書評講座のニュースレター開始

最近SNSが下剋上の時期に入り、「翻訳者のための書評講座」こと、BOOKPOTTERSの告知などはニュースレターでお届けすることにしました。メールアドレスを登録していただくと、無料で読めます。たくさんの人に既に登録していただいて、告知以外にも、海外の文学やノンフィクションの書評やメンバーの活動などをゆるゆるとお届けできればと思います。また始めたばかりなので、どういう内容になっていくのかは未定ですが、お楽しみに!

こちらのサブスタックで配信しています。お気軽にどうぞ!

PV稼ぎで運営していませんし、新しい本じゃないけど旬の本を紹介するのもいいなって。

歴代の受講者のみなさん、このニュースレターに載せてほしい告知や書評があれば、ご一報ください。

あとですね、前々回あたりの講座から、いろいろとアイデアが生まれてきているので、この書評講座からおもしろい活動がうまれるかもしれません!乞うご期待!

先週の炎上についてのつらつら2

昨日の続きです。自分の頭を整理するために書いていますが、悶々としている方がいれば、その人たちにも読んでもらいたいです。

報酬問題からジェンダー問題が飛び出したわけですが、当事者たちは問題の核心において噛み合っていないのでは?と私は思いました。ツイッターで断片的にしか見えていないので、確信を持っているわけではありません。そもそも、なんでジェンダー問題になったのかも覚えていません。

勇気をもって自分の印税率を公開してくれた先輩翻訳者たちに対して、感謝の気持ちを持っている人は多いはずです。なぜなら、「高い印税が実際に支払われている」ことが明らかになったから。それを目指すことが無理筋でも何でもないことが明らかになった。仮に彼らが明日引退して、なし崩し的に報酬の平均値が下がりそうになっても、若い世代が「違うだろ!!」と反発できるのは、そういう情報を開示してくれた人たちがいるからです。

ただその中で、権威に無自覚なのか、権威を肯定しきっているからなのか、当事者の発言に権威的な匂いを嗅ぎ取った人も非常に多かった。今までずっと「あ、またあんな乱暴な物の言い方をしている」と黙ってきた、あるいはツイッターだから仕方がないと黙認してきた人たちが、今回は黙らなかったのだと思います。

それと同じように、乱暴な言葉遣いでジェンダー問題がぶっこまれたとき、「あちゃちゃ」と思った人も多いはず。私はそうでした。それでも、何を問題視しているのかはわかった。これを言い出すと、どっちもどっちだよね!で終わってしまう。だから、そこからは少し離れたいと思います。

たとえば……

ビヨンセが「あたしはすごく稼いでる。それはあたしががんばったから。あなたたちもがんばりなさい。がんばれば救われる」と発言して、共感する現代人が(とりわけ若い層が)どんだけいるのでしょうか。ビヨンセが報われない若者の声にどれだけ敏感であるかどうかは、たぶん彼女のアーティスト生命にかかわってきます。

もしもビヨンセがカバー曲しか歌わない歌姫だった場合、しかも大ヒット曲のカバーばっかりしている場合、彼女の言う「がんばった」の一言は、少し、というかかなり空虚に聞こえませんか?

われら翻訳者はある意味、カバーアーティストですよね。

ある種の人文書や文芸書を翻訳している人、英語以外の少数言語をやっている人なら、もう痛いほど感じている事実ですが、大抵の翻訳者はメガヒット作品を訳していない。「翻訳してほしい」という版元がいるから、売れないかもしれないけど「翻訳する意義がある」から訳している人のほうが圧倒的に多いです。そこへもう少し目を向けませんか?「自分は売れたから、あなたも売れるはず」とかじゃなくて。

これを言い出すと、もう本当にですね、「言い方なんてどうでもいい、言いたいことははっきり言わせてもらう!」と爆弾を投げたくなります。実際に、爆弾をびゅんびゅん投げた人もいたと思います。

ここで察しのいい方は気づいていると思いますが、「なんでそれがジェンダー問題やねん?」

いや、実際、ジェンダー問題にとどまらず「東京から離れている問題」も浮上しましたよね。コロナ禍で「とりあえず、会って話ましょか?」がズームになったので、余計に、それに関しても黙っていられなくなったのではないでしょうか。でも、近くにいる人どうしが集まることの意義は否定してません。

私は個人的に、あんまりジェンダー問題だけにはしたくないので、「ビヨンセがカバーアーティストだったら問題」として考えてみましたが、これも自分の都合のいいように今回の出来事を咀嚼するための手段にすぎないかもしれません。

しかし、これから前進していくために、何かを考えるとしたら、人によってはますます「メガヒット探し」に精を出す人もいるでしょうし、白水社の『「その他の外国文学」の翻訳者』が売れたように、権威がない者どうしが集まって何かをするというのも大ありだと思います。

日本だけでなく、先進国はどこも人口が減り、教養文化も影を潜め、他のエンタメがたくさん登場し、本にもいろんなものがあって、1つが突出してヒットするということは稀になってきていると思います。

話はどんどんずれますが、SNS登場以前に既に有名だった人はSNSで1万人フォロワーを獲得するのが簡単で、「今日ラーメン食ったぞ!」とか呟いても、大勢の人が「きゃー」っと反応してくれます。一方、SNS世代は、せっせせっせと毎日コンテンツを作り、新しくて面白いものや、新しい情報の伝え方を編み出して、1万人フォロワーレベルに達します。翻訳の世界でも同じようなことが起きていると思うので、翻訳者的には中堅にすぎない私は、「売れるための」新しい試みにどんどんとチャレンジしていきたいと考えています。

先週の炎上についてつらつら

翻訳業界では、最近とても活発に報酬について意見交換が行われていたところ、ジェンダー問題に進展しました。当事者たちはもちろんのこと、直接的に、あるいは間接的に、多くの人が意見を投稿する事態になりました。

読んでいるとつらくなるような発言もあって、悶々として、何か自分も言いたい、でもどうそれをうまく表現する? と思考が堂々巡りになり、投稿を書いては消し、書いては消し、で、「おめぇは何をいいたいんだ?」みたいな投稿をするという作業を繰り返しました。あとで親しい人たちに聞いたら、みんな同じことをしていたそうです。つまり、ツイッターで飛び交った言葉は今回のほんの一部でしかない。みんな本音は別の、見えないところで交換されていたんでしょうね。

個人的に、私が人生の今ここに辿り着くまでのいちばんの障壁といえば、まぎれもなく断トツでジェンダーです。それも家族間の。だからこう、反射的に女性援護に気持ちが向いてしまうんです。ですが、同じジェンダーに属しているからといって、みなが同じ意見を持っているわけではないですし、立場上、特にツイッター上では沈黙を保たなければならない人も多いでしょう。今回は、ジェンダー以前の問題や発言の主旨以外の部分を問題視している人も多くて、それはそれで、私にも意見があります。おそらく、みんなそうですよね。でも、少し時間も経って、頭もそこそこ冷やしてから、自分にできることをやっていきたいと思います。

そういう意味では、様々なジェンダーについて考えさせてくれる情報や本、ひとことをシェアしてくれた人たちがありがたかったです。あと、私は思考の沼にはまったので、押野素子さんのアフロフューチャリズムの講演を聞きました。どうしても、嫌な言葉遣いや論理の飛躍を見てしまうと、「あーやだやだ」で終わってしまうので、何か新しいことに触れたいと思ったからです。あまりよく知らない分野だったので、耳にしたことがすべて新鮮に聞こえ、自分の知らない世界がたくさんあることを再認識しました。経験値だけで不用意な発言をしたり、頼まれてもいないのにえらそうに助言したりするのは(しないですが)だめだなと心の底から思いました。

あとですね、実は、報酬の意見交換の段階から気になっていることがありました。本のフェアトレードの裏にいるのは若い翻訳者さんです。でも、本のフェアトレードからすごく著名な翻訳者さんのインタビュー記事が出ると、みんなわーっと一斉にシェアします。もちろん、私もシェアした。でも普段はツイッター上の反応は冷ややかに見える。ところが今回のジェンダーの一件で、報酬の件に関しても、私と同じように「あること」を思っている、だけど、そのことを表立っては言いにくいと感じている、という人が結構いることに気づきました。

話は少々ずれるのですが、パートナー(大学教授)にこの件を話すと、「大学も一緒!!」と身を乗り出してきました。かつて、まだフェイスブックもグーグルも小さかったとき、学生の就職先にそういうところを勧める人はすごく少なかったどころか、将来が不安だからやめときなさい、という人が教授にも親にも多かったのだそうで。しかも、ある世代の教授は「大学に残って(教授の下で)研究することがいちばん」と思っている人もいて、むしろそっちのほうが生活が不安定になりがちで無責任ではないかと、パートナーは思っている。だから「何か新しいことをするときは、年寄りの話ばかり聞いていてはだめだ」と言っていました。……と言っているわれらが年寄りなんですが。それはさておき。

私はトロントに住んでいるのですが、トロントの本屋さんをめぐると、大型チェーンの書店とインディ書店では置いてある本が全然違います。棚の作り方が全然違うと言ったほうがいいのかな。大型書店は、「世間ですっかり認められている著者」の本や、有名な賞を受賞した本、テレビで著名人が紹介した本、SNSでバズった本、著名人のブッククラブの本が並んでいます。インディ書店は「テーマ別」。しかも主流のメディアでは取り上げなさそうな「小さな声」の本。マイノリティ、移民、ブラック、フェミニズム、資本主義(の限界)、気候問題、動植物(人間以外の生物)、菜食主義などの本がずらーっと並んでいます。先日講義を聞いたアフロフューチャリズムの本もありました!

こういうインディ書店に人がたくさん立ち寄り、本を眺め、買っている。なんなんだ、これは!すばらしい。主流の本しか売らないところもあれば、主流でない本ばかりを積極的に並べて売る本屋があって、住み分けができていて、私たちには選べる贅沢がある!

ぜんぜん、まとまりのないことを書きましたが、先週の炎上は当事者の方々にはつらかっただろうけど、私にはいろいろ考えるきっかけになり、そのときに考えたことをまとめておこうと思いました。まあ、これ以外にもいろいろあるけど、書ききれないし、現在進行形の考えでもあるから、今回はこの辺で! 

読書会14 – ワインズバーグ、オハイオ

5月の読書会の課題書は、シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』でした。

みんなが新潮社版の上岡伸雄訳を読むようだったので、講談社文芸文庫のほうを読もうかと思ったのですが、海外在住者には入手が難しかった…… というわけで、私も新潮社版。

1919年刊行で、閉そく感たっぷりな田舎の町が舞台というのもあるとは思うのですが、ここに描かれている女性たちが気の毒というかなんというか……モノ扱いでした。もちろん、ここに登場する男性も全員不幸ではあるのですが。とにかく、男女の関係の描かれ方がワイルドウエストで、ついつい、この小説の中の女性たちに注目して読んでしまいました。

比較の対象がおかしいと言われそうですが、『赤毛のアン』は1908年に出ていて、同時代に、モンゴメリはせっせとアンとギルバートが愛を温めている様子を書いていました。『あしながおじさん』は1912年。あれは上流階級のお話ではありますが、あの中でも女性はそんなにひどくは書かれていなかった。狙っていた読者層が女性だったというのもありますし。で、日本では宮澤賢治が詩や童話を書いていました(最近『銀河鉄道の父』という映画を見たので……)。「だから、なんだ!?」と言われそうですが、まぁその、あの時代で、お金もなくて、地方にいて、労働者として人生を吸い取られるだけの人がたくさんいる町では、人々はいびつにならざるをえなかったんでしょうかね? どうやら、経済合理性が注目され始めた頃のようですし。

『ワインズバーグ、オハイオ』は、「いびつな」人ばかりが登場し、とりわけ男性のいびつぶりがすごいです。しかも男たちが「キレる」ときの臨界点に「は?」と驚くことが多かったのですが、アメリカでは今も現在進行形で、オハイオやミシガンに同じような人々がいるわけなので、「ひょっとして今もこんな感じ??」と空恐ろしい気持ちになりました。

『ワインズバーグ、オハイオ』というタイトルは映画『パリ、テキサス』を彷彿とさせますよね。あの映画の主人公も、『ワインズバーグ、オハイオ』に出てきそうな感じ。だけどだけど、『パリ、テキサス』は音楽で話の質が高められていました。『ワインズバーグ、オハイオ』にもかっちょいいプレイリストが必要!

ウソ日記7

山形でトミヤマユキコさんの講座がある。7日間ウソ日記を書くという課題らしい。本当は受講したかったけど、できないから、代わりにここに7日間ウソ日記を書く。全部がうそっぱちとは限らない。

間は空いたけど、無事7日目にたどり着いた。ウソ日記はなかなか面白かった。嘘のつき方がうまいと、読者が増えることもわかった。書くのも楽しかったし、続けてみようかな。

6月3日土曜日

私はその日、鉄道警察のパトカーに乗って登校した。そんなチャンスに恵まれることは、人生長いとはいえ、あまりないから書き残しておく。

私は朝が苦手だ。いや、そうでもない。夜通しずっと起きて朝になるときの朝は好きだ。だから早起きの人の気持ちがよくわかる。その日は朝早起きして学校に行くという最悪のパターンで始まる日だったから、通学の電車に乗ってもまだ半分眠っているような状態だった。

電車のガタンゴトン、プシューの繰り返し音を聞きながら、私はまた夢の世界に戻っていった。テストがあったのに時間を間違えて受けられなかった夢、卒業間近になって単位が足りないことが発覚した夢…… それらの夢が遠のいていくと、駅名のアナウンスが遠くから聞こえてきた。「ああ、聞き覚えがある駅名だ……」

気が付けば、乗り越していた。でも、いつもやるようなヘマだから慌てない。どうせ行くのは学校だ、急ぐこともない。ぼんやり窓の景色をながめつつ、次の駅で降りて折り返そうとのんびり構えていたら、景色が違う。どうやら車庫入りをするらしい。

遅刻はしょっちゅうするし、忘れ物は多いしでいいことなしの私だけど、このときはすばやかった。スタっと席から立ち上がると、運転席めがけて走った。何両も連結してるから運転席は遠い。やっとの思いでたどり着き、運転室のガラスを「トントン」ではなく、「ガンガン、ガンガン」と二度叩いた。

振り向いた黒人の運転手の表情には一瞬恐怖が走ったようだけど、いかにも学生の私を見て、事情を察知したのだろう。呆れ顔になったかと思うと、心底「めんどくせぇ」という表情に変わった。「折り損ねたんですぅ~」と英語で言ってみたが、こういうとき口をとがらかすのは、ぶりっ子すれば助けてもらえるという刷り込みか。

「I have one stranded passanger onboard.」と運転手は鉄道警察に電話した。

やがて私は運転手と2人で車庫入りした。車庫デカい!暗い!怖い!鉄のにおいがする! プラットフォームのないところで電車から降りるのはキツイ! その場で、私の身柄は鉄道警察に引き渡された。

「どこに行こうとしてたんだ?」

「XXX学校です。駅からのシャトルバスもこの時間だともうないかも」と一応言ってみた。

「じゃあ、学校まで送ってやる」

私ははしゃいだ。ダッシュボードがどうなってるのか後部座席からガン見して、警察に話しかけた。こうして私は鉄道警察のパトカーに乗って学校へ行ったというわけ。

電車の車庫もパトカーもお初という、盛りだくさんな一日だったYO。