The Queen’s Gambit

ものすごく暗い話でしたが、話を語る順番って大事だなって思いました。主人公がやさぐれたときのメイクがすごかったです。あと、人生に「鉄板」があるってすごく大事だとも思いましたね。ま、主人公にとってそれがチェスなわけですが。

巣ごもり生活が続いているし、このドラマに触発されてチェスやってる人、多いんでしょうね。以前働いていた会社にはチェスクラブがあって、夕方になると、会社の人とその子どもたちが会議室に集まってやってました。

我が家はチェスではなく、囲碁だったので、祖父は近所の人と対戦するため自転車に乗って互いを訪ね合っていました。祖父が好んで対戦する人は「船乗りさん」だったことを亡くなってから知りました。私も小学生の頃、囲碁を習おうと思いましたが、碁会所のたばこの煙がすごくてあきらめました。祖父は私の大学生時代の下宿先の大家さん相手に囲碁を打ったこともあり、「あなたのおじいさんとまた一局お願いしたいわぁ」とよく声を掛けられました(あれは、自分で声を掛けられないから、私に頼んでいたのではないかと今頃になって思う……)。そういえば、サンフランシスコに住んでいた時、外でテーブル広げてチェスやってる人いっぱいいたな。

全然関係ないですけど、今頃やっと『ひよっこ』全部見終わりました。世の中いろんなコンテンツがあふれていますが、ああいうドラマってNHKの朝ドラしかないんじゃないか、とネットフリックスで海外ドラマばっかり見ている私は思いました。

武田百合子対談集

何年か前に友人から武田百合子の本を借りてから、武田百合子の文章が好きになり、自分でもいろいろと彼女のエッセイ集を集めてます。何気ない日常生活も、彼女の視点と文章力でこんなにも面白くなるのかと…… 参考にしたいと思って文章をじっくり読むけど、真似はできない。文章力と視点はセットになっているからね。

これは対談集なのだけど、相手が深沢七郎、金井美恵子&久美子姉妹、吉行淳之介で、特に金井姉妹との対談が面白かった。『好色五人女』の登場人物の分析も面白かったけど。対談の相手が男だと、やっぱり旦那さんのことを訊かれるから、相手がはっちゃけた女性のほうが面白いのかも。それに私は武田泰淳の作品を読んだことがないから、旦那さんのことを聞いてもね、という気がする。

『好色五人女』みたいな話って、昔から栄えていた都みたいなところにしかないよね。ヨーロッパにもあるし。カナダには…… ない(よね?)

表紙デザインがすてき。こういうシャツ持ってる。

一人称単数

読んでる途中から、短編小説なのか、エッセイなのか混乱するほど語りが「村上春樹」だったけど、一応8作とも短編小説らしい。

8作品のうち、『謝肉祭』が興味深かった。「謝肉祭」はシューマンのピアノ曲のこと。「ブスな女と美男のカップル」の「ブスな女」が主要登場人物で、限りなく村上春樹っぽい男友達と「シューベルトの一部のピアノソナタいいよね」って言い合っている(1行しか書かれていないけど)。私はシューベルトのピアノソナタがほぼ全曲大好きで、そのソナタ集を一日中グルグルと聞いても飽きない。どこがいいって、なんかきれいだから。「謝肉祭」も好きですけどね。

アマゾンのコメント見たら、「つまらない」って酷評されていた。短編って基本、余白というか「書いてないこと」がたくさんあって、内容も日常的なものが多くて、響かなければ「なんじゃそりゃ?」って思ってしまうよね。私は村上春樹なら、エッセイと短編が好きです。

I was miles away

日本語で「あ、今、ぼうーっとしてた」と言うとき、比喩的に「あ、ちょっと今遠い世界に行ってた」と言うことがあります。英語だと「I was miles away」です。比喩的にではなく、本当に「遠く離れたところにいた」の場合も、「I was miles away」ですが。

「mile」が使われているので、これはアメリカ英語ですね。イギリス英語だとどうなるんでしょう? Kilos away??? なんか響きが悪いですね。別の表現がありそうです。カナダ英語は、文化的にはイギリスの影響が強くても、地理的にアメリカに近いので度量衡に関しては入り混じっています。なので「I was miles away」と言っても通じます。

カナダで難しいなと思うのは布を買うときです。店員によって、ヤード(yard)、メートル、インチのどの単位で注文しても、換算して「単価はヤードだからこれくらいになるけどいい?」と親切に対応してくれる人もいれば、メートルで注文すると、「うちはヤードでしか売らないから!」とぶっきらぼうに言う人もいます。

ところで……

先日「ピヨちゃん」を初登場させた動画の再生回数が桁外れに多く、驚きました。そして、なんと、初めての「dislike」を獲得しました!

この動画チャンネルは「ユーチューブ」という大海の一滴にもならず、わずかな回数しか再生されていないので、ある意味、「dislike」は一大ニュースです。

持続可能な魂の利用

松田青子さんにはトロントで直接会って、短い時間だったけど相談したことがあります(ご本人は覚えてないと思うけど)。松田さんは小説家ですが、英語を話すのもうまいし翻訳もされるし、とがった雰囲気もあって、興味を持っていました。

で、で、で! まさかこの小説にトロントが頻繁に出てくるとは思いもしませんでした。私が出会ったあの頃に、「トロントを使っちゃおうかな?」とか構想を練っていたのかもしれません(?)。この小説には、日本で女性として生きていくことの生きづらさがAKB系のアイドルになぞらえて書かれていて、女性がもっと自由に生きられる場所としてトロントが登場します。

トロントに長く住んでいる人は「でもね……」と言いたくなるかもしれません。性のダイバーシティを叫ぶトロントに長くいると、その中で生まれる矛盾にも気づかされるのです。性差や性的指向を理由にした差別が仮になくなったとしても、比較的寛容な街に移り住んだとしても、「じゃあ、あなたはどうやって生きていく?」という課題は残るからです。そういう根本的な問題は政治化させても解決できません。自分が強くなる方法を見つけるしかない。

この本を読みながら、かつて日本で暮らしていた我が身を振り返らずにはいられませんでした。私の場合、人生最初に直面した難関が、わが父の異常な男尊女卑で、16歳にはかなり高めのハードルでした。ある日、父と船釣りに出かけ、釣りが嫌いな私はカメラ片手にカモメや空の写真を撮っていました。すると、船を操縦していた漁師さんに「女の子なんだから、お父さんの手伝いをしろ!」と怒られました。私は呆然とし、釣りのエサも、釣った魚も怖くて触れないので、断固拒否しましたが、向こうにしてみれば、「勝手なことばかりして、一体何のために船に乗り込んだのか、コイツは!?」と腹立たしく、注意せずにはいられなかったのだと思います。でも、「女の子/男の子なんだから」の枕詞が付くと、カチンとくるわけですね。

ま、この個人的なエピソードはこの小説とは関係ないですが…… 

小説のストーリーは複層的で、空白の改行によってのみ、場面が変わったことが知らされるので、「おっとっと!」と読者としては躓きそうになりますが、反抗的なイメージのアイドルグループのセンターと主人公が重なっていくところは、なかなか面白いです。

これ、男の人が読むとどう思うんでしょうね? 感想が知りたいです。