読書会6 – 喜べ、幸いなる魂よ

今回もYAを離れ、佐藤亜紀の『喜べ、幸いなる魂よ』を読んだ。非常に面白く、読書会で語り合い甲斐のある作品だった。

川本直がすごい書評を書いているから、詳しくはそれを読んでいただくとして。

川本さんはヤネケをすごく肯定してる。その理由にはもちろん100%同意するけど、読書会では少し違った。「ヤネケは超人的な能力を発揮し、他人にはまねのできない博愛もあるけれど、他人の心を思いやることができないないから、もしかするとその背景には??」と、ここにははっきりと書けない疑惑が浮上。

ヤネケは知的能力に優れた女性の理想郷にいる。そのヤネケが確率論について本を書く。確率論上、ばらつきがあっても、長い時間を経て、ある平均に収束する。でもその「ばらつき」こそが変化をもたらす。この論理は男女にも当てはめられている。ヤネケは「とんでもなくばらついている個体」。

そこに宗教がからめられ、オスのいない世界としてベギン会が描かれている。ベギン会とは、修道女ほど俗世と断絶していなくて、俗世にもそこそこにつながりつつ、神に仕え、宗教的な生活を営む女性たちの共同社会のこと。そして、ヤネケの実家である商家が「娑婆組」として、普通に結婚や出産を繰り返して種を絶やさずに存在し、その周縁に同性愛者(この小説では、男が男を好む人々が何人か登場)がいる。メスしかいない世界の対極には、男だけの世界がある。

読書会では、この中間にいる人物たちについても、時間をとって話した。誰に一番共感できるとか、共感しないけど、理解ができるとか。読書会で言うのを忘れたけど、私は個人的にベギン会が女子大みたいだと思った(女子大出身なので)。

読書会のメンバーは全員翻訳をやっているので、『喜べ、幸いなる魂よ』の会話、特にヤネケとヤンの口調が現代的で、ずーっと年をとっても同じ口調で話していることにも言及。翻訳者は小説家とは違うから、「原書」をリスペクトすることがとても大切。でもそれは訳すときの制約にもなる。この小説は舞台が海外で、限りなく翻訳文学に近いけど、佐藤亜紀が書いたものだから全然違う。それはヤネケの口調に端的に現れている。たとえ翻訳者が相当な勇気を出してああいう会話文を作り上げても、編集の段階で揉めると思う。小説の場合でも、揉めるのだろうか??

この小説はとにかく面白かった。絶対に読書会向き。みんなと話して倍以上楽しめた。

似たような作品で、大島真寿美の『ピエタ』も名前が挙がったので、読んでみようかな。

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