Y日記34

ブログのような場所で日記を書いている人がまた増えている気がする。「日記」という形式が流行っている。同業の人が書いていた短文をよく読んでいたけど、「うまい!」といつも思っていた。きっと翻訳もすごくうまいんだろうな。

来年からこのY日記をどうしよう。何か目指すもの(または目指したくないもの)があったほうがいいよねと思い、ブログでFIREした人の本をポチりそうになった。ポチりそうになったということは、やっぱりお金を稼ぎたいってことなのだろうか……? 

今後をつらつらと考えるのも年末だからだね。来年はどうしようか。私のビッグな目標は決まっている。ソウルとフランクフルトの国際ブックフェアに行くのだ。いろいろな人と話しているうちに俄然行く気になり、フランクフルトはとりあえずホテルを押さえた。2年くらい前に行ったから、中央駅から見て何がどこにあるのかはまだ覚えている。問題はソウル。1994年以来行ってない! 近頃、翻訳のこととなると暴走気味の自分をとめることはできない。今ピックルボールに狂い咲いているのと同じで、モメンタムってやつですな。

モメンタムといえば、先週、伊藤詩織さんのドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』を見に行った。たまたまSNSで見かけて検索したら、1日だけトロントで上映されることを知り、それが翌日だったので、思い切って行ったのだけど、あいにくの極寒日で、クリスマス前の週末とあり、見に来ている人はとても少なかった。

私は、伊藤詩織さんの事件を詳しく追っていなかった。いろいろな憶測や揶揄が飛び交い、私の身近にもアンチの人はいて、軽々しくふれる話題ではなかった。なにより私自身よくわからなかった。五ノ井さんの事件とはまた別のおどろおどろしさや、女同士でも意見が激しく分かれるところがあった。だから一人で見に行った。

『Black Box Diaries』は、日記の形をとって時系列で裁判で勝訴するまでの過程を伊藤さん側が記録していた音声と動画を並べて描かれていた。冒頭から、妹さんの「公に話さないで」と懇願する言葉と、伊藤さんの「私のストーリーを聞いてほしい」の訴えがぶつかる。とりあえず彼女の声に耳を傾けようと思った。彼女の話に引き込まれ、涙なしには見られない場面も多かった。

北米だと『She Said』が公開されて、ハーヴィー・ワインシュタインのセクハラの犠牲者の一人、アシュリー・ジャッド本人や、ニューヨークタイムズの女性記者たちは「勇気ある人」的な描かれ方をしていた。彼女たちは画面の中では泣き崩れたりしなかった。でも、『Black Box Diaries』の伊藤さんはそうじゃない。もっともっと脆い存在で、泣いたり、絶望したり、自分を無理やり奮い立たせている。このドキュメンタリーが世にいくら認められても、彼女は大丈夫でいられないんじゃないかと見ている私を不安にさせるくらいに。なんとか幸せになってほしいと画面越しに祈った。

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