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Fair-skinned

英語で白人を指す単語は「White」ですが、肌の色を「色白ですね」と言いたい場合には、「fair-skinned」がぴったりです。

私は、巣ごもり生活中、ネットフリックスからお勧めされるまま、アメリカの犯罪史を飾る国内テロや犯罪の映画やドラマ、ドキュメンタリーを見ていました。テッド・バンティ、ブランチ・デヴィディアン、アトランタオリンピック爆弾テロ、オクラホマ爆弾テロ、ユナボマー、ジェフリー・エプスタインと、犯人はすべて白人男性。そして、みんななかなか逮捕されない。Black Lives Matter を鑑みると、こういう事件の犯人は怪しいというだけで警官に殺されることがないうえ、犯罪の規模も大きいので、複雑な気持ちになります。しかもジェフリー・エプスタインのドキュメンタリーは、経済格差が司法にもおよぶことを決定的に見せつけます。というか、アメリカの超富裕層の金持ちぶりを映像でまざまざと見せつけられます。

Black Lives Matter のデモが全米で広がり、今や周縁が過敏になりすぎて、いろいろな人がいろんなことを言いだしています。『風と共に去りぬ』がストリーミングで配信されなくなったり、90年代の代表ドラマ『フレンズ』のクリエイターが「白人ばっかりのキャストだったよね、ごめん」と謝罪したあたりから、#MeTooで食傷気味なっていた頃を思い出すような状態に私は陥っています。あの頃は、オール白人、オール黒人、オールアジア人のキャストが当たり前の時代だったのですから、もういいじゃないですか。そんなこと言ったら、『セックスアンドシティ』なんて…….

そうは言っても、大規模な抗議運動っていうのは同じスローガンを掲げていても多様な意見を内包するものだし、いつもこんなふうに闘いながら現実的な解を求めようとするアメリカは好きです。

Covidiots!

カナダでは新型コロナの新規感染者が減ってきて、少しずつ経済が再開しています。引き続きソーシャルディスタンスを保ち、マスクもしろと、厳しく言われているのですが、気が緩んでいる人は増えています(私も人のことは言えない)。そしてアメリカほどではなさそうですが、あえてマスクもしないし距離も無視する人もいます。

先日、ホームセンターで買い物しようと並んでいると、後ろにいたお姉さんが、マスクをあごにひっかけて携帯電話でしゃべりまくりながら、私との距離を縮めてきました。この3か月間で2メートルの距離感にすっかり慣れてしまった私の頭の中でアラートが鳴りだします。くるっと振り返って、「A bit too close(ちょっと近すぎる)」と言うと、「あ、ごめんごめーん!」と後ろに下がってくれたので、安堵しましたが……。保健省などから出ているガイドラインを失念している人やあえて無視する人々を総じて、英語では「covidiots」または「moronavirus」と呼びます。おそらく、「コロナをうつしてやる!」「コロナなんか気合で吹き飛ばしてやる!」と叫んで外出するような、ある種の悪意を持っている人が「moronavirus」にあたるのかも。第二波がすぐに来なければ、続々とcovidiotsが増えて立場が逆転し、「なんでそんなに間空けてるんだよ!」と言われる日が来るような気がしてなりません。まあ、いつの日かこの転換点がやってくることは喜ばしいことなのですが。

様々なコロナ関連のスラングが生まれていて、とてもおもしろいです。まずは、coronaを略した「rona」。名詞にも動詞にも使えます。動詞としての用法は、「あいつなんかコロナにかかってしまえ!」と呪いをかけたい場合の「I hope he’ll rona out」など。しかし他人の不幸を願う文言なので要注意。独り言か家庭内での発言にとどめておきましょう。

コロナ騒ぎのなかで生まれた赤ちゃんは「corona baby」と呼ばれ、成長すると「quaranteen」と呼び方が変わるそうです。ちなみに、「quarantine」の綴りが難しいので発音が似ている「corn」が使われることもあるようです。ズーム会議中に呼ばれてもないのに参加して荒らしていく行為を「zoom-bombing」と呼びますが、恋人にズーム上で別れを告げる行為は「zump」です(zoom + dump)。そして「covidivorce」。これは日本でも「コロナ離婚」と言われてますね。

とりあえず、ワクチンや薬ができるまでは、注意しなくては。STAY SAFE!

シン・ニホン

趣味の読書の合間に、ポストコロナであるとかウィズコロナであるとかの本を読んでばかりいました。仕事でそういう本を何冊か読み、興味の赴くまま、芋づる式に読んでいたのです。ネット討論もいろいろと見ていました(はっきり言ってもうお腹いっぱいです)。

別にこの本は新型コロナとは関係ないのですが、「これからの日本、どうする?」という問いにいろんな具体案が提案されています。先端の技術開発に国が投資しないと、他の先進国にどんどん引き離されて経済は回らないし、経済が回らないと東京一極集中が加速して地方は疲弊する一方だし、高齢者に税金を使うより、若い世代に投資しましょう、という内容です。よく耳にする話ですけど、煽るだけ煽って読者を不安にさせる内容ではなく、最終章では希望を感じさせてくれます。「若い世代に投資」というくらいなので、教育者とか親とか会社の管理職とか、若い人と接する人か、若者が読むべき本だと思います。 

新型コロナをきっかけに「変わる/変わらない」の議論を毎日のように耳にするけれど、ピンチに立たされた人や、家族がいつも同じ空間にいて息が詰まりそうだったという人は既に変わっている(行動には出ていなくても心が変わっているはず)。勤務先から在宅勤務を命じられ、遊びで外出する機会が減って貯金が増えた人などは、変わらないというか、変わる必要があまりない。私は、「そこだな」と思いました。確かにコロナによって起きた問題もありますが、コロナ以前から何らかの「解」を出して行動に移さなければならなかった問題はそれぞれにあって、今回のコロナ禍をきっかけに、それに着手した人は結構いるんじゃないかと思います。私も動画づくりは続けるつもり(笑)。

自粛期間中に考える時間がたっぷりあって、少しずつ街の経済が再開している今になってみると、「ああ、もうちょっと考える時間がほしい」などと思ったりします。散歩しながら、とりとめもなく思索にふける時間が、ポストコロナにもしっかり欲しいなと思う今日この頃です。

最近友達がすごくいいことを言っていました。

「毎日家の掃除ばっかりしてても私の未来は変わらない」

以来、私は散歩中に「<チョメチョメ>ばっかりしてても私の未来は変わらない」の<チョメチョメ>にあたる部分をいろいろと考えています。みなさんの<チョメチョメ>は何ですか?

I’m in love with…

I’m in love with…

「横恋慕」という言葉、その行いに反して、美しい響きがあるように思います。プラトニックというか片思いであれば問題でもないですが、実際に略奪するとなると…… 泣く人が出てきてしまいます。そして「横恋慕」のこの「横」という一文字が横入り感を醸し出し、「よこれんぼ」と母音「お」で終わるのが罪を軽くしています。日本語だと味わい深い言葉も、英訳すると身もふたもなくなってしまう、そんな一例を動画でお楽しみください。

ところで、私は日本の政治家や行政の人々が日本国民に向かって「Stay home」と英語で呼び掛けていることを不思議に思っていました。日本にも外国人がたくさん住んでいるからかしら? などと思っていました。私の住むカナダは英仏の二か国語が公用語なので、「Stay Home」と「Reste Chez Toi」と両方あります。だから、なんか理由があるのかな、くらいに疑問に思っていたのです。

友達にこの疑問をぶつけてみたところ、「英語で言われると、お願いなのか、命令なのかが曖昧に聞こえる」という答えが返ってきました。なるほどねー! 

そして、「Black Lives Matter」。この抗議運動がなくても、私は常々「matter」には悩まされているのです。これを和訳するとしたらどう訳しましょうか。「黒人の命も大事なんだ」「黒人だって生きている」「黒人の命を粗末に扱うな」―― 悩んでいるうちに、「Blue Lives Matter」や「All Lives Matter」などの派生語も続々と登場しています。で、結局「ブラック・ライブズ・マター」でお茶を濁しておくのが一番だと逃げてしまう。個人的には「黒人の命を粗末に扱うな」が一番的を射ているように思います。だって、本当に粗末に扱われているとしか思えない事件が後を絶たず、そのことへの抗議なのですから。

ひょっとしてウィキペディアにこれについてのページがあるのかな? ありました……。日本語訳への異論がいっぱい書かれています。こ、こわい。

Launch America

週末、NASAとSpaceXによる有人ロケットの打ち上げをテレビで見ていました。ケネディ宇宙センターの発射台に宇宙飛行士を運ぶテスラ。その走行姿を見ながら、イーロン・マスクってすごいなと思いました。

去年2019年はアポロ11号が月面着陸に成功した50周年でした。NASAのTシャツが流行ったし、発射から月面着陸までの様子を見せるドキュメンタリー映画が上映されたりもしていました。映画は私も見ましたが、1969年の映像をデジタル化し、現代の観客も楽しめるような作りになっています。あれに比べると、週末に見たクルードラゴン+ファルコン9の映像は、信じられないほど鮮明で美しかった。クルードラゴンがファルコン9から分離される瞬間、特に第二段階のセパレーションのとき、背後に見えた地球の姿には、心を鷲掴みにされました。

SpaceXのCEOイーロン・マスクは、自分の子どもに一般人には読めない不思議な名前を付けたり、ロサンゼルスにトンネルを掘ったり、なにかとエキセントリックな人です。それでも、ペイパルといい、テスラといい、この30年間を振り返って「世の中何が変わったか?」と聞かれたときに必ず名前が上がりそうな事業を立ち上げてきた先駆者でもあります。特にテスラは、ビッグ3を敵に回してアメリカで起業したのだから感心です。日本で、トヨタを脅かす自動車会社を作る人が現れたと想像してもらえれば、その肝っ玉の太さがわかります。別に私は彼のファンでもありませんが、あのような人がいないと、サイエンスに憧れる次世代も現れないだろうし、世の中も変わらないのではないかと思うのです。

私はPBSでロケット打ち上げの生中継を見ていました。SpaceXの社長グェイン・ショットウェルが、「私を信じて雇ってくれたイーロンに感謝します!」と嬉しそうにコメントしていました。こういう要職に女性を登用できる彼にまた感心してしまいました。

ちなみにPBSはアメリカの国営放送なので、様々なところに配慮があって、スタジオにいるNASAの解説者たちも女性や黒人でした(ケネディ宇宙センターからの実況中継には白人男性レポーターを配置)。さらに2020年らしく、プレキシガラスで区切られたなかで実況中継をしていました。

この週末、アメリカでは警察による黒人への暴力に反対する抗議運動が全米各地で起きていて、ロケット発射どころではない人たちも大勢いました。宇宙開発のような領域では多様化が確実に進んでいます(1969年のアポロのとき、ほぼ白人男性だけだったのに比べれば)。一方で、別のところでは全然そうではなく、テレビの前に座ってニュースを見ているだけで居心地の悪い違和感に苛まれました。