「父の日かぁ」とレストランで遅い昼ごはんを食べていたときに気づきました。最近SNSでは訳書の宣伝しかしていないので、まずは父のことを書いておこうと思います。
1年半ほど施設にいて、長くはないと事前連絡があったし、本当に死んだと聞いたときには涙は出ませんでした。それに、大変ややこしい性格の人だったうえに、父の人生後半は波乱気味だったので、「解放されてよかったじゃないか」とまずは思いました。
筆の立つ娘を持つと、死後とんでもないことを暴露されてしまうのは、吉本バナナの例でも明らかです。私も生活が困窮したら note に有料記事を書くかもしれません、というのは冗談で、私の父と母の間には深い愛情があったと思うので、母が生きている間は、母にとって大事だった人を馬鹿にするようなことは書かないつもりです。
お葬式はすでに私抜きですませてあり、初盆のために酷暑の日本へ8月に帰り、お墓の前で手を合わせようと思います。家族が選んだお葬式では、AIに「お見送りソング」を作詞作曲&自演してもらったそうです。家族がAIに父の人となりを学習させたらしいのですが、けっこう悪口も教えたらしく、身内が聴くと、身悶えして笑う歌になっていました。これ、最高やん!と思いました。本人も喜んだのではないでしょうか。
父は跡取り息子という立場で小さい頃から相当なプレッシャーをかけられてきたのでしょう。子どもたちには「勉強しろ」「頑張れ」とは一切言いませんでした。が、「おれはそういうことを言って子どもにプレッシャーをかける親ではないのだ、ワハハ、わかったか!」と事あるごとに自慢する性格でした。私の大学進学にも就職にも大反対で、それが大きな亀裂になってお互い嫌な思いをしました。それに、早く誰かにバトンタッチしたかったのか、三人もいる自分の子どもの前で(全員女子)、「ああ〜、男の子がいればなぁ……」と、私たちがまるで見えていないかのような発言もする人でした。
ですが、アドバイスもくれました。今でも役に立っています。「お金には2種類ある。労働と引き換えにして得るお金、カネがカネを産むカネだ。自分の大事な時間を切り売りしてはいけない。そのことをよーく覚えとけ!」です。
その意味はわかっていたのですが、20歳にもならない当時の私には聞き捨てならないほど嫌な言い方を父はしたし、「こんなことを娘に言ってくる親って他にいるんだろうか?」と思い悩みました。でも、この助言のおかげで父の失敗の尻ぬぐいはできました。
最近講談社から出た本を父に捧げたいと思います。娘のしていることをまるで自分の手柄のように人に話すのが好きな人でした。
お葬式の準備の中で家族が古い写真をたくさん共有してくれました。まだプレッシャーを感じていなかったボンの頃の写真を見て、これで父が親の望むような跡取りになっていたら、私の人生はこれほど自由でなかったかもしれないし、家にもっと縛れていたかもしれないと思うと、「お父さん、ぶっこわしてくれてありがとう!」と感謝の気持ちが少しだけ湧きました。
今はきっと向こうで早くに死に別れた自分の母親といっしょにお茶でも飲んでいることでしょう。


これは私じゃないけど、三人が幸せそうにしているから気に入ってます。


