Memoirs of a Geisha

ブッククラブの今月のお題は『Memoirs of a Geisha』

20年ぐらい前に読んだけれど、今更読み直したいわけでもなかったので、記憶が曖昧なまま参加。驚いたことに、参加者がいつもより多く、40人はいたと思う。昭和の戦前から戦後にかけて、貧しい漁村から売られて祇園で芸者になった女性の話なのだけど、2019年の時点で20代半ばから30代半ばの女性に何か響くものがある本なのだろうか……「読み始めたら止まらなくなった」と言っている人も多かった。

  • 文化の盗用(Cultural Appropriation)

私の予想に反して、参加者たちは(女性のみのクラブです)、「京都の花街」という特殊な世界で生き、「処女の売買」がお約束の職業に就いた女性の境遇に対して理解があった。それだけでなく、この小説がアメリカの白人男性によって書かれていることの意味も理解していた。彼女たちは、小説を読むことにかけては「スーパー読者」なのであった。私が「白人男性が書いた芸者の話だし」と否定的に思っていることも、「それはそれ」と受け入れている。近年、たとえば「白人なのに黒人の話を書くな」のような「文化の盗用(Cultural Appropriation)」が取り沙汰されることが多く、食傷気味になっている人も多いので、その反動なのかもしれない。日本でオール日本人キャストの「レ・ミゼラブル」のミュージカルを「文化の盗用」と思うか、「それはそれ」と思うかの違いだろう。

  • 自分の人生を選ぶ

この小説について、参加者の彼女たちにとって一番気になった点は、主人公がいつ「自分の人生を選択するのか」だった。貧困や置屋生活など、自分で自分の人生を選択することが困難な状況が長く続き、「流れに身を任せる」しかなかった女性に、どこかで「自分の人生を選んでほしい」という期待があるのだった。だから、「旦那」といつまでも縁が続くことに疑問を感じているようだった。その一方で、仮に「置屋から逃げて、貧しい漁村に帰って、地元男性と結婚したとしたら、主人公は幸せだっただろうか?」の質問に、「いや、それはないよ。花街で芸者になって、旦那に海外で店をもたせてもらうという人生でよかったし」と、運命に逆らわなかった主人公の人生を肯定する意見もあった。「自分で自分の人生を選択」しても、その結果として成功あるいは安定が得られるかはわからない、ということなのだ。

  • トゥルー・ラブ

最後に誰かが、「トゥルー・ラブって、カルチャーが違うとやっぱり違うのかな?」と疑問を投げかけた。「トゥルー・ラブ」と聞くと、反射的にディズニー的なものを想像してしまう。その時点まで私はずっと黙っていたが、日本人だし、ここで何か言ったほうがいいのかな、と次のようなことを述べた。

「戦前の日本は、自由な恋愛をして結婚する社会ではなかった。食いっぱぐれないようにとか家族の繁栄のためにとか、そんな理由で結婚していた。でもそのおかげで貧乏から救われ、相手に半永久的な感謝の気持ちを抱いたとしたら、それをラブと呼べるケースもあるかもしれない」と言ってみた。処女で結婚して、その男性と床を共にすることで、そこから始まる「愛」もあると思うし、散々とっかえひっかえ相手を試していれば、その中から一番を選べるのではないかというアプローチもある。そのあたりについてブッククラブでちょっと話したい気がしたけど、さすがに聞けなかった。

Bad Feminist

去年(2018)年末から、ブッククラブでは「フェミニスト」系の本を読むことが多くなった。ここ数年間の#MeToo運動の影響なのかもしれないし、女だけのブッククラブだからかもしれない。2月のお題は、アメリカでは2014年刊行の『Bad Feminist』。このタイトルがそもそも誤解を招いてしまうのであるが、著者は自分のことを「バッドフェミニスト(中途半端なフェミニストですよの意味で)」と呼んでいる。多くの女性は、フェミニストな部分とそれに相反する部分を両方持っていて、「私はフェミニストよ!」とは胸を張って言いにくい「矛盾」を抱えている。たとえば、女性の権利を色々と主張しつつも、引越の手伝いは男友達にさせるとか、ピンクが好きとか。著者もそういう矛盾をいっぱい抱えている。

和訳が出ているが、どうもそれの評判がよくなく、途中で断念してしまった読者が少なからずいるらしい。確かに原書には翻訳しづらい要素が多い。著者はScrabbleのトーナメント戦に出場するほどなので、スラングも含め語彙が非常に豊富だし、その使い方がクリエイティブなのである。ただ、平明な文章をうまく操り理路整然としている。こんなこと言うと怒られそうだが、著者の体型がマツコ・デラックス級で、ポップカルチャー好きと社会問題を語るときのその毒舌型の切り口が似ているので、内容は非常に面白いのである(と私は思った)。

話はブッククラブに戻り、『Bad Feminist』にどんな反応があったかを書いてみる。

  • ジェンダー・ポリティクス

この本について、いや、むしろ今のジェンダーポリティクスについて語り合いたい、という参加者が多かった気がする。ジェンダーポリティクスにカッカしている人がいると、話がそっちに引きずられてしまう。中間層は矛盾に満ちた「バッドフェミニスト」なので、正論を振り回されると、何も言えなくなってしまうのであった…….

そこで業を煮やした人生経験豊富そうな中年女性が「じゃあ、トロント大学のジェームズ・ピーターソンなど(フェミニストとは対極にある主張をしている)の本は、みんな読んだの? 対極にある意見に耳を傾けないなら、それはダメじゃない?」と発言したことにより、カーンと試合終了のゴングが打ち鳴らされた感じだった。

「そこまで強気に社会に女性を認めさせて、一体何がしたいの?」とやはり思ってしまうのである。「平等」を変なふうに振りかざすと、何やら世の中には有限のリソースがあり、それを均等に分配しなければならないと考えてしまいがちだ。自分のパイが少ないと思い込んでしまうと、妥協や寛容は生まれにくいし、奪い合いしか起きないのではないかしらん。

  • なぜ女性はいつもLikability(好感度とでも言おうか)を求められるのか

本書は、この「好感度」のややこしさについて論考している。「とりあえずお前はニコニコ笑っておけば何とかなる」と人(親など)に言われて、常に微笑みを絶やさない女性とか、「そーだねー」と相手(主に男性)の意見にとりあえず同意しているふりをしている女性の行動は、好感度アップに直結しているからである。

アメリカ大統領選では、今までヒラリー・クリントンぐらいしか女性候補者がいなかったので、選挙のたびに、ヒラリーの好感度(の低さ)は彼女の政策以上に取り沙汰され、マイナスに働いてきた(いわゆる「ヒラリー嫌い」というやつだ)。次の2020年の選挙では、既に民主党の大統領候補にウジャウジャと女性が出てきている。そうなってくると、今回の選挙で女性候補者の好感度がメディアでどう扱われるのか、楽しみだ! とブッククラブ参加者は言っていた。ま・さ・に! である。

ヘンリー・キッシンジャーもルース・ベイダー・ギンズバーグも相当なお年寄りだが、ルース・ベイダー・ギンズバーグは現役の最高裁判事なのに、出過ぎた発言をすると「ゾンビ」と言われる。これも、Likabilityに似たような問題だと思う。

他にもいろいろ話は尽きなかったのだが、ちょっと忘れてしまった。

ちなみに、著者は高校生のときにレイプ被害に遭っていて、そのことも詳細に書いている。長い間封印してきたので、そのトラウマに向き合ったのは、ずいぶん後になってからだった。その彼女が「レイプ」「トリガー警告」について書いている。その部分はやっぱりこのエッセイ集の肝なので是非読んでもらいたい。

いつか読もうと思っていたが、タイトルの「フェミニスト」という言葉に引っかかっていたけど、まさに私のように自分が矛盾しまくっている……と思う人には腑に落ちるエッセイがてんこ盛りなのだ。もっと早く読めばよかった。

BOSS LIFE — 倒産ギリギリ社長の経営奮闘記

翻訳した書籍が日本で刊行されたので、紹介したいと思います。一般流通はしていないので残念ですが。

これはアメリカの東海岸で注文家具工場を経営する社長の「経営」奮闘記。元々著者は、ニューヨーク・タイムズのブログに小企業の社長としての苦労話を寄稿していたのですが、2015年に書籍化されました。2008年のリーマン・ショックを何とか乗り切ったものの、「もうダメだ、倒産する」と破産の準備を始めたときに、自分と同じような境遇の人の参考になれば、とその破産手続きの経緯をブログには書いていたようです。

この本では、リーマン・ショック後の、挽回の兆しが見えてきたと思えたはずの2012年の1年間を振り返っています。ビジネスパートナーとの決裂や、キャッシュフローの重要さを痛い思いをして学んだ著者は、1月から12月まで、毎月の収支を赤裸々に公開し、経営者として日々の苦戦を事細かく綴ります。人材採用、アドワーズ広告、海外の企業にも振り回されて、まさに七転八倒です。

私生活でも、重度自閉症の息子、健常児で大学進学を目前に控えた息子を2人抱え、キリキリ舞い。当然ながら、アメリカの医療保険制度や学資ローンにも苦い意見を持っています。

町工場の社長として、地元の経済の衰退・変遷や、構造的に生まれる格差を憂う一方で、従業員への人間的な対応、我が子の進路に関する悩みや成長の喜びを温かく綴っています。経営奮闘記のはずなのに、目頭が熱くなる…… ページもあります。

アメリカ企業の社長といえば、マーク・ザッカーバーグ、イーロン・マスク、スティーブ・ジョブズなど、大成功を収めた異端児的な人物ばかり思い浮かびますが、こんな中小企業の社長の苦戦を読んでみると、応援したくなります。

出版社はダイレクト出版というところです。

https://www.d-publishing.jp/

 

Do Not Say We Have Nothing

9月のトロントのブッククラブのお題は、中国系カナダ人作家マドリン・ティエン(Madeleine Thien)の『Do Not Say We Have Nothing』。ページ数が多いので早めに読み始めましょう、とお達しがあったものの、読み切れないまま参加。ある程度の量を読んでいかないと人の感想を聞いてもピンと来ない。しかし、読み切っていなかったのは私だけではなかったようだ。

マドリン・ティエンのこの作品は2016年ブッカー賞の最終候補にも上がった。この作品は、第二次世界大戦後から天安門事件後の1990年代前半までの中国と、現代のバンクーバーが舞台になっている。タイトル『Do Not Say We Have Nothing』は、「インターナショナル」(労働者賛歌)の歌詞から来ている。が、内容はむしろ上流社会に属していた人たちが、国家反逆罪に問われ労働者に転落し、仕事や財産、名誉を剥奪され、家族と引き裂かれても、「自分たちには何も残されていないと悲観するな、自分たちが生きた証はあるよ」という細い望みが込められているような気がする。

このブッククラブの構成メンバーは20代から30代の女性が一番多いので、天安門事件の後で生まれた人がほとんど。「天安門事件をライブでテレビで見ていた」と口をすべらした私に一瞬注目が集まってしまった。

  • スローな出だし

「現代」は、1990年頃バンクーバーの設定で、そこから、中国人の母子家庭で暮らす女の子が失踪した父親を追う形で、第二次大戦直後から文化革命までの中国に話が飛び、「現代」と「過去」を行ったり来たりする。「過去」はジリジリと天安門事件にまで近づいてきて、やっと「現代」とリンクする。100ページぐらい読まないと、ストーリーの設定と歴史的背景、登場人物の血縁関係が把握できない。しかも、「過去」の部分では、中国らしい美辞麗句や政治的スローガンを登場人物が口にするので、単刀直入ではない。他文化、外国の歴史を説明するには、これくらいページ数を割かないといけないのだろうが、ここで脱落しそうになった読者も多かった。が、この部分を突破すると、話は面白くなる。

  • 血縁関係がなかなか掴めない

中国名とニックネームがややこしい上に、登場人物が多いので、ネット上には家系図が出ている。これを見ながら読んだメンバーは多かった。

  • クラシック音楽の名曲が続出。クラシック音楽を知っている人が読むと全然印象が違うんじゃない?

上海音楽学院に通っていた学生たちがメインキャラクターなので、バッハ、シャスタコーヴィッチ、マーラー、ラヴェル、スメタナなどなど、いろんな作曲家の曲がそこかしこに散りばめられている。中でも、グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」はテーマ曲のごとく頻繁に登場する。じわじわと繰り返される弾圧とリンクしている。「曲を知っているほうが雰囲気がよく伝わると思う」とブッククラブのメンバーでクラシックをよく聞く人たちは言っていた。

  • 主人公の1人が交響曲を作曲していたのに、国家反逆罪で弾圧されて作曲を中止してしまった。最終的に作ったのはバイオリンとピアノのソナタだった。どうして交響曲を完成させなかったのか?

交響曲は個人よりも大きなもの(国家とか)に捧げて作るけれど、ソナタはもっと個人的なもの。国に裏切られて想像力もリソースも失われてしまうと、ソナタが精一杯?

  • ブッククラブで悲しい話ばっかり読んでいるけど、これは心底悲しい話だった。

中国には今でも弾圧されている人たち(ウィグルのイスラム教徒とか)がいて、この本に出てくる登場人物たちと同じように、最果ての収容キャンプに入れられて「再教育」されているニュースを目にするので、「現在進行系」なところが空恐ろしい。

で、じゃあ来年は楽しい話を読もうか、みんなで言い出したけれど、結局誰も「楽しい話」を思いつかなかった……

私がようやくこの本を読み切ったのは12月。500ページ近くある大作なのだ。カナダに移民している中国人(主人公)が自分の父親について調べているうちに、中国の近代史を遡る形を取っているので、歴史を詳しく知らなくてもとっつきやすい。

Autonomy: The Quest to Build the Driverless Car—And How It Will Reshape Our World

最近、ゴーン・ショックのニュースが駆け巡っていますね。日産といえばリーフ。リーフは電気自動車ですが、自動車産業だけにとどまらず経済全体の起爆剤になりそうなものの代表、自動走行車につながるテクノロジーです。

そこで、自律走行車開発の10年の軌跡を追ったノンフィクションをご紹介しましょう。日本では日本の自動車会社を中心にした同じような(?)本がいくつも出ているようですが、今から紹介するのはアメリカ。それもGMが中心です。GMも今、トランプ政権と真っ向から対決していてニュースを賑わせていますが。それでは、紹介のはじまり、はじまり。

『Autonomy: The Quest to Build the Driverless Car—And How It Will Reshape Our World』

デトロイト対シリコンバレー、新旧テクノロジーの攻防が、GM副社長として長年、次世代のクルマの開発を牽引してきたローレンス・バーンズによって描かれています(今はもうGMにはいませんが)。

話の発端は、2004年、アメリカ軍が主催したDARPAグランド・チャレンジ。自動走行車を開発してレースを行うというもの。ここで、スタンフォード大学とカーネギーメロン大学が火花を散らして戦います。まもなく、この2大学の戦いは、それぞれを支援するグーグルとGMの戦いに発展。シリコンバレーの若い起業家たちを見下すデトロイト、逆にデトロイトを古いと鼻で笑うシリコンバレーの構図が出来上がります。しかし、どちらかに軍配が上がったわけではありません。今私たちが見ているように、クルマを動かす新技術を開発するシリコンバレー、車体を大量生産するノウハウを持つデトロイトが協力し合う体制が生まれました。

大学や企業間の戦いだけでなく、時代の潮流が変わっていくのもよくわかります。成熟した車社会のアメリカでも、経済の基軸がシェアエコノミーに移り、ライドシェアが普及していきます。アメリカではビッグ3以来の新自動車メーカー「テスラ」も登場し成功していきます。そして、その中で関連スタートアップ企業の争奪戦が繰り広げられ、巨額の金が動きます!

2004年から2016年までの自動走行車の開発の道のりを追った話ですが、わずか12年の間で、既に私たちの生活を大きく変える技術とサービスが生まれ、新企業も続々と登場、雇用も生まれ、世間を賑わせています。新技術の開発に人生をかける技術者の苦労にも感動しますが、アメリカの機動力のすごさに羨望を感じずにはいられません。退屈せずに一気に読めます。今は問題があっても、自動走行車なしの未来は考えられない、そんな著者の意見に頷いてしまいます。