先月はコロンビアの小説だったけど、今月はスペインで、キルメン・ウリベの『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(金子奈美訳)。といっても、もとはバスク語で書かれた小説。
私はバスク語もバスク文化も知らない。かろうじて、「この辺がバスク地方」と地図で指させるのと、フランコ政権による弾圧の歴史があって、独立を目指す過激グループがいたことを知っている程度の知識しかない。
でもそんな予備知識は不要かも。バスク地方に生まれた主人公(つまり作者)は、バスクの大きくて重い歴史など背負っていない。主人公は、バスク人なのになぜかフランコ側についていた祖父のことを知ろうとするが、過去を遡っている間に、いろんな人から聞いた思い出話を断片的に、芋づる式に次から次へとひっぱってくる。いたって個人的な語りは、「結局何の話が始まるのかな?」とこちらが不安になるほどだ。ただ、ひとつひとつの思い出話に余白があって、妙に興味深く、グーグルマップでうんと拡大しないと見えないような、小さな島々の話も出てくる(セントギルダ島やロッコール島。ロッコール島なんて岩だもんね)。そういう世間には無視されがちな話を、主人公はニューヨーク行の飛行機の中で振り返る。
読みはじめて3分の1くらいまでは、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』みたいな話なんだろうか?と思って読んでいた(映画の構想を練りたいけどアイデアが浮かばないって話)。登場人物がやたらと多く、あとで重要になるかもしれないからメモっとこ…… なんて努力は途中でやめた。「なぜそんなにディテールをがっつりと掴みにいこうとするんだ? もっとリラックスして読めば?」と自分に注意を促すほどだった。
「面白いかも?」と思いはじめたのは、半分をすぎてから。誰かの心をえぐって見せるような書き方でないのが心地よい。たまたまバスクに生まれた男の人が、自分の系譜をさかのぼりたい気持ちが、中年の私にはちょっとわかる。もしかしたら、自分の居場所の確認なのかも、とも思った。
それと同時に、こういう少数言語を操る人々やその人たちの文化を「底上げしてくれる場所」として、ニューヨーク・シティが登場するので、やっぱりニューヨークを見直した。
しょっぱなから、ぐいぐいと読者(あるいは視聴者)の興味をひきつけるものが多いなか、感情がじわじわとあとから押し寄せる書き方が好きになった。でもそれは、読書会でメンバーの感想を聞いて、そう思えたところも大きい。読書体験を後押ししてくれる読書会や書評ってのは重要だと思った。
にしても、明確な起承転結はないから、ストーリーにぐっと引き込まれたい人には向かない小説かも。