日本滞在(姪っ子成長編)

Dolls in Otsukaya wrapping paper

5歳児の姪っ子は、コロナウィルスのことを「コロコロウィルス」と言い、アナ雪2の主題歌のサビ「未知の旅へェ~」を「虹の谷へェ~」と歌う。平仮名とカタカナが読めるようになっていたので、毎日、「お手紙」を書いては私に呉れていた。時々返事を強要され、どんな文章を書こうかなと真っ白な画用紙を前に悩んでいると、「わたしはねぇ、『XXちゃんだいすき、おつかれ、ありがとう』ってだいたい書くことにしているよ!」と助言までしてくれた。

毎日5歳児が大好きなユーチューブを見せられていたが、人気のものはよく考えて作られている。子どもがユーチューバーになりたがるのもうなずける。人形の洋服をそこらへんにある素材で作るという遊びもユーチューブで学んだらしい。

幼稚園が休園になってからは、2度、公園に連れていった。ほかの子どもたちとどのように遊ぶのかよくわからなかったので、「ほかの子たちと遊んでおいで」と放牧してみた。姪っ子はめぼしい子たちに「あ~そ~ぼ!」と、誰かが反応してくれるまで何度も声をかけていた。粘っていると、お姉ちゃんあるいはお兄ちゃんキャラの子どもが反応してくれるらしい。その強靭な精神力に感心。

そうこうするうちに、どこかの小学生低学年の女の子が私のところにやってきて、「XXちゃん(姪っ子のこと)のお母さんに似ているけど、ひょっとしておばあちゃん?」と言ってきた。

毛染めや化粧でどんなにごまかそうとしても、小学生は見抜いているのだ。「おばあちゃんじゃないよ。お・ば・さん! わかった!?」と真実を伝えると、「ええ~!?」と女児は去っていった。

Portrait of a Lady on Fire

白黒映画の仲間から、きれいに掃除した部屋の写真が突如送られてきて、何だろう? と思っていたら、「さみしいから遊びに来て!」と連絡がきた。「じゃ、お茶だけでも」と出掛けたら、映画も一緒に見ることになった。

「上映時間がちょうどいい」という理由だけで見に行ったのだが、結果的に私たちは爆睡してしまった。最後の10分は面白かったが、その時点ではもはや「はよ、終われ!」という気持ちになっていたので、何でも受け入れる気持ちになっていた。不眠症に悩まされているときはかなりの確率で眠れると思う。

寝たとはいえ、奇跡的に私はこの映画のタイトルにもなっている「女が燃えているシーン」は見届けていた。ところが仲間はいびきをかいて寝ており、「なんでLady on Fireってタイトルなのかしら」とあとで不思議がっていた。

仲間は高齢者なので体のあちこちにガタが来ており、映画館からブロア駅までの地下道で休憩しながらゆっくり歩いていたら、家に着いたのは午前1時を過ぎていた。ベイからブロア駅までのあの地下道に軽く1時間はいたのではないか。

映画とは関係ないけど、昔、京都に住んでいたときの知り合いが、かぎ針で変わったアクセサリーを作っていることを知った。彼女は昔からそういうものを作っていたけど(だから知り合ったのだけど)、その頃はまだ「アクセサリー」ではなく、小さな編みぐるみの宇宙人のようなものだった。

http://www.iog.co.jp/tokusyu/yamada2014/01.html

インスタも見つけた。メガネがないない、と言いながら作っているみたい。
https://www.instagram.com/sakikoshantian/

嗚呼! 私には今何かを作る時間がない。

玉三郎と三島由紀夫

Tamasaburo

六代目歌右衛門と坂東玉三郎の対立関係が主軸になっているけど、このふたりは世代が違うので、背景の情報量が多い。これを読んでから玉三郎を見ようなんて思っていると、なかなか本物を見に行けないくらいの情報量。坂東玉三郎についての本なのに、そこに話がいきつくまでがとても長い。生まれた「家」が重要な歌舞伎の世界だから、そこを説明しないと玉三郎の活躍がどんなに「奇跡的」なことかがわからないので仕方ないが、三島由紀夫についてもいろいろと知ってしまう。なのに、女形の頂点に立ってからの坂東玉三郎については、この一冊では書ききれないらしく、1960年代から1990年代ぐらいまでで終わっている。しかも、玉三郎本人は六代目歌右衛門との対立はなかった発言を繰り返しているので、この本は「あれを実際に見た人々は証言を残してほしい」という結びになっている。

…とディスっているように聞こえるけど、私の歌舞伎熱が続く限りは手元に置いておきたい本だった。

この本によると、歌舞伎が好きだった三島由紀夫にも、「もう歌舞伎は面白くない」とそっぽを向きかけた時期があり、それをグイっと引き戻したのが玉三郎の美貌だったらしい。そんな玉三郎も、もう若くはない。あまりにも若い役柄の演目は、封印しているというか、今はもう演じないらしい。そんなことを言われると見たくなる。「見たい、見たい」と思っていたら、二月大歌舞伎に出ていた!! それなら日本に坂東玉三郎を見に行こう!

去年11月、飴がないと仕事を頑張れない私は「今の仕事が終わったらカリブ海だ!」とクルーズ旅行を予約する気満々でいた。クルーズの行先に種類が多すぎて悩んでいる間に、コロナウィルスが蔓延しだした。今クルーズ船に乗ってなくて本当によかった…… これも玉三郎のおかげ?

アムダールの法則

Amdahl’s Law

仕事で「アムダールの法則」を学んだ。と言っても、この法則に基づいて計算ができるようになったわけではない。理解するのにすごく時間がかかったので、書き残しておこう。またいつかどこかで役に立つ日が来るかもしれないから。

要はこんな感じ。

カレーを作るとき、まずは材料を切る。じゃがいも、人参、玉ねぎ、肉、などを切る。考えただけでも面倒くさいし、腱鞘炎になりそう。でも、この下ごしらえは、複数の人と分担すれば時間を短縮できる。1)じゃがいも、2)人参、3)玉ねぎ、4)肉、5)カレールー、で5人いれば、一人だと30分かかる作業が短縮できるのではないか。並列処理による高速化が図れそうだ。

「30分を5人で割るから、6分だろ?」

いやいや、6分ではない。包丁が2本しかなかったりすると、そう単純にはいかない。しかも、2本しかない包丁を奪い合い、喧嘩が始まると、余計な時間がかかる。5人でおしゃべりに花を咲かせて、手がおろそかになる可能性もある。ここはやはりプロジェクトマネージャーもいたほうがいいかもしれない。面倒くさい話になってきたが、それでも、一人で全部やるよりは、時間が短縮できて、疲れなさそうだ。

材料を切り終わったら、今度は、その材料を鍋に入れてぐつぐつ煮る。ところがこの煮作業は、並列処理ができない。5人で1つの鍋を一緒に煮ても時間は短縮できないどころか、バカバカしい。1人いれば十分だ。レシピに「30分コトコト煮る」と書いてあれば30分ばっちりかかる。この作業では、並列処理による高速化はできない。圧力鍋を買えば高速化はできるが、ここではあくまでも「並列処理」の話。

で、結局、カレーを作る作業は、並列処理で一体どれくらい高速化できるのか? その計算をするときに、「アムダールの法則」を使う。

ここまでわかりましたか?

このカレーの例を夫婦の家事分担に置き換えてみよう。たとえば、夫が「俺さ、今日カレー作ってやるからさ、材料切っておいてよ!」と妻に連絡してきたとしよう。

妻はそのメッセージを見て、ブチ切れる。理由はおわかりですね? 夫が「アムダールの法則」をまったく考えていないからです。

あるいは洗濯。夫が「俺さ、今日洗濯してやったんだぜ」と洗濯機の「洗う」ボタンを押したことを自慢している。しかし賢明な妻は知っている。洗濯物を干す、畳む作業は、並列処理による高速化が可能な作業であることを。なのに夫はそこまで頭が回らず、妻の不気味な沈黙を勘違いし、「もっと感謝してほしいなぁ。冷たいなぁ」とのたまう。

賢明な妻は、「そうね、ありがとう。助かった」とまず言ってから、夫にこう言うのです。

「ねぇ、アムダールの法則って知ってる? 明日からはこの法則に基づいて家事を分担しましょう」

でもアムダールの法則のウィキページに行っても、書いてあることが難しすぎる。そこでいいですか? このブログを夫に見せてあげてくださいね。

Midsommer

Midsommer

前から見たかった。しかし心理的に怖そうな映画だったのでひるんでいたら、案の定、不気味な映画だった。不気味ながらもぐいぐいと引き込まれていった。どことなく『2001年宇宙の旅』が発していたような一種の警告を感じた(何を警告しているのかは違うが)。とにかく、スウェーデンの山の中の村には怖くてもう行けない……。

きっとあれは、「個」が重視されて、個人主義が発達しすぎた世界と、村っぽい共同社会の対立が描かれていたのだと思う。私の中にも共同社会に憧れる部分がある。だから人と一緒にいれば悲しみも倍増するし、それがありがたいとも思う。一方で私は自分の「個」も大切にしたい。だから自分の中のルールや常識を無視されたと感じて「キィー!」と腹が立つのもわかる。映画を見ているあいだ、「こっちもわかる」「あっちもわかる」と忙しかったのに、最終的に怖さが先立って、宙ぶらりんな、空虚な気持ちに襲われた。

排他的な共同社会が部外者を呼び込むのは、きっと血がどんどん濃くなるのを避けるためなんだろうな。とにかく、いちいち怖いんだよー! あの村人たちが! そして都会の若者たちにいちいちいらつくんだよー!

映画館の大画面で見なくてよかった……大画面だと、相当なショックを受けていたかも。

映画とは関係ないけど、ここのところ、あまりにもあまりにも追い詰められた気分で働いていたら、いつのまにか眉間をかきむしるのがくせになっていて、今私の眉間の皮が厚めになっている。なので、眉間にシワを寄せたくても、寄せられない。