死刑執行人サンソン

漫画『イノサン』の爆読みからの、世界の様々な処刑方法を紹介する本の翻訳オーデション落ち、そしてベルギーの拷問ミュージアム訪問と、なぜか黒歴史に惹かれています。

その制度の善し悪しは別にして、歴史を振り返ると、人間は「処刑」を見物するのが大好きなんですね。で、処刑の方法にも、罪状と身分が反映されていたので、豊富なバリエーションが存在したわけです。

でも私がいちばん興味をそそられるのは、「処刑」への民衆の反応です。一般的に言って、個人の心の中では善悪は白黒きっぱり分かれているものでもなくて、葛藤がある。はっきり言ってグレーゾーンだらけ。ところが、他人に対して善悪を判断するとなると、しかも「民衆」というかたまりになると、事情が違う。これは何なのでしょう。

処刑というと極端ですが、たとえば、SNSで無責任な立ち位置からの暴言・放言に似ているかもしれません。ハンドルネームを使い、「個」がばれないことを担保した上での、政治や社会問題に対する批判、有名人への批判が、「マス」となったときの暴力性…… 処刑に湧く群衆と似ているのです。

ちなみに、この本はビジュアルがゼロなので、寝る前に読んでも悪夢にうなされることはありません。死刑制度を持つ社会には「死刑執行人」が存在し、その人が死刑を認める社会に忌み嫌われるという矛盾が中心に書かれています。

ギロチンは「自由と平等」の思想にもとづいて発明されたものなのだそうで。それまでは、高貴な人々はバサっと首を切られ、庶民は八つ裂きなどにされていたのです。そこで、処刑における身分差別の撤廃を呼びかけたのが「ギヨタン」という人なのだそうで。ギロチン+ギヨタンに笑ってしまいました。