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Y日記50

これは祖父が結婚した日の写真で、実家の奥の部屋で撮影された。祖父と祖母はラブリーかつポエムな関係であったらしく、互いに俳句を詠み合っていた。

この祖母は早くに亡くなり、私はこの写真ではじめて祖母の顔を知った。私の妹が生まれたとき、この祖母の生き写しだと祖父が言い、妹は祖母の幼名をもらった。というか、祖母は幼い時におトイレに落っこちて、縁起が悪いということで改名していたので、妹はトイレに落ちる前の名前をもらった。

祖父は起業家で、一番最初に興した会社は石鹸会社だった。今、姪っ子が石鹸を作って売っているのは偶然とは思えない。石鹸のあとは塗料製造の会社を興した。そのうち、親族の誰かが塗料製造の仕事を始めたりして。一人、車好きで、ほしい車(ランボルギーニ)を手に入れるためには「IT企業の社長になるしかない」と達観してる小学生が親戚にいるしね。

祖父は田舎から大学へ進学したので、最初の頃は、都会の学生が話している内容がよくわからなかったと言っていた。みんながゲーテを読んでると聞けば、「ゲーテ? ナンデスカ、ソレハ!」と図書館へ駆け込んで読み、アイスクリームがおいしいと聞けば、すぐに買いに走りと、知らないことだらけだった。「自分にはわからないことが世の中にはたくさんある」という驚きの中に身を置くことは大切だよと教えてくれたのは祖父だった。

私はといえば、この祖父のおかげで大学に進学した。語学で身を立てるように言われ、今、そのとおりになっている。私が通った大学は今年創立150年とあり、卒業生からの思い出を募っていたので、自分の進学の経緯を書いた。進学を阻もうとした父を世間に晒したので父には悪いけど、女子教育を阻む男たちに、いつかは娘に助けられる日が来るのだぞと忠告するつもりもあったし、かろうじて女子大ならと進学を許してもらえたことから、「女子大の存在意義」を考えたい気持ちもあったし、家族の中によき理解者がいた幸運に感謝しようと思ったのもある。

写真に話を戻し、仲人さんが誰なのかは聞いていないけど、奥さんの日本髪に時代を感じるなぁ。

Y日記49(日本&韓国)

韓国と日本から帰ってきたら忙しかった。ピックルボールをする暇はあった。もはや、これがないと私は何にも集中できない。スポーツしたあとは集中力が高まる。単に時間が足りなくなって集中せざるをえないだけかもしれないが。

ソウル国際ブックフェアについては、Bookpottersのニュースレターに書いたし、個人的なことを書いておこう。

ハイライトのひとつは、姉御とコンビを組んでいる映画監督と長々と話せたこと。今まで、姉御の家ですれちがいざまに少し言葉を交わす程度だったけど、経歴を聞いたら、まるでクオンのキムさんみたいだった。日本の大学に留学し、版権エージェンシーに勤めていたってところが。ソウルでは、クオンのキムさんにお目にかかることもできた。ご挨拶をして、私のパラパラ作品集をパラパラしてもらい、作品集は気にってもらえたかんじだった。

もうひとつのハイライトは、韓国のスターを追っかけている高校時代の同級生とソウルで落ち合ったこと。渡り蟹の醤油漬けが食べたかった私のために、ミシュランの星をもらっているレストランを予約してくれた。なのに、場所を間違えて大幅に遅刻した。江南店と聖水店があって、グーグル先生に聖水店へ案内されたからだった。ウーバーを呼んで江南まで走った。ソウルでウーバーが使えてよかった…… 「カカオしか使えません」なんて状況だったら、もっと遅刻していたはず。ウーバーのおかげで、渡り蟹の醤油漬けが食えた。小鉢類も全部おいしかった。

ご飯だけではさみしいから、「穴場」の、インドアゴルフ練習所の中にあるバーに連れて行ってもらった。飲み客は私たちだけ。他の人はシミュレーションゴルフをしていた。あれで上達するんだろうか。ソファーがふかふかで、トイレもゴージャスで、確かに穴場だった。

そのあと、ハングル文字が読めないと難関のバスに一緒に乗ってもらい、明洞のホテルまで送ってもらった。ロッテシティホテルの上階角部屋に泊まったので、朝の景色がきれいだった(他の日は東横インに宿泊してた)。テレビをつけたら韓国の地上放送のドラマをやっていて、全然言葉がわからないのに見入ってしまい、差し挟まれるコマーシャルすら面白く、観光する時間がなくなった。清渓川(チョンゲチョン)がすぐ近くを流れていたので、そこを散策するのが精一杯だった。仁川国際空港へ向かう。ソウルの街からは遠いよ、この空港! 今度は絶対金浦空港を使うぞ! 前回、私が韓国に来たのは1994年だったと思う。そのとき、仁川国際空港は開港していなかった。昨日、「イカゲーム」のシーズン2の第1話を見ていたら、仁川国際空港が出てきた。

日本滞在中も盛りだくさんだった。打ち合わせや挨拶もあったけど、友だちや、Bookpottersで集まった。上海料理に四川料理と連日中華! 同級生とおいしい蕎麦も食べた。生まれてはじめて某大手出版社の中に入った。「これが、あの……」と感慨深かった。東京は2日間しかいられなかったのが残念だった。飛行機のチケットを購入してから予定が埋まり、関空→新幹線で東京→成田からソウル→ソウルから名古屋→関空という動きになってしまったからだった。

帰国中に5回くらい人に話したけど、新幹線の5号車のトイレが故障していたため、途中駅に停まるたびに「大便器が故障しています」というアナウンスが流れた。「大便器」という言葉を聞いたのは久しぶりだった。的確な言葉ではあるものの、早朝の新幹線の中で朝ごはんを食べようと思っていた私は、新横浜までずっとこのアナウンスが続いたのでうんざりだった。

今回、たいへんラッキーなことに、行きも帰りもビジネスクラスにアップグレードしてもらえた! 行きなんて、座席番号が「1」。飛行機の一番前の席に座ったのは、生まれて初めてだった。

Y日記48

この2年間、週3くらいのペースで顔を合わせていたピックルボールの仲間がアメリカへ引越し、さみしいかぎりだ。お別れ会は3回ではすまなかった。そしたら、また一人、もう一人と、海外へ引っ越す人が現れた。今から虎視眈々と彼らのところへ遊びに行く機会を狙っている。

1年ぶりに、早朝ピックルボールのメンツと早朝プレイしたら、気分爽快。ネット際のラリーが長く、自分の反射神経をもうちょっとどうにかしたいと思った。このグループの人たちは年齢層高めで両膝にサポーターをつけていたりするので、コートから外れたボールを走って取りに行くのはほぼ私の役目。運動量多めだった。

イーロン・マスクの政府要職退任会見のときに見せた、あの「顔のあざ」! 私も同じところに同じようなあざをつくったことがある。電車に乗っていて、コーラの缶を窓際に置き、眠くて船を漕ぎはじめたら、缶に顔をぶつけた。翌日「どうしたの?」といろいろな人に聞かれたけれど、いちいち状況説明するのが面倒だったため、「コーラ缶に顔をぶつけた」と省略したら、誰も信じてくれなかった。イーロンも、意外と世間にいちいち報告したくない状況で、あざをつくったのかも。

突然、「姉御と私がやっていることは、まるで『ウェインズ・ワールド』だ」という思いがどこからともなく降ってきて、『ウェインズ・ワールド』を久しぶりに見た。どう考えても、私がガースだろ。笑える。

HAIMの曲ばかり聴いていたら、『リコリス・ピザ』をまた見てしまった。もう何回見たことか。ここ数年のあいだに見た映画の中で、一番好きかもしれない。アラーナの視点で見てみたり、ゲイリーの視点で考えてみたり。日本人女性に向かって変な英語で話しかけるアメリカ人男に、「最近見かけないけど、昔こういう人いたよね!」と思ったり。最近は、アメリカやカナダで長年暮らしているのに英語が下手っぴだと、冷ややかな目で見る人が多いと思う。あれよね、移民にうんざりしているからかも。『リコリス・ピザ』の中には好きなシーンがいっぱいあって、毎回そこんとこ見るだけでも満足。

もうすぐ日本と韓国へ行くので、その準備に忙しい。もう少し早くとりかかっていれば、と思うのもいつものこと。東京でも韓国でも予定が埋まってきて、超うれしい。ぼっちになるのを心配していたのだよ。

1冊ほとんど訳し終えて、次の本を1章だけ訳してみたけど、超新鮮! 長丁場の仕事を終えたあとって、いつもこうなる。

同業者たちが、いろんな媒体ですばらしい文章を披露しているのを見て、すごいなと眺めつつ、私もどこかで書きたいと思う。ピックルボールについていつも書いているような小話をこのブログではない、どこかで書きたい。どこ? スポーツ雑誌? どこかピックルボールを日本で推進しているところ?

Y日記47

ピックルボールの仲間がひとり、アメリカに引っ越しするというので、2回目のお別れ会が開かれた。3回目もあるんじゃないかと内心思っている。私は年齢的にとてもお姉さんなのだけど、仲間うちで「ペットのように」かわいがってもらっている。老眼のため、みんなのようにスマホをサクサク操作できない私のために、帰宅時にはライドシェアを呼んでくれるし、家に着いたら、「無事着いた?」と生存確認までしてくれる。

引っ越しする仲間に、いつもピックルボールをプレイしている公園の名前入り野球帽を作って送った。Canvaで無料デザインをいじって、Sticker Muleにそれをアップロードして野球帽にしてもらっただけだから、「作った」わけではないが。好評だったので、祝い事があるたびにこれをプレゼントしてもいいかも。

コートに大学生インスタグラマーがやってきて、私たちと一戦交え、動画を撮っていった。どうやら、あちこちのコートに道場破り的に出没して動画を撮っているらしい。ガツガツしたところもなく、趣味でインスタをやっている感じで、体当たりで楽しく盛り上げてるところが好印象。

たとえば、このダイブキャッチは、動画狙いでやったと思うけど、そのあとに私がファインプレーを台無しにするところは想定外。結果的にオチのある動画になっている。でも、私はこれを見て、自分はもっとキビキビと動いていると思っていたのに、かなりモタモタしているという事実を突きつけられた。

彼らはスマホと小さなスタンドだけで動画を撮っている。何を使ってるんだろうとしげしげと見てしまった。最近、大学生の夏のアルバイトがあまりないらしいから、こーゆー夏の過ごし方もいいんじゃない?

姉御とのポッドキャストが50回目を迎えた。これを商売にする気もないので、ひたすらおしゃべりを垂れ流すスタイルを貫いて、100回目を目指したい。50回記念に、愛媛県でラム酒づくりをしている天神村醸造所株式会社の亀岡晶子さんと、今治タオルの技術でコットンマフラーを作っている株式会社カラーズヴィルの竹田昌弘さんをゲストに迎え、愛媛の気候や歴史など、いろんな面白い話を聞かせてもらった。ま、私はその場にいなくて、録音を聴いただけだけど。

話は変わり、新しい仕事がまた決まった。これは持ち込み企画じゃない。依頼された。個人的にたいへん面白くて「訳したい!」と思った内容だったからラッキーだ。ちょっと変わった本をいろいろ訳したいし、すごくまじめな本も訳したい。

Y日記46

ピックルボールのリーグで、途中棄権してさっさと帰りたいと思うような最悪のゲームを経験した。完全自滅ってやつですね。へこんでいるところへ、私が密かに見下しているプレイヤーがやってきて、「ぼくたち、同レベルだよね」と傷に塩を塗り込むようなことを言ってきた。怒り心頭で家に帰り、ピックルボール用のポータブルネットをポチった。

「リベンジじゃぁ〜」

と騒いでいたところ、仲間たちが「なんでネットでリベンジなん? 新しいパドルじゃなくて?」と訊いてきた。確かに。新しいパドルを買えばよかった。

軽量タイプを買ったとはいえ、ネットは6キロもあるし、細長いゴルフバッグのようなバッグに入っている。今日、おニューのネットをコートに持参しようと、地下鉄のプラットフォームまで行ったのに、電車がこない。コートに行く気満々だったため、再び地上に戻り、ライドシェアを呼ぶ。

運転手のおじさんは、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンあたりの出身の人だった。「朝の四時から運転しているけど、ウーバーががっさりマージンをとっていくから大変だわ〜」という苦労話を散々聞かされ、「あ、ここでもう結構です」と降ろしてもらった場所は公園の1ブロック手前。エッサエッサとネットを担いで公園にたどりついたときには疲れ果てていた。

公園にネットを張り、全然知らない人たちがそこでプレイをし、まるで慈善事業をしているみたいだった。持って帰るのが面倒で、仲間の車のトランクに詰め込んで、家に帰ってきた。その人は数日後に日本へ行くという。しばらくマイネットとはお別れですね……

ピックルボールの話題とはうってかわり、仕事の話。

ポシャったと諦めていた企画が通った。自分で持ち込んだ企画がはじめて通った。これは快挙。打ち合わせをするのが楽しみで仕方がない。

1月に蛇窪神社でおみくじを引いたとき、今年の私のラッキーアイテムは「木」だと書いてあった。よ〜く考えれば本は木からできているじゃないか。当たってる!!