大統領就任式の詩の朗読

アメリカ大統領選の開票日は私にとって大イベントですが、就任式を見るのも一大イベントです。就任式はライブで見ていても、見るべき対象物(人)が多すぎて見過ごしがちなので、SNSで人々が何をつぶやいているのかも見ます。ま、それはさておき、今回は異例なことだらけの就任式でしたが、何事もなく終わりほっとしました。

私にとって印象的だったのは、アマンダ・ゴーマンの詩の朗読。それまで存在さえ知りませんでしたが、あの黄色のコート、あの真っ赤な太いカチューシャ、耳元にきらきら光るイヤリング、華奢な指に大きなリング、そしてメイク、というあの強烈なビジュアルがまずあって、あの手の動き。あの詩。あの朗読の仕方…… そしてあの若さ。「表現者」とはこういう人のことを言うんだなと感心しました。

そして、『The Hill We Climb』というタイトルのあの詩。人間は一生かけて山あり谷あり、矛盾や葛藤に満ちた人生を送るわけですが、やっぱり中年にもなれば「水平飛行」を好みます。あの詩は、彼女と同じように若い世代が聞くと喚起される感情がまったく違うのではないでしょうか。コロナでうまいこと乗り切っているのは中年や前期高齢者、バサバサと解雇されているのはやっぱり若い人たちです……

流れるような手の動きと言葉、それにリズムが一体になって、もう言葉の意味さえ咀嚼する間もなく感情を揺り動かされる、あの感じ…… 一億総勢、情報発信者になっている世の中だけど、みんな理屈っぽいし、どっかから引っ張ってきたような、誰かの真似をしているような、理屈か感情論しかない今。そんな中、「理屈じゃだめ、感情だけでもだめ、しったかぶりもだめ、ゴリゴリ一方的なのもだめ、何かを伝えるって、こうだと思う」と身をもって示してくれた気がします。

今も選挙結果を疑う人が多くいる接戦だった大統領選で、もしも逆が勝利していたら、おそらくアマンダ・ゴーマンの朗読したような言葉はなかった可能性が強いことを思うと、とりあえずこれでよかったと私は思いたいです。

プロデュースの基本

友だちがこの本の情報をシェアしていたので、興味を持って読みました。

おもしろかった。

グラフィックデザイナーの友だちと一緒にこのサイトのロゴやらグッズを作っているけど、いつもぶちあたるのは「いいけど、ずれてない?」です。ずれてるときは大体、何をしたいのかよくわからなくて迷走しているときです。「何かをやる→ちょっと違う→自分のことなのに感覚が麻痺してダメ出しすらできない→人に頼る→やり直す」という作業の流れは、本職(翻訳)にもよーくあてはまります。でも本職だと、時間の制約などで「やり直し」のチャンスが与えられないときもあります。学校の宿題や課題にも本質的に「やり直し」はないですよね。

それはさておき、『プロデュースの基本』を読んで、昔、銀色夏生に感じたほろ苦い嫉妬を思い出しました。広告代理店入りを目指す友だちから「銀色夏生、おもしろいよ」と紹介され、その詩集を読んだのです(こぶたが出てくるやつ)。当時、文筆業に進めたらいいけど自分には才能もなければセンスもないし、コネもない、家を継げ(=夢が持てない)と、ナイナイ病に犯されていた私は、ぱらぱらとページをめくりながら、「こんなの、私にだって書ける!」と、詩集をポイしてしまいました。

学校を出て初めて勤めた会社では「社内報のメンバーになれば?」とチャンスをもらいました。なのに、私はそのチャンスを生かしきれませんでした。会社を辞めると、社内報の編集長だった先輩がせっせと手紙を送ってきてくれました。手紙はいつも「壁新聞」のつくりになっていて、先輩が見た映画や本の感想、おいしかったスイーツのことなどがイラスト付きで書いてあって、受け取るのがすごく楽しみでした。

で、後から「そして僕は途方に暮れる」の作詞が銀色夏生だったと知り、私は本当に途方に暮れたのでした。だって、あの詩、すごくいいですよね。

そして今、2021年……

ナイナイ病はいつしか「時間ナイナイ病」になり、才能やコネやお金なんてあんまりなくたって、いろんなものが作れる時代になりました。「ねーねー、これ見て!」とか「これ読んでみて!」と対面で言わなくても、インターネットという大海の中に自分の作品をこっそりと置いておき、ツイートとFBで「アップデートしました」と伝えておく。趣味系のSNS(編み物、読書、映画、俳句など)なら同じ匂いのする人々とつながれて毎日が楽しい。自分が作ったものを仲間に見てもらえるって本当にうれしい。多分、「ものを作る」趣味を持たない人には、「何言ってんの?」って話です、ハイ。

ひらがなでよめばわかる日本語

これを読めば、句会でかなりパワーアップした句をひねることができるのでは? 訳文を作るときに役に立つのでは? などといやらしい欲を出して手にしました。しかし、「やまとことば」を語る背景として、そこここに散りばめられた神話や古代人の考え、万葉の歌がことごとく面白かったです。俳句も訳文も自分の言語力やセンスの範囲を超えたものは作れない。「なんか盗めるかも?」と考えたのはせこかった。

ところで、私の俳号は「今日丹」です。「ショーン・タン」みたいな響きですね。

仕事上、言葉をいろいろ知っておいたほうが武器になるし、ブログを始めるずっと前から、すてきな言葉をメモしています。この本を読み終わってからぱらぱら見返すと、どうも頭でっかちな「熟語」とかが多く、なんかちょっと恥ずかしかったです。もっぱら、そのときに読んでいる本に影響されているのだと思うけど。逆に、英語のすてきな言葉は、ドラマや映画のセリフが多くて、キャッチーな言葉ばかり書き留めてありました。いずれにせよ、自分が「こんな言葉が駆使できる人間になりたい」の欲望がうずまいておりました。

『ひらがなでよめばわかる日本語』は、日本の神話を知ることもできるし、著者が何をもって「やまとことば」と考えているのかもわかるし、日本の古代人の考えまでもがわかるような気がしてきて、なんというか、今のごたごたした世の中を忘れさせてくれるような、悠久の時の流れを感じさせてくれました。

日本の神話と言えば、もちろん三重県のこともちらちらと出てきて、ぐいぐい読んでしまいました。終わりのほうは、おそらく国語を研究している人たちの間ではまだ議論されていて、決着がついていないようなことも書いてありました。そういうトゲトゲした話題から入らないところに上品さを感じました。

Cobra Kai (Season 3)

新年早々からコブラ会見てました。シーズンフィナーレには必ず「ボコボコの乱闘シーン」が来るのですね。

今シーズンは中年の大人たちの「自己実現の欲求」に付き合わされて、そこが面倒くさく感じた分、高校生たちの悩みがより一層ピュアで、真剣そのもののように思えました。彼らの悩みというのは自分で選んだわけではない、むしろ親から与えられた試練のようなものなので…… でも、高校生に正しいSNSの使い方をいい年した大人が教わっている場面など、ほのぼのとするところもあったりします。

私にとって『コブラ会』の面白いところは、若い時は貧しくて純粋だったダニエルが成功者となったがために、財力をふりまわしていることに本人がまったく気づいていない点です。今回も、リッチなミヤギ道場が、またまた金に物を言わせてコブラ会つぶしにかかっていました。一応、ミヤギ道場は「善」を重んじる道場なので、何をしても許されるような感じで描かれているし、そういうことに関しては「悪」のほうがまともなのですね。だから「悪」のほうはミヤギ道場を「ボコボコにしたくなる」のでしょう。

オリジナル映画に出ていた俳優たちの同窓会のノリも、それはそれで楽しかったです。エリザベス・シューは『リービング・ラスベガス』の頃を思い出して、「へぇ……」と思ってしまったんですけどね。

謹賀新年

会津の赤べこ。赤は魔除け。これは柿渋の赤なので、元々こういう色です。

今年の干支は何なのか、失念していたところ、SNSの投稿が牛だらけになったので気づきました。フリーランスになると、年末年始にまとまった休みを取るのは難しいです。なぜかというと、企業にお勤めの人々が休み前に「これお願い」と仕事を渡し、「1月5日頃に仕上げてくださいね」と言うからです。でも今年は、在宅勤務で年末年始も働いた人が多かったりして(お仲間!)。

2020年はまったくTJWKの活動をしなかったのですが、日本ではいろいろと活動があったので、反則的ではあるものの、自分のお金をTJWKからあしなが育英会に寄付しました。旅行のキャンセル代がまだ残っていたので。

新年の抱負を考えようとしたら、2020年の抱負がほぼ全滅しているので無意味だわ…… と思いました。仕事にかかわるようなことなら計画は立てられるし、目的意識も持てるけど、プライベートなことにはだらーっとしたい。いや、気の赴くままに好きなことをやっていたいです。

ある本を読んでいたら、「あそぶ」の「あそ」とは「ぼんやりした状態」のことを言うのだそうです。だから、阿蘇山のような火山や火山灰地が広がるような場所には「あそ」とか「あさ」という名前が付いているのではないかと……。なーるほど、確かに、火山灰や霧や靄、砂塵など、前後不覚になるようなものは、ぼんやり、漠然としています。

というわけで、2021年は「あそび」の年にしたいと思います。

ま、毎年同じようなこと言ってますけどね。