去年、ひーこらいいながら訳したビスポーク・スーツの本であるが、アマゾンで予約注文を受け付けている。おお、やっとここまできた!としみじみ思う。購入される方は是非、予約をしていただけるとありがたいです(日記のくせに宣伝)。
値段は高いが、他にない本だと思う。英語の本でもなかなかない。なんなら原著のほうが値段が高い。だから日本語版はお得だ。ビスポーク・スーツのいわるゆ「三つ揃え」とシャツの作り方と、スーツやテーラーの歴史が描かれていて、裁縫をしない人にも服飾の歴史が楽しめる作りになっている。
これは日記であるからして、ちょっと個人的なことを書いておこう。
服飾史の本を訳すようになったのは、私が単に手芸好きだからなのだが、いろいろ調べるうちに、服飾の面白さを知った。昔の服は、生地がそもそも高級だったために、リサイクルされることを織り込んで作られている。日本の着物もそうだけど、西洋のドレスや紳士服もそうだった。イギリスにはやスコットランドには、プライドを持って生地を作る人もまだいる。王室があるから一定の需要があるのだと思う。日本の着物もそうだろうけど。
エーアイ、エーアイって世の中がうるさいから、こんなふうに手に技術を持ち、ひたすら何かを真剣に作っている人たちが愛おしい。布や作る人を大切にしてるからエコロジカルでもある。ファストファッションとは真逆なんである。そしておあつらえは、美しい体を持たない人にとってもやさしいんだな。ビスポークはバカ高くなってしまうから手は出せないが、あつらえ服は自作の服も入れて、みなファストファッションのアンチテーゼなんである。
原著者のパトリック・グラントは「ソーイングビー」の司会をしていた人なので、それこそお裁縫好きさんの間では有名人だったりする。自分でもテーラーを経営しているし、プライドを持って作られた服の中古を捨てずに着る運動もしている。そっちの活動についても著書がある(訳したい。ホルムズ海峡封鎖であらゆるリサイクルにより関心が高まるんではないか?と思っている)。個人的に共感するところが多い。
この本との出会いは運命的だった。この本を訳せそうな人を編集者さんと当時監訳を予定していた人が、私が訳した『18世紀のドレスメイキング』を読んで、「こいつなら、できるかも?」とウェブサイト経由で連絡をくれたのだ。これが、運命その1。
運命その2は、既製品でない服が常に身近にあったこと。私が小さい頃、祖父と父のスーツは既製品ではなかった。仕立て屋さんが布見本を持って家にやってきて、採寸し、生地を決め、出来上がったら持ってきて、サイズチェックをしていた。子どもの私にはその光景が面白くて、座布団が5枚くらい重ねてあるところに座って、ずっと見ていた。その仕立て屋さんは足がちょっと不自由だった。手先が器用だから、こういう仕事ができるんだなと思って見ていた。母も着物は自分で仕立てていた。我ら三姉妹の着物はすべて母の手作りだし、子どもの頃は洋服も手作りだった。母は自分の着物の色が年齢とともに似合わなくなると、着物をほどいて呉服屋さんに渡し、染物屋さんで自分の好きな色に染め直してもらい、また着物にしていた。これ、ビスポークだよね?
運命その3は、ウェディングドレスを自分で縫ったこと。難易度低めのパターンを使ったので、あまりえらそうなことは言えないが、自分で作るから裏地にもシルクを使った。キュプラじゃなくて。「ドレスを縫うのははじめてだから、どの布を買えばいい?」と相談できるお店が当時のサンフランシスコベイエリアには何軒かあった。サンフランシスコ、オークランド、ロスガトスを回って材料を買い集めた。
「ビスポーク」という言葉は、ものを作らない人たちの間にどれくらい浸透しているんだろうかと思って、翻訳をしている間、身近にいるカナダ人たちに聞いて回ったが、富裕層に属す人でも「は??」だった。説明すると、「ああ……」と納得はするものの。これは、やはりテック系の会社ではスーツを見かけなくなったのもあるだろうし、コロナで在宅勤務に慣れたせいもあるだろう。私もスーツは着ないのだから。
しかし、銀行にお勤めのとある女性のスーツがばっちり決まっていたので、思わず聞いてしまった。「それはどこのスーツですか?」って。「プラダです」とお返事が返ってきた。あつらえではないけど、お直ししてるって。まったくもってすてきだった。
