小さいおうち

The Little House

トロントでこの映画を観たとき、中島京子が会場に来ていて、カナダ人のインタビュアーに「あれは山田洋二という有名な監督が撮ったものなので文句は言えません」と言っていた。そこで原作を読むことにした。

確かに、映画とは違う。原作はカズオ・イシグロの『日の名残り』に非常に近いノリで書かれている。主な違いは、『日の名残り』のほうは、執事の回想に「おいおい!」と突っ込むのが読者で、『小さいおうち』は、女中の回想に女中の甥の次男という若者が横やりを入れているので、それも合わせて読者は読むところ。

トロントでは緊急事態宣言がまだ解かれておらず、夜がヒマなので、『小さいおうち』の英訳と併せて並行読書することにした。翻訳には、誤訳はあっても「これが正解」というものはないので、他人の翻訳を読むのがいちばんいい勉強になる。私には、原書が日本語で、その英訳を見るというのが一番しっくりいく。英訳の苦労に触れられるし、斬新な解決策を軽やかに見せているところに感心するのが好きだから。逆に他人の和訳を見ると、自分の能力と他人の能力を比べてしまうから精神上よろしくない。

余談だけど、人間は自分の内面と他人の外面を比べてしまうから不幸になってしまうのだって。だからSNS疲れというのが起きてしまうのだわ、と妙に納得。

近頃、ポストコロナ本の出版ラッシュのようなものが起きているらしい。私にもその余波がほんのわずかながら届いている。

昭和45年11月25日

Mishima

歌舞伎の本を読むうちに、たどり着いた一冊。今年は三島由紀夫と東大全共闘の討論会が映画になったから、というのもあって読んだ。

この本は、三島事件が起きた昭和45年11月25日に、三島由紀夫とつながりのあった文壇、メディア、演劇&映画界、政界の「人々の反応」だけを集めている。故人とのつながりは濃いのから薄いのまでいろいろで、「いかにも」な人々から、ユーミンやいかりや長介までも網羅されている。盾の会の制服は西武百貨店で誂えたとか、三島由紀夫は『あしたのジョー』の大ファンで、心の残りがあるとしたら、その最終回を読めなかったことかもしれない、などのトリビアもいっぱい。これが私のツボにはまった。

無数に取り上げられている「人々の反応」は文章として記録に残っているものを引っ張ってきているだけなので、別に著者は執筆のために誰にもインタビューしていない。三島事件が起きたあの日、誰もが何かを語らずにはいられなくなってベラベラしゃべっていたのだけど、だいたい1人につき2、3ページにまとまっているので、「誰だこれは?」と思う人がいても気にならない。その辺はネットで調べながら見るのもヨシ。

誰もが何かを言わずにいられないっていうのは今のコロナ禍の状況に似ているね。

私は大学1回生の夏休みに三島由紀夫の本をいっぱい読んだ。久しぶりに読み返してみようかなと本棚を探したけど、1冊も見つからなかった。引越が多かったので、きっと人にあげたか、寄付したか、古本屋に売ったか。なので、またアマゾンでポチった(ポチポチポチポチポチ…… と7冊ぐらい)。

大地の子3&4

不要不急の外出を控える生活が続いているので、「時間があるときにやろう」と思っていたことを順番にやっつけている。『大地の子』の3&4巻もやっと読んだ。後半は時代が1985年ぐらいになり、もうちょっと身近な話になってきていた。小ネタでちょっと驚いたのが、中国がまだ日本からの経済や技術支援を受け、巨大な製鉄所を上海に建設しているときに、内蒙古の製鉄所では、中国の援助でタンザニアからの実習生が技術を学んでいたこととか、ソ連からの支援で建てられた製鉄所が、中ソの関係悪化でソ連に放置されたこと。

それにしても、これを読み終えるまでの道のりは長かった。テレビドラマにはなかった、主人公の妹「あつ子」が受けた虐待の詳細が3巻に書かれていて、読むのがつらかった。

中国残留孤児の宿命は、日本で生まれ育ち、そのままそこで骨を埋めるつもりの人、あるいは、途中海外で暮らすが、母国である日本に戻るオプションが当然のこととして残されている人には、わかり得ないのかもしれない。「日本に帰りたければ帰ればいい」と他人は簡単に言うだろうが、本人たちはそんな簡単には踏み切れない。心のどこかで「戻りたい」と思っても、不可抗力が働いて、「さあ、帰ろう」とはなかなか思えない。実際に行動に移すとしたら、それは経済的困難や被差別階級から抜け出したいなどの現実的な事情が後押ししているだけだと思う。かの国でどんなひどい差別を受けようと、長年かけ、そこで生き延びていく方法を身に着けた人々には、「どこへ帰るのか」と聞かれたり、「帰れ」と言われたりすることは、非常につらく、一生かけても答えが出せないような深いことなのだと思う。また、母国に帰ったとしても、またそこでも困難は待ち受けているはず。前にも書いたかもしれないが、山崎豊子がこんなにも長々と日中の歴史や製鉄技術をめぐる国際協力を書き、最終巻でページ数も残りわずかになってからやっと、主人公の陸一心に「私は大地の子です」と言わせて話が終わるのは、本当にすごい。たぶん、山崎豊子が一番言いたかったのはそれだったと思うから。

私も海外生活が長くなるにつれ、こんなことをぼんやりと考えるようになった。私も実際は「移民」なのだけど、なぜか自分は違うと思っていた。でも、どこかでうっすらと母国であるはずの日本との隙間を感じるようになっている。歴史に翻弄されたわけでもない、自分の意志で海外に出た人間でも、こんなふうに思うようになる。

コロナ禍のせいで、妙なことを考える時間が増えてしまった。

日本滞在(仕事模索編)

日本へ向かう機内で、村岡恵理の『アンのゆりかご』を読んでいたら、本の中で、村岡花子は自分が翻訳したいものを積極的に選んでいた。大御所だ。私は同じ職業に就いているが、真逆の環境にいる……

私は「何を翻訳したいか」は選べない。エージェントに「あの人にはこれをやってもらおう」と選んでもらっている。私の場合、本が「駒」なのではなく、私が「駒」なのだ。この業界には翻訳したいと思う本を持ち込める企画もあるが、持ち込んだことはない。私はまだ和訳されていない英語書籍を読んでレポートを書く仕事もしているが、「これはすごい!」と思ったものが必ずしも和訳されて日本の市場に出ているわけではないところを見ると、世間が求めるもの(ヒットするもの)を見極める才能が私にはないのかも。ま、私などにはわかりえない事情があるのだろう。

ま、できれば一回くらい文芸をやってみたいし、あと、なんかこう、翻訳がらみで少し違うこともやってみたい…… スマートで感性が高そうな若い世代の同業者に声をかけてみたり。いつもお世話になっているところへ、ぼんやりとした意欲をぶつけにいってみたり。こんなことを模索するのは、個人事業主ならではの醍醐味というか、いちばん楽しい部分だな。



玉三郎と三島由紀夫

Tamasaburo

六代目歌右衛門と坂東玉三郎の対立関係が主軸になっているけど、このふたりは世代が違うので、背景の情報量が多い。これを読んでから玉三郎を見ようなんて思っていると、なかなか本物を見に行けないくらいの情報量。坂東玉三郎についての本なのに、そこに話がいきつくまでがとても長い。生まれた「家」が重要な歌舞伎の世界だから、そこを説明しないと玉三郎の活躍がどんなに「奇跡的」なことかがわからないので仕方ないが、三島由紀夫についてもいろいろと知ってしまう。なのに、女形の頂点に立ってからの坂東玉三郎については、この一冊では書ききれないらしく、1960年代から1990年代ぐらいまでで終わっている。しかも、玉三郎本人は六代目歌右衛門との対立はなかった発言を繰り返しているので、この本は「あれを実際に見た人々は証言を残してほしい」という結びになっている。

…とディスっているように聞こえるけど、私の歌舞伎熱が続く限りは手元に置いておきたい本だった。

この本によると、歌舞伎が好きだった三島由紀夫にも、「もう歌舞伎は面白くない」とそっぽを向きかけた時期があり、それをグイっと引き戻したのが玉三郎の美貌だったらしい。そんな玉三郎も、もう若くはない。あまりにも若い役柄の演目は、封印しているというか、今はもう演じないらしい。そんなことを言われると見たくなる。「見たい、見たい」と思っていたら、二月大歌舞伎に出ていた!! それなら日本に坂東玉三郎を見に行こう!

去年11月、飴がないと仕事を頑張れない私は「今の仕事が終わったらカリブ海だ!」とクルーズ旅行を予約する気満々でいた。クルーズの行先に種類が多すぎて悩んでいる間に、コロナウィルスが蔓延しだした。今クルーズ船に乗ってなくて本当によかった…… これも玉三郎のおかげ?