読書会2 – わたしはイザベル

はぁ…… 世の中はウクライナの戦争一色。いろいろと考えることはありますが、今はただただ自分の日常を守るのみ。

海外YA作品を日本語で読む読書会その2がありました。第1回目は勇み足で3冊も選んでしまい、話し合いきれなかったので、今回は『わたしはイザベル』(原題は『I for Isobel』)1冊のみ。

これもSTAMP BOOKSシリーズの1つで、オーストラリアの作品。1979年に書かれてから10年という長い年月を経て、1989年に出版されたという、時代の先を行っていた小説です。今でいう「毒親」の呪縛から自分を解放する話です。この小説が書かれた頃は「毒親」という言葉もなかったから、親という権力者を否定する小説は社会が認めなかったのかもしれません。

頭が良く、創造力と文才に恵まれた主人公は、幼い頃から才能の芽を母親にことごとく摘み取られてしまう。そのせいなのか他人とうまく関われない。母親から解放され、自立するようになってから、山あり谷ありの道を歩むのですが、そのぎこちなさといったら! 途中イマジナリー・フレンドを作ったり、実際に自分を肯定してくれる人々と出会ったりしながら、少しずつ自分を取り戻していきます。

「毒親」から解放された主人公に安堵を感じ、応援せずにはいられませんでしたが、私にとっての伏兵は「ストーカー行為」を吹っきった別の登場人物でした。毒親と同じく、執念も払拭するのは相当難しい。

この本を読んで勇気を与えられた人は結構いたんじゃないのかな……と言いかけたら、日本では萩尾望都がまったく同じテーマで『イグアナの娘』を書いている! と読書会仲間が言い出し、次回は、この流れで『イグアナの娘』をお題にすることになりました。

自分一人で読んでいたら、まったく気に留めなかっただろう詳細に、注意を喚起されました。一冊をこんなにじっくり味わえるなんて!!と感謝しながらの読書会でした。

1 thought on “読書会2 – わたしはイザベル”

  1. […] 2回目の読書会で読んだ『わたしはイザベル』も、貧困に由来する母娘の虐待関係を描いた話だったことを読書会仲間が思い出させてくれた。どちらも虐待関係を乗り越えて、「私はXXXXXだ」と自分を改めて名乗りなおすのが共通点。『わたしはイザベル』は作者自身の体験だから、名乗りなおした「その後」は世間が知っている。一方の『私の名前はルーシー・バートン』は架空の人物。作者が作中で「ルーシーのその後」を書いているので、読者はルーシーがどういう道を歩んだのかを徐々に知る。 […]

    Like

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s