Y日記9

もはや翻訳と気晴らしに映画を見ること以外、何もできていない。最近の映画はどれも上映時間が長いので、3日に分けて見ないといけない。配信だからできること。最近は映画鑑賞に加え、ミニバラ鑑賞も気晴らしリストに入ってきた。妹がミニバラ先生なので、育て方を伝授してもらったけど、育てるというよりは、ぼんやり花を見ている。全然うまく育たず、毎日少しずつ死にゆく様子を見つめてる。

姉の家には、ミニバラ先生から送られたミニバラが咲き誇っていて、ちょっとしたバラ園になっている。はぁ〜、何が違うの? 気候? 種類?

忙しいとかいいながら、今週末はトロントで翻訳関係の会議があり、私は参加しなかったものの、そこへ来ていた同業者さんたちとお食事や散歩、おしゃべりを楽しみ、旧交をあたためた。ズームでしか会ったことがない人に会うのは、やはり感動。

このメンバーでおしゃべりをしているうち、「今日は柴田元幸さんの『いま、これ訳してます』の日だ! しかも、オースターの追悼回になるらしい!」と一瞬騒然とした。時差のせいで、時間を間違えて慌てふためいただけなのだが、その夜、無事視聴。最後の「I want to tell you a story」の朗読中に、柴田さんが涙ぐまれたような場面があり、画面越しにもそれが伝わってきて、私もうるっとした。

家にこもっているせいか、やばいほど密室で笑いをこらえきれなくなった過去を思い出す。1つは神社で厄除けの祈祷を受けている途中(母と私と禰宜さんの3人だけ)、もう1つは狭い茶室の中で。

第一次世界大戦について調べ物をずっとしていたので、避けていた『1917』を遂に見た。いやぁ〜、きつい映画だった。どうしてあのような塹壕戦を展開し、人が無駄死にしていったのかを散々調べたあとだったから。あと、あの伝兵がしきりと腕時計をチェックするんだけど、腕時計も第一次世界大戦の産物……

今週はだな、マンスプレイニングにもほどがある!とあるところで腹を立てていた。あれは「話がとまらない」性格の一部であって、ある程度は受容しないといけないが、「自分があまり知らないことについて偉そうなことは言わない」という品性をもっと身につけてほしいと思う。「品性」などと言うと、余計に反抗されて終わるだけだが。

たとえば、わが父はその典型で、自分が行ったこともない外国のことを、あたかも見聞してよく知っているかの口調で話しがちだった。それを聞いて私は「まるで行ったことがあるかのような口ぶり!」と意地悪に言うのだけど、「俺はわざわざ行かなくても何でも知っている」とシャーシャーと返してくるので、本当に悪質なマンスプレイニングだと思った。自分が物知りだとマウントしたくて仕方がないんだと思う。

10年以上も前の話だけど、トロントのある地ビール専門のバーで、ビールのうんちくを垂れているおっさんがいて、私はその後方に座っていた。おっさんはビールのうんちくを垂れながら、大きな音で屁をこいた。なんなら匂いも風向きの都合で漂った。そのとき、私は心の底から強く思った。「そんなことより、もっと大切せねばならない何かがあるだろう!!!」と。

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