遂にHamilton

Hamilton at Chicago

シカゴで「ハミルトンでも見るか」と思い、チケットの値段の高さにひるんだのが3年前。チケット買ったのに、開演時間までにニューヨークにたどり着けなかったのが今年8月。そんな紆余曲折を経て、今年10月やっと、シカゴで念願のハミルトンを見た!! リベンジの日がこんなに早く訪れるとは思ってもみなかった。2015年の初演から4年もかかった。

来る日も来る日もサントラを聴いていた。同じようにサントラを聴きまくってから劇場に足を運んだ友達からも「サントラどおり!」と聞いていたが、まさにそのとおり。英語に自信のない人にはサントラをよく聴いておくことをお勧め。あと『Hamilton』はアメリカ建国のお話なので、少しは勉強していったほうがいいとは思う。外国人が何の予備知識もなしに歌舞伎を見てもわからないのと同じで、予備知識がないと、ラップでアメリカ建国史を歌われてもな……. ということになりかねない。

歴史をアレンジして作られた演劇や映画、書物はバカ売れすると、「史実を捻じ曲げている」的な批判が必ず出てくる。確かにバカ売れすると 、それをつい情報源にしてしまう。徳川光圀のことをあまり知らないのに『水戸黄門 』のせいでよく知っていると思い込んでしまうのに似ている。『Hamilton』は『水戸黄門 』ほど史実から乖離しているわけではないけど、初演当初は著名な歴史家たちがミュージカルと「史実」の違いを説明する記事もよく出ていた。でもこのミュージカルはそもそもハミルトンを筆頭にアメリカ建国の父たちとその周辺の人々を有色人種が演じているので、「史実は違う!」と目くじら立てるのも変。私は、にわかにアメリカ建国史に興味を持ってしまったので、このミュージカルの原作を読もうかと思っている。

それより、最近うるさく言われる「文化の盗用」。『Hamilton』もアメリカの保守系の論客に「文化の盗用」だと批判されている。カナダ首相も総選挙直前に昔のハロウィーンで「アラビアン・ナイト」の扮装で顔を黒塗りした写真が流出し、何回も謝罪していた。 この場合は黒塗りがアウトで、コスチューム自体はOKなのだと思うがよくわからない。かつての私の上司は日本が大好きだったのでハロウィーンで着物姿になっていた。きものはコスチュームではないけど、日本人でない上司のきもの姿が滑稽だったし、何より本人が大喜びだったのでハロウィーンの馬鹿騒ぎにぴったりだと私は思っていた。仮に私がハロウィーンで「トランプ大統領」に白塗りして変装すると「文化の盗用」になるのだろうか? トランプを差別してはいないけど尊敬はしていない。でも、仮に私が「ベトナムの笠をかぶった農民姿になってハロウィーンやりたい」とする。私はベトナムの農民を差別してはいないけど、悪趣味だとバッシングされそう……. 非常に面倒くさい話だ。要は、嫌いな人が悪趣味な格好をすると「文化の盗用」と騒ぎたてることが許される状況になっている気がする。だから嫌がっている人が多いんだと思う。

こういうこともいろいろ含めて『Hamilton』は本当に面白かった。もっといい座席で見たかったのが残念でならない。

ブログ引越して、その後

なんか、ブログを引越してみたけど、あの無料のブログサイトってのは、なんかこうヒット数が高くなるような仕掛けがあるのかしら(広告を貼るわけだから)。それとも、15年もやっていたから? 新しく引越したブログよりも、今でもヒット数がうーんと高い。(それか読書感想文の宿題のため、パクリに来ていた人が多かったのか。私の古いブログには「読書感想文」という検索ワードで来る人が多かったのだよ…)

この新しいブログは有料なので、広告が勝手に表示されない代わりに「ヒット数を上げたければ金を払え」といろんなサービスやツールがある。有料サイトと無料サイトの存在意義は全然違うなと実感。

新しいプログは自由になる部分が多すぎて使いこなせていない。なぜお金を払ってまでここに引越したのか、それはひとえに、ヤプログのファイル形式をそのまんまインポートできたから。

実は、今の仕事が終わったら、ずっと書いてきた小説をぼちぼちここに載せようか(まだ未完で歯抜け状態)、と思っている。ずっとコーチングをしてくれていた人が、「人目に晒さないと書ききらないし、書きづらいとこはいつまでたっても書かないからね」と言うので、彼女と約束してしまった。確かに、人目に晒したほうがいいかも、とは思う。ヒット数がないので晒しても恥ずかしくはない。私が恥ずかしい人だと知っている人しか見に来ないから。しかも英語で書いてるし。

「晒します」という宣言もしないとだめだよ、とコーチに言われたので、ここに宣言します。

夏の終り

北国に住むようになり、夏との関係が変わった。夏は、来るときは私を散々焦らし、去るときは置き手紙すら残さない。8月後半の晴れた日でも、ぱっと窓を開けると、「あ……. もういない」と直感的に感じる。

夏は虚しさを教えてくれる。今の私からは想像もつかないけど、子どもの頃は野球ファンで、プロも好きだったけど、夏の甲子園を観戦するのが好きだった。トーナメント戦の「負けたら終わり」に儚さや悔しさを教えてもらった。特に、第四試合とか遅めの試合が好きだった。試合の後に、バァーっと二階に駆け上がり、屋根に登って、夕焼けを見ながらこっぱずかしい詩を作って、ひとり泣いていた。「第四試合後の夕焼け、見たことある?」と、踏み絵的によく人に訊いていた(わかってくれる人とは親友になっていた)。

ある日、その詩が姉に見つかって「曲つけたるわ」と言われ、地獄の思いをしたのを覚えている。姉に作曲の才能があったわけではなく、でたらめに大声で歌われただけ。

誰かに「虫除けにタンスの引き出しには新聞をひくとよい」と聞き、新聞をひいておいた。実家に帰ったとき、引き出しを開けたら、新聞がスポーツ欄で、巨人の定岡が20勝を上げていた。あらためて読みふけってしまい、断捨離に新聞は禁物、ということを学んだ。

永遠に続くものはない(2)

ヤプログのブログの引っ越しで、永遠に続くものはない、と思っていた矢先 、大好きだった毛糸屋がのれんを完全に下ろすことになった。トロントに引っ越したての頃、暇をもてあまして編み物ばかりしていた。そのとき常連になった。

2年ぐらい前に店舗の家賃が高騰してオンラインショップになり、そして今回の店じまい。オーナーは65才になり人生の優先事項が変わり、「小売業から卒業」してもいいと思えるようになったとソーシャルメディアで告知があった。それを読んでいて目頭が熱くなった。まあ、こういう日が来そうな気はしていたけど。

「手芸好きのイメージ」を売る店ではなく、トロントでは数少ない、本当に編み物が好きな人に毛糸を売る店だった。

私はあの店のためにサンプルを編み、毛糸をいっぱい買い、オーナーや店員と仲良くなって、本を勧め合い、近くを通ったときは用もないのに立ち寄っていた。TJWK のチャリティを始めたときも、毛糸をたくさん寄付してもらった。ロンドンにいたときもアメリコの毛糸を持っていって編んでいた。

寂しい。チェーン店はなくならないけど、個人商店はいつかは消える。

アメリコの毛糸で編んだセーターを断捨離しようと思っていたけど、やっぱりキープ。心がときめくから。

ブロッグお引越し

ヤプログのサービス終了ということで、引越し先を考えている。

忘れていたけど、グーグルの Blogger や、Note や FC2 などにもアカウントがあって、下書きがいっぱい見つかった。この中のどれかに引っ越しするか、有料だけど仕事で使っている WordPress に引っ越しするか…… とても悩ましい。

ヤプログのブログはテンプレートの模様(だけ)が気に入っていた。おそらくこれを使っている人はあまりいなくて、カフェで私のブログをパソコンで開いている見知らぬ人も見かけたこともある。おしゃれですっきりしたテンプレートとか嫌いじゃないけど、自分らしくない。でも好きなテンプレートを探すのも面倒くさい。このテンプレートのデザインをした人、譲ってくれないかな。

ヤプログのブログは 2005 年の夏、姪っ子に勧められて始めた。元々書くのが好きだったのもあるけど、私が言いたいことは対面で話すと嫌われかねないことも多かったので、ブログの楽しさを知った。

昔のエントリは本当に書きなぐっていたので間違いだらけなので、葬りたい。ここ数年分はどこかに引っ越しさせてそこでも読めるようにしたい。でもそういう作業が面倒くさい。

永遠に続くものはない、と思い知らされた。