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カウチ作った

なんたって座ってキーボード叩くか、読むかが仕事なので、家の中のあちこちにいろんな座り心地のイスがある。マッサージチェアもある。高さ調節できる机を使っているので、バーカウンターくらいの高さにして、立ったままキーボード叩くこともある(レバーをくるくる回すだけで、モニターなどを机に乗せたまま、高さ調節ができる)。それでも長時間働けば、足がむくむ。

てなわけで、ゴロゴロできるカウチなようなものが欲しかった。以前はいちいちベッドに寝転がりに行っていたが、それだとついうっかり寝てしまう。

かといって、カウチや、オットマン付きのリクライニングチェアは場所をとる。場所をとらず、畳に座っている感覚で、体育座りもできて、時どきもたれかかれるものはないものか?? 探したけどアマゾンにもなかった。

そこで、家の中にあった、いらないIKEAのマットレスをハサミとカッターで縦に真っ二つに切ってみた。スプリングコイルは入っていない。巨大なスポンジが入っているだけだったので、切るのはいたって簡単。

しかしスポンジは表面が滑らかでない。そこでまず、激安なコットン布でスポンジを包み込む。それをさらに、家具用の布でまた包み込む(こっちの布は厚手なので安くはない)。布のほうが高くついたけど、ま、カウチを買うより安い。布は、待ち針をいっぱい突き刺して、引っ張りながら、縫い付けた。待ち針は後で抜き忘れないように!!!

コロナ禍で突如在宅勤務を強いられ、まずは家のオフィス作りから検討しないといけない人も多いはず。何年も在宅勤務やってますが、完璧なオフィスはなかなか作れない。これから机を買うって人には、高さが調節できる机をお勧めします。

I took the rap for it

I took the rap for it

「rap」には「非難」という意味があります。「I took the rap for it. 」は「かばってあげた」「かばってやったんだよ」くらいの意味です。「I took」で始まるくらいですから、積極的に罪をかぶってます。

無償奉仕という言葉がありますが、それはバランスがとれている場合にのみに通用するものだと私は思います(主従関係がはっきりしている関係とか、相手が「公共」「大義」「神様」のような自分よりも大きな存在の関係とか。平等でない関係のほうが無償奉仕しやすくないですか?)。「XXXしてあげた」が「XXXしてあげたのに」に変わるとき、バランスは崩れているのです。崩れているバランスを直すとき、なぜか人間は「ただでは置かないぞ!」と思ってしまいます。裏切られたと思うからでしょうか。最初の一歩は無償奉仕のはずだったのに。複雑ですね。

ところで……

動画の投稿は久しぶりです。ずっと前に撮りためてあったのですが、編集する時間がなかった。この4カ月間、私の中では大書を訳していました。数えたら、これで11冊目でした。2014年に出版翻訳を始めたので、なかなかよいペースで仕事を受けているのではないかと思います。出版翻訳を始めるにあたり、諸先輩方に「10冊やって一人前だと思ってもらえる」と言われましたが、今はその言葉の意味がよくわかります。それは、翻訳の技量だけでなく、時間配分を自分で決めてスケジュールどおりに仕事ができるか(たった一人でやるのでプレッシャーがすごい)、次につながる仕事ができているか(思うように仕事がはかどらず、原作者など他人のせいにしたくなる誘惑に耐える)、ある種のことをペラペラSNSで言わないとかが試されているのだと思います。それに、10冊もやると、様々な関係者から厳しいフィードバックをもらうので腕も磨かれます。

文筆業って自己実現じゃなくて「職業」なんだな、としみじみ思います。はるか遠いところに「自己実現」のゴールはありそうな職業ではありますが。

まだ結果は不明だけど

先日も書きましたが、トランプに集まる「意識」というのは、「白人の優位を再確認したい」と考えるアメリカ国民が半分近くいるということなのかな、って私は思います。メキシコとの国境に壁を作るとか、中国との貿易戦争、アンチBlack Lives Matter なんかは、そういうの意識の表れで、それだけを見るとかなり強硬な態度のように思えますが、「昔からアメリカにいるのは自分たちだ」と思っている人には日常的な気持ちなのではないでしょうか。

日本の中にも外国人が増えている地方ってありますよね。外国人たちが比較的長く日本に居住するようになり、数も増え、その中から成功者も出て、それで日本の政治も少しずつ変わるようになったら、やっぱり元々日本にいる人は危機感を覚えますよね。けれど、その外国人たちとて勝手に日本に出稼ぎにきたわけではなく、日本が少子化で労働力が確保できないから来ただけで…… 都会からの転入者が増えている地域なんかも、似たような問題を抱えているのではないでしょうか。今のアメリカもイメージとしては、そういうかんじなのかなって。

アメリカ人も、非白人の移民が文句も言わずにせっせと働き、就労の機会を得たことに感謝している間は静かに見ている。アメリカの場合は、一般国民がやりたがらない仕事を移民に任せているだけでなく、高額の報酬が得られるグローバル企業の仕事も「高学歴な移民」がやっていることが多い(というか、世界から有能な人を見つけてくるからグローバル企業なのであって、グローバル企業は地元民を優先的に雇わない)。なのに、地方にいるアメリカ人は、シリコンバレーとかニューヨークなどの都会の人々に「田舎者」「怠惰」「頭が悪い」「変化についていっていない」とか言われがち……。

テレビなどでは、「え??」と思うようなトランプサポーターばっかり見せるから、「田舎者の馬鹿が!」みたいな風潮になりがちだけど、それはちょっとな…… とよく思います(というか、他人のことをバカって憚りなく言う人々が私は苦手です)。ま、トランプサポーターと私とでは、考えが全然相容れないですけどね。

私は自分が移民なので「国籍」や「居住国」について深く考えます。しかも、グローバリゼーションに下駄をはかせてもらっているので、居住国での自分の立ち位置は意識します。納税額では、一度も外国に出たことなどないトランプサポーター(の一部)を超え、ぶっちゃけ言ってしまえば、銀行からの信用度も私のほうが高かったりするわけです。その上、今の居住国に飽きたり、失意を感じたりすれば、「母国に帰ろっかな……」なんていう選択肢まであったりします。ここまで書いていても、もう埋められない深い溝を感じるばかりです。トランプサポーターにしてみれば、「おい!」って話です。ただ、誰もが人生の最期まで生まれた場所で生き続けるわけでもないし、やはり選挙のときにお互いに票を投じることでしか、意思表示はできないのかなと思います。

選挙と関係ないけど、今回のコロナ禍で、「国境ってこういうときにあっと言う間に封鎖されるものなんだ」と身をもって感じました。グローバル市民にとって一番怖いのは「国境封鎖」です。

いよいよ決戦の日(はよ、終われ)

アメリカ大統領選は、選挙期間が長すぎて嫌になります。今までは割と、開票日に人と集まったり、人がいっぱいいるところにわざわざ出かけて行って、開票速報を楽しみながら見ていましたが、今回はそんな気はまったく湧きません(集まれないし)。むしろ、「コロナは人間の意志では去らないけれど、大統領選はそのうち終わるから……」と言い聞かせている自分がいます。

今回のアメリカの大統領選の問題は、トランプ個人の性格が嫌だと思っていても、トランプが体現しているものは支持したいという人が意外と多いっていうジレンマなんじゃないかと思います。政治の経験がまったくなかった人でも大統領になれるということは、大統領ってただの「エージェント」(哲学的な意味での)なんじゃないかと。そのエージェントに「意識」が読み込まれるのです。「意識」はアメリカ国民の集合的な意識。トランプに集まる「意識」は明確です。じゃあ、バイデンは? そう考えると、「トランプだけは勘弁」という意識しか集まらないような気がします。そう言えば、あの外見に既ににじみ出ている…… あんな白人のおじいさん、群集にまぎれたら誰だかわからない…… 今風に言うと、「映えてない」

そういう意味では副大統領候補のカマラ・ハリスのほうがもっと積極的な「意識」が集まりそうです。どう考えても、未来のアメリカ(白人が近い将来少数派になるし)にぴったりな「エージェント」じゃないですか??? スニーカーで飛行機から駆け下りてくる姿とか、まさに「映えて」ました。

そー考えると、ペンスの「何考えてるのかわからないロボットみたいな感じ」は、トランプに集まる「意識」を邪魔しない、最強のペアですね。

ま、政治の中身と全然かんけいないですけどね。あくまでも、「映える/映えない」の話なので。アバター選挙です。スキン選挙???

投げやりになって、「あと4年、あげちゃえ!」と思う人もいるかもしれませんが、「3期連続は禁止」という法律を覆した指導者は世界に何人もいて、トレンド化(?)しているので心配です。

もー、はよ終われ!! 不確定要素はコロナだけで十分!

Year of the Dragon

「なんて美しい顔……」と私がため息をついたはじめての人はジョン・ローンです。作品数も少ないし、いつの間にか映画界から消えていったので、年老いた彼の姿を見ることもなく、あの美しさは神格化されています。「謎に包まれた芸能人」でしたよね。

久しぶりに『Year of the Dragon』を見ました。1980年代のニューヨークの中華街が舞台になっているので、今見ると何かとひっかかりを感じるかもしれないと思いましたが、そうでもありませんでした。今だったらアウトになるアジア人に向けた差別用語がじゃんじゃん出てきますが。

今さら驚いたこと/印象深かったこと

1)痩せたミッキー・ルークと、彼が体現しているベトナム帰りの男(何かと見失っている)

2)アメリカ側はミッキー・ルークのような個人であるのに対し、チャイナタウンは「家族(のようなつながり)、1000年の歴史、勤労、集団」で対抗

3)ミッキー・ルークが「何かにつけ“1000年の歴史”っていうお前らはウザい!」と暴言を吐くところ。

4)アメリカにおいて、チャイナタウン(異質な文化のはびこる場所)は結局、触らないほうがよいと帰結するところ。

5)最後の決闘シーン。ジョン・ローンが自らの手で死ぬところ(恥の文化)。その場にいたミッキー・ルークが気持ちを汲んで、銃を貸してやるところ。多分、現代の映画だと、せっかく銃を貸してやったミッキー・ルークがやられて、二人とも死ぬと思う。

6)旧態依然としたチャイナタウンの伝統を変えようとしていたはずのジョン・ローンが死んでも、チャイナタウンはまた翌日から活気にあふれ、何事もなかったかのように日常が始まること。

7)準主人公級の中国系アメリカ人、トレイシー役は、日系アメリカ人が演じていること。彼女のファッション、髪型、メーク、住んでいるアパートと、すべてがいかにも1980年代なこと。

8)トレイシーのアパートはブルックリン(?)にあるらしく、ワールドトレードセンターのツインタワーが見えていること。

9)エンディングに流れる中国の演歌