先週、ピックルボール仲間と飲み歩いた。10人くらいで。そんな大人数だから、行けるところは限られてくるけど、スパゲッティを食べながらディスコというコンセプトの、オシャレ感ゼロの、だけど、仲間で騒ぐ気満々の人にはうってつけの店に行った。天井に、古めかしいかんじのディスコボールがきらきら光って、ピンクがかった照明で、全然気取らないかんじがよかった。そこから3軒はしごした。
帰りは同じ方向に行く男の子とライドシェアして、「あれがおれの住んでいるマンションだ。今から家の照明をチカチカさせるからな!」と言われ、スマホで遠隔操作する姿と遠くに見えるマンションを交互に見た。確かにおもしろい。「見えた!見えた!」と喜んでしまった。
たぶん、私の今の社会生活のほとんどを占めているのは、このピックルボール仲間と、書評講座の仲間といってもいい。で、あとは仕事ね。今週は、前々からの懸念事項が前進したようで、ややうれしい。本当はかなりうれしいのだけど、他人の不幸が土台にあるので、ガッツポーズは控えたい。
それと……
101歳のお友達が亡くなりました。お別れは近いと思っていたし、最後にお別れの挨拶にも行けたけど、さみしいです。同志社女子大学英文科がまだ専門学校と呼ばれていた時代の大先輩です。お父様が英文学者だったから、その時代の女性としては先進的な考えを持っていて、聡明で、おだやかで、おもしろく、いつも美しい言葉で話し文章をお書きになる人でした。誰かが「顔を合わせると嫌な気分になる人がいる」と相談すれば、「大丈夫。みんな結構先にお亡くなりになりますよ」的な、100歳超えならではのジョークを飛ばす人でした。
最後に病室を見舞ったときも、寝姿を見て「お別れが近い……」と思ったのですが、名前を呼ぶと、ぱちっと目を開き、「100歳超えると、まさかって思うようなところにガタがくるのよ」とおっしゃった。ベッドには、大好きな猫のぬいぐるみがいっぱいで、「私もできるだけふわふわで手触りのいい猫のぬいぐるみに囲まれて最後を迎えたい」と思ったものでした。そう、最後の最後まで、人生の先輩でいらっしゃったのでした。
船坂まりさんの書かれた戦争体験手記「清水さんをおもう」は、暮しの手帖『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』の中に入っています。本当は、「軍事郵便」という題を付けたのに、別の題に変えられてしまったと残念そうでした。
「しみじみと別れ行く日の豊菊かな」
まりさんの初恋の人、清水さんが、まりさんと京都でお別れしてのち戦地から送ってこられた句です。これが「軍事郵便」で送られてきたのです。
まりさんには私たちのポッドキャストにゲスト出演していただき、その人生をおうかがいし、3回に分けて配信しました。音質が悪いですが、よかったらどうぞ。
