これは祖父が結婚した日の写真で、実家の奥の部屋で撮影された。祖父と祖母はラブリーかつポエムな関係であったらしく、互いに俳句を詠み合っていた。
この祖母は早くに亡くなり、私はこの写真ではじめて祖母の顔を知った。私の妹が生まれたとき、この祖母の生き写しだと祖父が言い、妹は祖母の幼名をもらった。というか、祖母は幼い時におトイレに落っこちて、縁起が悪いということで改名していたので、妹はトイレに落ちる前の名前をもらった。
祖父は起業家で、一番最初に興した会社は石鹸会社だった。今、姪っ子が石鹸を作って売っているのは偶然とは思えない。石鹸のあとは塗料製造の会社を興した。そのうち、親族の誰かが塗料製造の仕事を始めたりして。一人、車好きで、ほしい車(ランボルギーニ)を手に入れるためには「IT企業の社長になるしかない」と達観してる小学生が親戚にいるしね。
祖父は田舎から大学へ進学したので、最初の頃は、都会の学生が話している内容がよくわからなかったと言っていた。みんながゲーテを読んでると聞けば、「ゲーテ? ナンデスカ、ソレハ!」と図書館へ駆け込んで読み、アイスクリームがおいしいと聞けば、すぐに買いに走りと、知らないことだらけだった。「自分にはわからないことが世の中にはたくさんある」という驚きの中に身を置くことは大切だよと教えてくれたのは祖父だった。
私はといえば、この祖父のおかげで大学に進学した。語学で身を立てるように言われ、今、そのとおりになっている。私が通った大学は今年創立150年とあり、卒業生からの思い出を募っていたので、自分の進学の経緯を書いた。進学を阻もうとした父を世間に晒したので父には悪いけど、女子教育を阻む男たちに、いつかは娘に助けられる日が来るのだぞと忠告するつもりもあったし、かろうじて女子大ならと進学を許してもらえたことから、「女子大の存在意義」を考えたい気持ちもあったし、家族の中によき理解者がいた幸運に感謝しようと思ったのもある。
写真に話を戻し、仲人さんが誰なのかは聞いていないけど、奥さんの日本髪に時代を感じるなぁ。
