
シーズン 3のエピソード4をお届け。今回もゲスト回です。お迎えしたのは、私の大学の大先輩、船坂まりさんです。まりさんは今年100歳を迎えられたので、「同志社女子専門学校」の昭和19年のご卒業です。
まりさんとの出会い
トロント同志社会の集まりで、隣同士になったことがきっかけでした。そのとき、まりさんはお誕生日を迎えられたばかりで、そのお年を知って驚いたのでした。もっとお若いと思ったんですよ!
暮らしの手帖にまりさんの手記
そこから、いろいろとお話を伺ううちに、暮らしの手帖が出している『戦中・戦後の暮らしの記録』(暮らしの手帖の70周年記念出版)に、まりさんの手記が掲載されていると知り、読みました。普段のメールの文章も日本語が美しいのですが、それだけではありません。文才がおありなのです。
「私は京都出身だから、いわゆる「戦災」には遭わず、家を焼け出されたとか、そういう経験はしていないんです。そんな私が経験した戦争を書いてみようと思ったの」
と、まりさんはおっしゃいました。まりさんの手記は「清水さんを思う」という題で、初恋の人を戦争で失った話です。本当は「軍事郵便」という題で出されたそうですが、編集で変えられたことが「とても残念」とご本人がおっしゃっていたので、ここに本当の題をお知らしておきます。でも、私は編集者さんの付けた題もすごくいいと思います。なんか、わかるんですよね、どうして変えたかが。題のことはさておき、切なく、そして、当時の恋愛というものがよくわかる話です。ぜひ、『戦中・戦後の暮らしの記録』に載っている、まりさんの手記を皆さんに読んでいただきたいです。
次回か、その次の配信で、この手記についても伺っているので、楽しみにしていてください。
今回の内容
- 同志社女子専門学校の卒業。
- 1957年から1963年までのモントリオール駐在時代
- そのあとの香港駐在時代
- 1971年からのトロント駐在時代
メアリー・デントン先生
戦中に監視されていても、毅然としていたメアリー・デントン先生の話や、戦争中でも英文学が勉強できた話が出てきます。同志社女子に通ったことのある人なら、デントン先生の話を聞いた記憶があるかと思います。今出川キャンパスにデントン館という建物もあるのですが、どんなだっけ?と思い出せなかったので、リンクを貼っておきます。
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/campusmap/imadegawa/index.php
私、実は大学時代が「暗黒時代」の一つだったので、あんまり記憶がありません。ですが、この大学を志望した理由ははっきり覚えていて、「赤い煉瓦で統一されてるキャンパスがかわいい!」でした。今写真を見ると、赤煉瓦にもいろんな色があって、そんなに統一されてるわけでもないですね。
アメリカにいたとき「建物が可愛いから学校を選んだ」と人に話したら、「僕も〜」と言ってくれたアメリカ人がいて、その人はペンシルバニア大学に行ったそうです。いるんですねぇ、どこの国にも!
Spotify だけでなく、アップルポッドキャスト、グーグルポッドキャスト、アマゾンミュージックでも聞けます。「きょうこりんと姉御」で検索してみてね。
