まだ結果は不明だけど

先日も書きましたが、トランプに集まる「意識」というのは、「白人の優位を再確認したい」と考えるアメリカ国民が半分近くいるということなのかな、って私は思います。メキシコとの国境に壁を作るとか、中国との貿易戦争、アンチBlack Lives Matter なんかは、そういうの意識の表れで、それだけを見るとかなり強硬な態度のように思えますが、「昔からアメリカにいるのは自分たちだ」と思っている人には日常的な気持ちなのではないでしょうか。

日本の中にも外国人が増えている地方ってありますよね。外国人たちが比較的長く日本に居住するようになり、数も増え、その中から成功者も出て、それで日本の政治も少しずつ変わるようになったら、やっぱり元々日本にいる人は危機感を覚えますよね。けれど、その外国人たちとて勝手に日本に出稼ぎにきたわけではなく、日本が少子化で労働力が確保できないから来ただけで…… 都会からの転入者が増えている地域なんかも、似たような問題を抱えているのではないでしょうか。今のアメリカもイメージとしては、そういうかんじなのかなって。

アメリカ人も、非白人の移民が文句も言わずにせっせと働き、就労の機会を得たことに感謝している間は静かに見ている。アメリカの場合は、一般国民がやりたがらない仕事を移民に任せているだけでなく、高額の報酬が得られるグローバル企業の仕事も「高学歴な移民」がやっていることが多い(というか、世界から有能な人を見つけてくるからグローバル企業なのであって、グローバル企業は地元民を優先的に雇わない)。なのに、地方にいるアメリカ人は、シリコンバレーとかニューヨークなどの都会の人々に「田舎者」「怠惰」「頭が悪い」「変化についていっていない」とか言われがち……。

テレビなどでは、「え??」と思うようなトランプサポーターばっかり見せるから、「田舎者の馬鹿が!」みたいな風潮になりがちだけど、それはちょっとな…… とよく思います(というか、他人のことをバカって憚りなく言う人々が私は苦手です)。ま、トランプサポーターと私とでは、考えが全然相容れないですけどね。

私は自分が移民なので「国籍」や「居住国」について深く考えます。しかも、グローバリゼーションに下駄をはかせてもらっているので、居住国での自分の立ち位置は意識します。納税額では、一度も外国に出たことなどないトランプサポーター(の一部)を超え、ぶっちゃけ言ってしまえば、銀行からの信用度も私のほうが高かったりするわけです。その上、今の居住国に飽きたり、失意を感じたりすれば、「母国に帰ろっかな……」なんていう選択肢まであったりします。ここまで書いていても、もう埋められない深い溝を感じるばかりです。トランプサポーターにしてみれば、「おい!」って話です。ただ、誰もが人生の最期まで生まれた場所で生き続けるわけでもないし、やはり選挙のときにお互いに票を投じることでしか、意思表示はできないのかなと思います。

選挙と関係ないけど、今回のコロナ禍で、「国境ってこういうときにあっと言う間に封鎖されるものなんだ」と身をもって感じました。グローバル市民にとって一番怖いのは「国境封鎖」です。

いよいよ決戦の日(はよ、終われ)

アメリカ大統領選は、選挙期間が長すぎて嫌になります。今までは割と、開票日に人と集まったり、人がいっぱいいるところにわざわざ出かけて行って、開票速報を楽しみながら見ていましたが、今回はそんな気はまったく湧きません(集まれないし)。むしろ、「コロナは人間の意志では去らないけれど、大統領選はそのうち終わるから……」と言い聞かせている自分がいます。

今回のアメリカの大統領選の問題は、トランプ個人の性格が嫌だと思っていても、トランプが体現しているものは支持したいという人が意外と多いっていうジレンマなんじゃないかと思います。政治の経験がまったくなかった人でも大統領になれるということは、大統領ってただの「エージェント」(哲学的な意味での)なんじゃないかと。そのエージェントに「意識」が読み込まれるのです。「意識」はアメリカ国民の集合的な意識。トランプに集まる「意識」は明確です。じゃあ、バイデンは? そう考えると、「トランプだけは勘弁」という意識しか集まらないような気がします。そう言えば、あの外見に既ににじみ出ている…… あんな白人のおじいさん、群集にまぎれたら誰だかわからない…… 今風に言うと、「映えてない」

そういう意味では副大統領候補のカマラ・ハリスのほうがもっと積極的な「意識」が集まりそうです。どう考えても、未来のアメリカ(白人が近い将来少数派になるし)にぴったりな「エージェント」じゃないですか??? スニーカーで飛行機から駆け下りてくる姿とか、まさに「映えて」ました。

そー考えると、ペンスの「何考えてるのかわからないロボットみたいな感じ」は、トランプに集まる「意識」を邪魔しない、最強のペアですね。

ま、政治の中身と全然かんけいないですけどね。あくまでも、「映える/映えない」の話なので。アバター選挙です。スキン選挙???

投げやりになって、「あと4年、あげちゃえ!」と思う人もいるかもしれませんが、「3期連続は禁止」という法律を覆した指導者は世界に何人もいて、トレンド化(?)しているので心配です。

もー、はよ終われ!! 不確定要素はコロナだけで十分!

Year of the Dragon

「なんて美しい顔……」と私がため息をついたはじめての人はジョン・ローンです。作品数も少ないし、いつの間にか映画界から消えていったので、年老いた彼の姿を見ることもなく、あの美しさは神格化されています。「謎に包まれた芸能人」でしたよね。

久しぶりに『Year of the Dragon』を見ました。1980年代のニューヨークの中華街が舞台になっているので、今見ると何かとひっかかりを感じるかもしれないと思いましたが、そうでもありませんでした。今だったらアウトになるアジア人に向けた差別用語がじゃんじゃん出てきますが。

今さら驚いたこと/印象深かったこと

1)痩せたミッキー・ルークと、彼が体現しているベトナム帰りの男(何かと見失っている)

2)アメリカ側はミッキー・ルークのような個人であるのに対し、チャイナタウンは「家族(のようなつながり)、1000年の歴史、勤労、集団」で対抗

3)ミッキー・ルークが「何かにつけ“1000年の歴史”っていうお前らはウザい!」と暴言を吐くところ。

4)アメリカにおいて、チャイナタウン(異質な文化のはびこる場所)は結局、触らないほうがよいと帰結するところ。

5)最後の決闘シーン。ジョン・ローンが自らの手で死ぬところ(恥の文化)。その場にいたミッキー・ルークが気持ちを汲んで、銃を貸してやるところ。多分、現代の映画だと、せっかく銃を貸してやったミッキー・ルークがやられて、二人とも死ぬと思う。

6)旧態依然としたチャイナタウンの伝統を変えようとしていたはずのジョン・ローンが死んでも、チャイナタウンはまた翌日から活気にあふれ、何事もなかったかのように日常が始まること。

7)準主人公級の中国系アメリカ人、トレイシー役は、日系アメリカ人が演じていること。彼女のファッション、髪型、メーク、住んでいるアパートと、すべてがいかにも1980年代なこと。

8)トレイシーのアパートはブルックリン(?)にあるらしく、ワールドトレードセンターのツインタワーが見えていること。

9)エンディングに流れる中国の演歌

本人確認の質問

最近とあることで「私が私であることの証明」に相当な時間とお金がかかりました。国を挟むとわからない事情が発生するので、一方的に相手が悪いとは言いませんが、「もうちょっとなんとかならないのか」と心の底から思いました。同時に、ドライな北米文化とウェットな日本文化の差もまざまざと感じました。どういうことかというと、込み入った案件に対し、「じゃあその分料金が高くなりますよ」と言うのが北米で、「こっちも一生懸命やっているんですよ……」と長い話を聞かされるのが日本です。

多くの人は、自分の個人情報が漏えいするのを恐れて、デジタル化に反対しますよね。でも、今私は「自分が自分であることの証明」が、多額の料金と引き換えに、昨日まで私のことを全く知らなかった公証人によって証明される事実に、何とも言えない不思議な思いをしています。別に「公証人」を軽視してるとかではありませんよ!

それはさておき……

少し前、カナダの税務署に用事があって電話しました。還付金が入るはずだったのですが、受け取り用の銀行口座を私が閉じていたため、税務署はそこへ還付金を振り込んだのに、私は受け取っていない事態が発生…… だから、電話したのです。

ややこしい話だし、本人確認のために聞かれるであろう様々な情報を用意しつつ、電話で問い合わせました。ところが、いきなり難度の高い質問をされ、たじたじとなりました。探せば答えは見つかるけど、すぐに答えられない…… 相当待たせた挙句、恐る恐る聞いてみました。

「その質問、パスしていいですか? すぐに答えが見つからないので、次の質問お願いします」

「あ、いいですよ」と明るい返事。

セキュリティの質問をパスできるとは!(何回もパスするとアウトなのでしょうが)。還付金もすぐに振り込んでくれました。見晴らしのいい世界へ前進できた私は、気持ちが大きくなって、質問してみたくなりました。

「最初に振り込んでくれたお金って、どこへいったんでしょうね?」(結構大きい金額)

「さあ、わかりませんね」

デジタル化が進むということは、こういうことなのでしょう。カナダ国税庁は、「ちょっと待ってね、あなたのプロファイル画面を出すからね」と私のことを何もかも知りながら、しつこく「本人確認のための質問」をする。でも確認さえ取れれば、お金はあっさり振り込んでくれる…… たまたまなのかもしれませんが、ちょっとうれしかったです。

Cobra Kai

『コブラ会』をあちこちから勧められた。極めつけは、マーク・マロン(アメリカのコメディアン)。彼のポッドキャストを聞いていたら「シーズン2まで全部一気に見てしもうた」と言っていたので、私も観てしもた。余談だけど、マーク・マロンは、痛い目に遭ったことがあるので、映画や本の話をするなら、絶対に自分で見て/読んでからでないと話さないというポリシーを持っている(本人談)。

まだ全話見切ってはいないけど、すごく面白い。シーズン3もあるらしい。この間まで、字幕で韓流ドラマ見たり、1話が複雑で長い『Better Call Saul』を見ていたので、「ながら作業で楽しめる」のもうれしい。オリジナルの映画を見てからのほうが断然楽しめるけど、私は、ドンピシャの世代なので、大昔に見た記憶をたどりながら楽しんだ。

『コブラ会』の何が面白いかというと、何と言っても、アイデンティティ・ポリティクスから距離を置いているところ。「よし、お前は弱者なのだな! 戦え! 容赦はするな!」と教える。その後は、善悪の間をずっとうろうろしているのだけれども。

あと、『ベスト・キッド』にいた、ミスター・ミヤギの不在。というか、「そういうすばらしい人が昔いた」という雲の上の存在になっているところ。すべてが見通せる仙人は『コブラ会』にはいない。空手を教える先生もみーんな「人生模索中」。ただし、『ベスト・キッド』の主役だったダニエルは、空手チャンピオンになって以来、そのまま「勝者路線」をつっぱしってきているので、「おれは間違ってない」と一番思い込みが激しい。なんなら、「すべては金と権力で解決!」「後輩は指導してやりたい!」とすぐ思ってしまうから、一番めんどうな大人になっているとも言える。そこが笑える。

オリジナルの映画と唯一変わってないのが、カリフォルニア風に咀嚼されて、なんだそれ?な日本文化。それも笑える。ダニエルが作ってる盆栽など。いや、あれは盆栽ではない。「ボンザーイ」という別の園芸なのだ。『ベスト・キッド』のときは、ミスター・ミヤギに遠慮して堂々とは笑えなかった。今はぎゃはぎゃは笑える。

今月はこれで乗り切るぞ!