終わると私の住んでいるカナダでは、赤いポピーのバッジを胸にあしらう人が増えてきます。第一次世界大戦が停戦になった11月11日が「リメンバランス・デー」という戦没者記念日なのです。アメリカではベテランズ・デーと呼ばれています。アメリカもカナダも、第一次世界大戦どころか、現在進行形で様々な紛争に派兵しているので身近な記念日です。

最近仕事で『Where War Ends』という本を読み、そのドキュメンタリーも見ました。アメリカのブッシュ政権時代に始まったイラク戦争で直接戦闘に関わった兵士の、退役後の心の苦しみを描いたものです。

退役後の苦しみにはPTSDなどがあって、アルコールやドラッグに依存して定職に就くこともままならず、ホームレスになったり自殺したりします。戦闘で亡くなれば「名誉の戦死」ですが、退役後に精神的な苦しみから自殺するとそうはならない。兵士が退役後、社会復帰するときに抱える問題を兵士個人に押しつけるのではなく、軍を海外派兵すると決めた社会の問題として考えませんか? と訴える内容です。裏返して言うと、同じ国民の間でも、戦争に行った人と戦争に行っていない人の距離が開きすぎているのです。

本の英語は読みやすいですが、アメリカ軍のことがわかっていないと分かりにくい言葉が出てきます。ドキュメンタリーは『Almost Sunrise』というタイトルで、アマゾンプライムで見ることができます。そう長くはないのでお勧めです。

危機と人類

この度、日本でも人気のジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』(原題『Upheaval』)が刊行されました。下訳で協力させていただいたので、紹介したいと思います。

私が最初に手にしたダイアモンド氏の著作は2005年刊行の『文明崩壊』。当時アメリカにいたので英語で読みました。翌年にはアル・ゴアのドキュメンタリー映画『不都合な真実』も公開され、当時は地球温暖化って何? と気になる人が一気に増えた頃でした。当時のアメリカでは、ブッシュ政権が地球温暖化が起きているとは検証されていないという見解を取っていたのもあって政治化したので、『文明崩壊』が多くの人に読まれたのかもしれません。歴史上、文明が崩壊した原因として、過剰な環境破壊や地球温暖化といった大きな問題を俯瞰できるように語りかけるダイアモンド氏に、尊敬の念を抱いた人も多いのではないでしょうか。

今回の新刊のテーマは政治です。そして今回も「混沌とした現在」からまず離れ、7つの国の政治の歴史を比較しながら、各国がどのように政治的危機を乗り越えてきたのかを分析します。日本もその7カ国の中に含まれています。ただ、今回は個人の心理セラピーを国家に当てはめて分析しているので、そのアプローチに違和感を感じる人も多いかもしれません。日本近代史に詳しい人なら、こういうケーススタディには重箱の隅をつつきたくなるかもしれません。

本書はビル・ゲイツのお勧め本ですが、ニューヨーク・タイムズの書評は辛辣でした。「今は、一部の限られた白人男性だけが世の中を俯瞰する時代ではない。歴史は多面的で、さまざまな視点から見たストーリーを知ることができる時代なのだから」というような論調でした。この批評にも一理あると思いますが、著者は批判を覚悟の上で書かれたのでしょう。本書の心理セラピーのアプローチが功を奏するとしたら、自分の国を俯瞰できるようになる、ということではないでしょうか。まえがきに、ダイアモンド氏の目的は読者を俯瞰させることで、ここからさらに掘り下げて研究する人たちが現れることに期待していると書いてあります。

The Book Thief

8月のブッククラブのお題は『The Book Thief』でした。邦題は『本泥棒』。映画化もされています。映画の邦題が『やさしい本泥棒』…… この本泥棒が「やさしい」かどうかは、見る人読む人に決めさせてほしいと思います。

内容は、第二次世界大戦下のドイツで迫害された人々の話ですが、ユダヤ人だけでなく、共産主義を信じたドイツ人、ナチスドイツに不満をもちながらも声を上げられなかった一般市民の話です。著者マーカス・ズーサックはオーストラリア人ですが、祖父母がドイツのミュンヘンで戦争を体験し、その体験を聞いて育ったので、これを書いたそうです。なんと、この小説のナレーターは「死神」――「死神」が「人間はいつかは死ぬが」と前置きしながら、死ぬまでの人間たちの人生を語るのです。600ページ以上ある分厚い本ですが、中高生向けです。歴史的背景の説明などはなく、文章は、頭の柔らかな中高生が飛びつくような軽いタッチで、クリエイティブで短めです。中高生向け、と言っても大人でも十分に手ごたえを感じる本です。

ブッククラブの参加者たちは「高校生ぐらいのときに読んだ」と言っている人が多かったです。

  • タイトルは「本泥棒」。主人公のリーゼルはなぜ本を盗むのか?

実の両親を失い、貧しくて、文字が読めない子だったのに、あることをきっかけに本を読み始める。本を盗まざるを得なかったのは、貧乏だったから。リーゼルは言葉を知ることによって、成長し、自立していった。言葉を自在に操るようになることは、パワーをもつことでもある。ヒトラーも言葉を自在に操ることのできる独裁者だったことを考えると、感慨深い。

  • ナレーターの「死神」をどう思う?

ナチスドイツ下で何が起きたのか、どれほどの犠牲者が出たのかは、みんな知っている。「死神」が「生きている人」の「死」をちらつかせながら話を進めていくので、悲惨なことが起きるとわかっていても、それを受け入れる心の準備ができるので助かった。それに死神はちょっと皮肉な冗談も言うので、気持ちを和らげてくれる。

  • リーゼルは誰と結婚したのか?

誰なのかはっきりしないけど、「マックスだと思う。マックスであってほしい」のマックス派と、「マックスだと陳腐すぎる」の反マックス派にきっぱり分かれた。ブッククラブだけでなく、オンラインの読書コミュニティでも意見が真っ二つに分かれて、プチ論争が起きている。ちなみに、映画でも真相はぼやかしてある。

  • 同じようなナチスドイツ下のドイツについて小説でお勧めは?

『The Boy in the Striped Pajamas』(邦訳:縞模様のパジャマの少年)

 

実は、私はブッククラブの日までに読みきれず、映画を見てしまいました。映画だとリーゼルがやたらと可愛らしくて身ぎれいで、里親のジェフリー・ラッシュとエミリー・ワトソンが薄汚い。その不自然さが最後まで気になって仕方がなかった。もともとが可愛らしい子役や美しい女優をきれいなまま、貧乏な設定に出すのはやめてほしいです。

勢いで『The Boy in the Striped Pajamas』も映画を見ましたが、こちらのほうが悲劇的。

 

Scarborough

今月のブッククラブのお題は『Scarborough』

Scarboroughは「スカーボロー」と読み、トロントの東端にある地区の名前。その中の貧しい地域にあるシェルターとコミュニティーセンターで子どもとその親たちが生活している。彼らは福祉の世話になっているという共通点だけでつながっていて、バックグラウンドはフィリピンやパキスタンからの移民、白人、先住民族と多種多様。いわゆる「移民文学」ではなく、カナダの富裕層がひしめく大都会トロントからは忘れられた人々に光をあてている。

著者はキャサリン・ヘルナンデス。肌の色は浅黒く、LGBTQで言うと「Q」に属す人。ストリートで使われる英語で書かれた、歯切れがよくてパンチのきいた文章は読みやすい。私は時々ライティングコーチに指導してもらっているが、そのコーチもキャサリン・ヘルナンデスと似たバックグラウンドを持っていて、「L」に属す人。実は二人は知り合いで、どちらも生まれてこの方「マジョリティ」に属したことなど一度もない人たちなのである。

『Scarborough』は2017年の刊行後、トロント市、オンタリオ州の文学賞候補になっている。地元ではわりと話題の1冊なのだ。ブッククラブの今月の参加者はあまりにも多く、2グループに分かれての話し合いになった。

それでは、どんなことを話し合ったのか。

  • 子どもの視点で書かれている

どの章も長めのブログの程度だし、各章の語り部が子どもたちになっている。どの家庭も実は大人は悲惨なのだが、「悲惨な状況」は子どもを通じて間接的に伝わってくる。救いようのない話も、子どもがひょっとしたら今の境遇から抜け出せるのではないか、と期待しながら読める。逆に言うと、大人たちの身の上に何が起きたのかは中途半端にしか知ることができないので、想像するしかない。

  • トロントの教育委員会とコミュニティーセンターの職員のメールのやり取りどう思う?

中央と現場の対立が、さもありなん、という感じで描き出されていて、すごく効果的だった。

  • スカーボローに行ったことがない

ブッククラブ参加者は基本みんなダウンタウンに住んでいる。そう遠くはないけれど、ダウンタウンからはスカーボローには用がなければ行かない。それでも、スカーボローってこんな感じだよね、と伝わってくる。著者がスカーボロー出身だから。

が、登場人物の中に、自分を重ねられる人物はいるか、との質問には、全員が「ノー」と答えていた。地理的に離れているだけではなくて、余暇に読書できる環境が持ててブッククラブにまで来る人たちから見ると「遠い別世界」なのだと思う。

  • タガログ語が容赦なく出てくるけど、どう思う?

英語とタガログを混ぜながら話しているところにフィリピンからの移民らしさが出ている。馴染みのない外国語や外国の文化をいちいち説明しないのも「これが移民ってもんだ」という感じが出ていていい、との意見が多かった。

  • 最後の章をどう思う?

意見が真っ二つに分かれ、半数以上が混乱したとか、納得しなかったとか言っていた。「死後の世界の存在」を許容できるかできないか、そんな価値観も関係しているのかも。私は肯定派。今後この本を読んでみたい人のために、これ以上は言わないでおきます。

  • この本を人に勧める?

お勧めすると言っている人がほとんどだった。ただ、ガチガチの自己責任論者には読んでも響かないのでは…… あとトロントに来て間もない日本人が読むと、スカーボローに対して恐怖心を植え付けられてしまいそう。たとえば、パリに憧れる人がパリについて書かれた本を読んでみたいと思ったとき、まずは「美しいパリ」を想起させる本を選ぶと思う。パリ在住歴が長く、パリにも貧困地区があることをよく知っている人なら、もっと違う本を読むはず。『Scarborough』もそれと同じ。トロント在住歴が長い人にお勧めしたい。

私は、恵まれた自分とのギャップに衝撃を受け、やるせない気持ちになったし、悲しみの涙と感動の涙で目頭が熱くなることもあった。あっという間に読めてしまうのもいい。

Memoirs of a Geisha

ブッククラブの今月のお題は『Memoirs of a Geisha』

20年ぐらい前に読んだけれど、今更読み直したいわけでもなかったので、記憶が曖昧なまま参加。驚いたことに、参加者がいつもより多く、40人はいたと思う。昭和の戦前から戦後にかけて、貧しい漁村から売られて祇園で芸者になった女性の話なのだけど、2019年の時点で20代半ばから30代半ばの女性に何か響くものがある本なのだろうか……「読み始めたら止まらなくなった」と言っている人も多かった。

  • 文化の盗用(Cultural Appropriation)

私の予想に反して、参加者たちは(女性のみのクラブです)、「京都の花街」という特殊な世界で生き、「処女の売買」がお約束の職業に就いた女性の境遇に対して理解があった。それだけでなく、この小説がアメリカの白人男性によって書かれていることの意味も理解していた。彼女たちは、小説を読むことにかけては「スーパー読者」なのであった。私が「白人男性が書いた芸者の話だし」と否定的に思っていることも、「それはそれ」と受け入れている。近年、たとえば「白人なのに黒人の話を書くな」のような「文化の盗用(Cultural Appropriation)」が取り沙汰されることが多く、食傷気味になっている人も多いので、その反動なのかもしれない。日本でオール日本人キャストの「レ・ミゼラブル」のミュージカルを「文化の盗用」と思うか、「それはそれ」と思うかの違いだろう。

  • 自分の人生を選ぶ

この小説について、参加者の彼女たちにとって一番気になった点は、主人公がいつ「自分の人生を選択するのか」だった。貧困や置屋生活など、自分で自分の人生を選択することが困難な状況が長く続き、「流れに身を任せる」しかなかった女性に、どこかで「自分の人生を選んでほしい」という期待があるのだった。だから、「旦那」といつまでも縁が続くことに疑問を感じているようだった。その一方で、仮に「置屋から逃げて、貧しい漁村に帰って、地元男性と結婚したとしたら、主人公は幸せだっただろうか?」の質問に、「いや、それはないよ。花街で芸者になって、旦那に海外で店をもたせてもらうという人生でよかったし」と、運命に逆らわなかった主人公の人生を肯定する意見もあった。「自分で自分の人生を選択」しても、その結果として成功あるいは安定が得られるかはわからない、ということなのだ。

  • トゥルー・ラブ

最後に誰かが、「トゥルー・ラブって、カルチャーが違うとやっぱり違うのかな?」と疑問を投げかけた。「トゥルー・ラブ」と聞くと、反射的にディズニー的なものを想像してしまう。その時点まで私はずっと黙っていたが、日本人だし、ここで何か言ったほうがいいのかな、と次のようなことを述べた。

「戦前の日本は、自由な恋愛をして結婚する社会ではなかった。食いっぱぐれないようにとか家族の繁栄のためにとか、そんな理由で結婚していた。でもそのおかげで貧乏から救われ、相手に半永久的な感謝の気持ちを抱いたとしたら、それをラブと呼べるケースもあるかもしれない」と言ってみた。処女で結婚して、その男性と床を共にすることで、そこから始まる「愛」もあると思うし、散々とっかえひっかえ相手を試していれば、その中から一番を選べるのではないかというアプローチもある。そのあたりについてブッククラブでちょっと話したい気がしたけど、さすがに聞けなかった。