The Queen is Dead

エリザベス女王が崩御されて、一つの時代が終わった感じがする。「あのとき、どこで何してた?」とあとで友人同士で話題になるかもしれないから、ここに書いておこう。

ちなみに、私の周囲で「あのとき、どこで何してた?」と確認し合うことが多いのは、昭和天皇崩御の日と9.11。あと、オバマが大統領に就任した日かな。

エリザベス女王危篤のニュースが流れたときからずっと家にいて、崩御の知らせが届いたときは『クリスマスの伝言』の英語版を仕上げている最中だった。まず思ったのは、『The Crown』を女王が生きている間に観ておいてよかったな、ってことと、プラチナ・ジュビリーあたりから、いつこの知らせが来るかわからない状態だったなと……

何人かの友だちとメッセージを送り合うも、驚きはなく。今日は時間に余裕があるから、メーガンのポッドキャストを聞いてみようと思っていだけど、聞く気が失せた。カナダのテレビでは、「女王はカナダをとても大切に思っていた」系のコメントが飛び交い続けている。

そのあと、図書館に頼んであった本を取りに、ピクミン散歩がてら外出。

偶然だけど、1週間後にロンドンに行く。バッキンガム宮殿に行って、私もお花を供えてこようかな。国葬と時期が重なるかも?

↓わかる人にはわかる場所

自分を見せる?ー余計なお世話じゃ、好きにやらせろウェブサイト編

「フリーランスの翻訳者もちゃんと自分を宣伝しなければいけない」とよく言われます。同業の先輩もそう言うし、自分を宣伝して仕事が来たという成功体験を持っている人もいます。でも私の場合、ウェブサイトから引き合いが来たことはありません。

私はインパクトのあるオリジナルロゴを持っているせいか、周囲には「自己プロデュース好き」あるいは「自分好き」と認知されています。「プロデュース」するほどの自分はなく、その言葉で形容されることに抵抗もありますが、最近よく、日本とアメリカ(カナダも含め?)では、「自分を売り込むこと」への抵抗感に文化的な違いがあるんじゃないか?と話をするので、ここに思うことを書いてみます。

そもそもの目的が自分を見せることだった!?

私は2005年以来のブロガーで、趣味の編み物&手芸、旅行、映画や本のことを書いていました。ユーチューブもポッドキャストもインスタも、実名もしくは私とわかる名前でやっています。実名を使っているのは、すごい大風呂敷を広げたり、余計なことを言ったりするのを防止するためです。どれも大した数のフォロワーはいません。そもそもフォロワーの数が増えると、いいにくいことが出てくる。私はSNSを自己満足と告知用に使ってます。自分の訳書が出たときなど、SNSでなら、しつこく告知しても誰も何も言わないですから。

フリーランスの翻訳者に転向したのは、2010年。出発のために、ある無料サービスでウェブサイトを作りました。ですが、デザインのテンプレートにいいものがなく、「クッキーの型でくりぬいたような」没個性型だったため、ほとんど誰にも見せることなく閉じました。そこで、ヤプログで書いていたブログを仕事関係の方々に公開することにしました。遠く離れた日本の会社に「仕事ください」と言うのなら、自分がどういう人間なのかを見せなければ、という発想です。が、自分を盛って見せても仕方がないと思い、遊びで書いていたブログをそのまま見せました。

2005年の開設以来、ブログのスキンはふざけたリスとキノコの模様、内容も翻訳とは無関係でしたが。それでも「(たまに)読んでますよ」と言ってくれる人はいて、仕事相手に「私の性格」は伝わったと思います。心なしか、メールのやりとりはやわらかです。

自分を宣伝したいんだろう?だったら実名で…… って文化の違い?

そのヤプログも数年前にサービスを終了。そう、無料のものは、こちらの都合関係なく終わる! そこで、年間カナダドルで$84払って、今のウェブサイトを作りました。真っ先に悩んだのはドメイン名。アメリカ人、カナダ人、海外に住む日本人に意見を聞いてみたところ、

自分の筆一本で生きていくのだろう? 本名でクレジットされたいのだろう? だったら本名でドメインをとればいいじゃないか仮に、『ジャパン・トランスレーション』みたいな凡庸な名前を付けたとして、それがあなたの成功につながるとは思えない。事業名を付けるなら、それこそ真剣に考えないといけないし、その命名で失敗するよりは、自分の名前がいいんじゃないか

と言われました。たしかに、ライター、デザイナー、イラストレーターとして独立して仕事をしている人たちは、自分の名前でドメイン名をとっている人が多いです。ペンネームの人もいるかもしれませんが。

あと、アメリカ在住の知財の弁護士さんたちがやっているクラブハウスで、「会社名や商品名を付けるなら、よく考えて。何かの真似をした名前だと訴えられる。そもそも独自性のあるものを作っているなら、何かに酷似した名前を付けるもんじゃない」と聞きました。これもある意味、アメリカっぽい発想でしょうかね。日本だと「成功した何かにあやかって……」という考え方があるじゃないですか?

ビジュアル大事、が、グッズは要らん

ドメイン名を「kyokonitta.com」に決めたあと、ロゴをデザイナーの友人に作ってもらいました。目立ちたいからではなくて、自分のことを説明するのが面倒だったからです。「ああ、あのロゴの人ね」と認識されればいいと。その友人にはビジュアルの重要さを教えてもらいました。私は文筆業なので、なんでも書いてしまいますが、ビジュアルと文章のバランス、風通しのよい文章(文字間スペースなどの工夫)、文字を追うときの目の動きなどについて、折に触れて考えさせてくれました。さすが、デザイナー!

ちなみに、クラブハウスのあちこちの部屋に行くと、「あ、あのロゴの人だ!」と言われますし、「きょうたんと言えば赤」と小学生にも言われるので、成功してるんじゃないかと思います。

コロナ禍でどこへも行けなくなって退屈したときには、オリジナルグッズもいろいろと作りました。オリジナルグッズは、人に嫌われるたびにゴミ捨て場行きになるので、あまりおすすめはしませんが、作っているあいだはすごく楽しいです。

箱はできた! 中に何を入れる?

次は、サイトをどういう作りにしたいのか、どんな内容を盛り込むのかを悩みました。あちこちのウェブサイトを覗いてはメモ。すごく参考にしたサイト、反面教師にしたサイトの両方です。結局は、テンプレート頼みですが、Wordpressには有料無料問わず、いっぱいおしゃれなテンプレートがある!

もともと私は様々なことを自由に書くことを癒しに感じ、自分のまとまりのない思考をまとめていたので、ブログ時代と同じノリで何でも書こうと思っていました。「PVを増やすには!」みたいな本を読むと、私が好きなこととは正反対のことしか書いてありません。$84もお金を払ってるんだから、好きなようにさせろ!って話です。アルゴリズムに踊らされるのは嫌です。道のない野原を歩くのが好きなのです。

前述の知財のクラブハウスの何がおもしろいって、弁護士さんたちの愚痴や人間的なトークが始まるときです。そういうところでわかるじゃないですか? 「ああこの人たちは本当に知財が好きなんだな」って。

ただ、このウェブサイトに移ってからは、ヤプログ時代のように書きなぐるのはやめて、推敲はちょっと念入り。それでも、「早くこれを人に読んでもらいたい!」と気が逸り、記事を公開してから、あとでこそこそと直しを入れています。また、面倒くさいなと思いつつ、キーワードも入れています。PVを増やすにはキーワードありきなんですが、そんなのはしゃらくさい。ただ、キーワードを考える作業は執筆作業には重要だと思っています。つまり私にとって、ウェブサイトは「書く」作業の修練場なのですね。

モチベーションは実は……

昔からブロガーだった人なら、わかってもらえる話ですが、私はブログを通じて、たくさん友達(主に編み友)があちこちにでき、実際に会ったこともある人も何人もいて、ずっと交流が続いています。実は、このブロガー時代の人との出会いが原動力になっていて、このウェブサイトを続けているというわけなのですね。長文を書いたわりに、地味な着地点でがっかりされたでしょうか?

次回はポッドキャストについて書こうと思います。

ゆきゆきて、神軍

今年の終戦記念日には『ゆきゆきて、神軍』を観ました。この映画の英語タイトルで検索すると、インターネット・アーカイブで無料で観ることができますし、アメリカやカナダにお住いの人なら、The Criterionでも。英語は、『The Emperor’s Naked Army Marches On』です。

最後まで観たけど、精神的にきつかったです。『野火』みたいに映像がグロいわけではまったくありません。本当に人肉を食べて生還した(であろう)人たちに真実を述べよ、と奥崎謙三が迫っているからです。

奥崎謙三のことも、彼が執拗に訪ねる元日本兵たちのことも非難する気持ちにはなれません。何も言えない。どこに向けて言えばいいのかわからないけど、為政者の都合でこんな思いを味わされるのはごめんです。

帰還兵の証言を集めた本なども重要ですよね。

読書会7 – 雌犬

今月はラテンアメリカ文学。コロンビアの作家、ピラール・キンタナの『雌犬』です。村岡直子訳。タイトルと表紙が既に不穏じゃないですか? 決してかわいいワンコの話ではありません。

主人公ダマリスは子どもに恵まれないまま、妊娠可能期の後半にさしかかっている。そこへ、生後まもない雌の子犬を引き取り、溺愛して育てる。その犬には、もし自分に子どもが生まれたら付けたいと思っていた名前を付ける。でも子どもが欲しくてたまらない自分の気持ちを人に気づかれるのが嫌で、人前ではその犬を「雌犬」と呼んでいる。ある日、その犬が逃亡し……

……という話なのですが、舞台はコロンビアの太平洋沿岸のジャングルを背にした崖の上。崖下には閉塞的で、逃げ場のない貧村。現代的な医療よりも呪術がまかりとおっているようなところだから、人間の不妊治療も、犬の避妊手術もない。そういう土地で、母性、母と子の関係性、女であることの意味、自然の暴力性を読者に考えさせるような作りになっています。

短い小説だから、これ以上のことはネタバレになって書けないけれど、テーマは何かと聞かれたら、「妬み」と答えるでしょう。妬みを人に気づかれないように隠すこと。読書会では、この「妬み」について、脱線しつつ、いつもより長めに話し合いました。あとがきに書かれている、ピラール・キンタナの人生もワイルドです。

とても短い小説で、平明な文章で書かれ、外国の知識もあまり必要としないので、海外文学をいちど読んでみたいと思っている人にはとっつきやすいかもしれません。

ところで、私は電子書籍でこれを読んだのですが、「紙版の裏表紙のデザインが意味深」と聞いたので、紙版を持っている人に裏表紙を見せてもらいました。表と裏を合わせて意味を持つという、すばらしいデザインじゃないですか! 電子版にも入れてほしかった!

The Dropout

なぜか私は番組名を『The Droplet』だと勘違いしていました。正しくは『The Dropout』。そう言い間違えてしまうのは、注射器を使わず、血を一滴採血すれば、いろんな検査ができるテクノロジーを開発したと豪語していたエリザベス・ホームズの話だから。

このドラマも、『令嬢アンナの真実』も、アメリカの超富裕層に食い込む「突破口」を見つけた瞬間に、自分に流れ込むお金の金額がとんでもないレベルに跳ね上がり、それに比例して嘘のスケールも大きくなります。つまり、お金が有り余っている超富裕層へ「つなぐ人」を見つけだすしぶとさと、はったりをかませる能力が重要ということなのでしょうか。

『令嬢アンナの真実』のアンナにも、『The Dropout』のエリザベスにも虚言癖があり、人生の最終目標が「リッチになる/有名になる」ことでした。もしかするとエリザベスのほうは、最初のうちは世の中を変えるテクノロジーを開発する野心があったのかもしれませんが。最終的には、周囲にいる人々が目を覚まして彼女たちから離れ、彼女たちは失墜しています。大金には無縁のジャーナリストが必死に食いつくところも、この2つのドラマの共通点です。

『令嬢アンナの真実』のアンナには愛すべき「キメ台詞」がたくさんありましたが、『The Droplet』のエリザベスには、「キメ顔」がてんこ盛りでした。目を大きく広げて、絶対に瞬きしない! 実際のエリザベスは目がぎょろっとしてて、声をわざと低くくして話していました。アマンダ・サイフリッドがその不気味さを100倍くらい増幅させていて、そこが見どころかな。あと、守秘義務契約をみんなよく守っているので、いかにもアメリカって感じがします。ドラマだけでなくて、現実でもアメリカ人は守秘義務を(訴えられることがリアルなので)よく守る気がします。ジェフリー・エプスタインを悪を暴くときも、この守秘義務契約がかなり難関だったそうです。

ちなみに、このドラマはポッドキャストをもとにして作られています。

あと、この動画を見れば、実在の人物たちの顔が確認できます。