昨日の続きです。自分の頭を整理するために書いていますが、悶々としている方がいれば、その人たちにも読んでもらいたいです。
報酬問題からジェンダー問題が飛び出したわけですが、当事者たちは問題の核心において噛み合っていないのでは?と私は思いました。ツイッターで断片的にしか見えていないので、確信を持っているわけではありません。そもそも、なんでジェンダー問題になったのかも覚えていません。
勇気をもって自分の印税率を公開してくれた先輩翻訳者たちに対して、感謝の気持ちを持っている人は多いはずです。なぜなら、「高い印税が実際に支払われている」ことが明らかになったから。それを目指すことが無理筋でも何でもないことが明らかになった。仮に彼らが明日引退して、なし崩し的に報酬の平均値が下がりそうになっても、若い世代が「違うだろ!!」と反発できるのは、そういう情報を開示してくれた人たちがいるからです。
ただその中で、権威に無自覚なのか、権威を肯定しきっているからなのか、当事者の発言に権威的な匂いを嗅ぎ取った人も非常に多かった。今までずっと「あ、またあんな乱暴な物の言い方をしている」と黙ってきた、あるいはツイッターだから仕方がないと黙認してきた人たちが、今回は黙らなかったのだと思います。
それと同じように、乱暴な言葉遣いでジェンダー問題がぶっこまれたとき、「あちゃちゃ」と思った人も多いはず。私はそうでした。それでも、何を問題視しているのかはわかった。これを言い出すと、どっちもどっちだよね!で終わってしまう。だから、そこからは少し離れたいと思います。
たとえば……
ビヨンセが「あたしはすごく稼いでる。それはあたしががんばったから。あなたたちもがんばりなさい。がんばれば救われる」と発言して、共感する現代人が(とりわけ若い層が)どんだけいるのでしょうか。ビヨンセが報われない若者の声にどれだけ敏感であるかどうかは、たぶん彼女のアーティスト生命にかかわってきます。
もしもビヨンセがカバー曲しか歌わない歌姫だった場合、しかも大ヒット曲のカバーばっかりしている場合、彼女の言う「がんばった」の一言は、少し、というかかなり空虚に聞こえませんか?
われら翻訳者はある意味、カバーアーティストですよね。
ある種の人文書や文芸書を翻訳している人、英語以外の少数言語をやっている人なら、もう痛いほど感じている事実ですが、大抵の翻訳者はメガヒット作品を訳していない。「翻訳してほしい」という版元がいるから、売れないかもしれないけど「翻訳する意義がある」から訳している人のほうが圧倒的に多いです。そこへもう少し目を向けませんか?「自分は売れたから、あなたも売れるはず」とかじゃなくて。
これを言い出すと、もう本当にですね、「言い方なんてどうでもいい、言いたいことははっきり言わせてもらう!」と爆弾を投げたくなります。実際に、爆弾をびゅんびゅん投げた人もいたと思います。
ここで察しのいい方は気づいていると思いますが、「なんでそれがジェンダー問題やねん?」
いや、実際、ジェンダー問題にとどまらず「東京から離れている問題」も浮上しましたよね。コロナ禍で「とりあえず、会って話ましょか?」がズームになったので、余計に、それに関しても黙っていられなくなったのではないでしょうか。でも、近くにいる人どうしが集まることの意義は否定してません。
私は個人的に、あんまりジェンダー問題だけにはしたくないので、「ビヨンセがカバーアーティストだったら問題」として考えてみましたが、これも自分の都合のいいように今回の出来事を咀嚼するための手段にすぎないかもしれません。
しかし、これから前進していくために、何かを考えるとしたら、人によってはますます「メガヒット探し」に精を出す人もいるでしょうし、白水社の『「その他の外国文学」の翻訳者』が売れたように、権威がない者どうしが集まって何かをするというのも大ありだと思います。
日本だけでなく、先進国はどこも人口が減り、教養文化も影を潜め、他のエンタメがたくさん登場し、本にもいろんなものがあって、1つが突出してヒットするということは稀になってきていると思います。
話はどんどんずれますが、SNS登場以前に既に有名だった人はSNSで1万人フォロワーを獲得するのが簡単で、「今日ラーメン食ったぞ!」とか呟いても、大勢の人が「きゃー」っと反応してくれます。一方、SNS世代は、せっせせっせと毎日コンテンツを作り、新しくて面白いものや、新しい情報の伝え方を編み出して、1万人フォロワーレベルに達します。翻訳の世界でも同じようなことが起きていると思うので、翻訳者的には中堅にすぎない私は、「売れるための」新しい試みにどんどんとチャレンジしていきたいと考えています。
