アムダールの法則

Amdahl’s Law

仕事で「アムダールの法則」を学んだ。と言っても、この法則に基づいて計算ができるようになったわけではない。理解するのにすごく時間がかかったので、書き残しておこう。またいつかどこかで役に立つ日が来るかもしれないから。

要はこんな感じ。

カレーを作るとき、まずは材料を切る。じゃがいも、人参、玉ねぎ、肉、などを切る。考えただけでも面倒くさいし、腱鞘炎になりそう。でも、この下ごしらえは、複数の人と分担すれば時間を短縮できる。1)じゃがいも、2)人参、3)玉ねぎ、4)肉、5)カレールー、で5人いれば、一人だと30分かかる作業が短縮できるのではないか。並列処理による高速化が図れそうだ。

「30分を5人で割るから、6分だろ?」

いやいや、6分ではない。包丁が2本しかなかったりすると、そう単純にはいかない。しかも、2本しかない包丁を奪い合い、喧嘩が始まると、余計な時間がかかる。5人でおしゃべりに花を咲かせて、手がおろそかになる可能性もある。ここはやはりプロジェクトマネージャーもいたほうがいいかもしれない。面倒くさい話になってきたが、それでも、一人で全部やるよりは、時間が短縮できて、疲れなさそうだ。

材料を切り終わったら、今度は、その材料を鍋に入れてぐつぐつ煮る。ところがこの煮作業は、並列処理ができない。5人で1つの鍋を一緒に煮ても時間は短縮できないどころか、バカバカしい。1人いれば十分だ。レシピに「30分コトコト煮る」と書いてあれば30分ばっちりかかる。この作業では、並列処理による高速化はできない。圧力鍋を買えば高速化はできるが、ここではあくまでも「並列処理」の話。

で、結局、カレーを作る作業は、並列処理で一体どれくらい高速化できるのか? その計算をするときに、「アムダールの法則」を使う。

ここまでわかりましたか?

このカレーの例を夫婦の家事分担に置き換えてみよう。たとえば、夫が「俺さ、今日カレー作ってやるからさ、材料切っておいてよ!」と妻に連絡してきたとしよう。

妻はそのメッセージを見て、ブチ切れる。理由はおわかりですね? 夫が「アムダールの法則」をまったく考えていないからです。

あるいは洗濯。夫が「俺さ、今日洗濯してやったんだぜ」と洗濯機の「洗う」ボタンを押したことを自慢している。しかし賢明な妻は知っている。洗濯物を干す、畳む作業は、並列処理による高速化が可能な作業であることを。なのに夫はそこまで頭が回らず、妻の不気味な沈黙を勘違いし、「もっと感謝してほしいなぁ。冷たいなぁ」とのたまう。

賢明な妻は、「そうね、ありがとう。助かった」とまず言ってから、夫にこう言うのです。

「ねぇ、アムダールの法則って知ってる? 明日からはこの法則に基づいて家事を分担しましょう」

でもアムダールの法則のウィキページに行っても、書いてあることが難しすぎる。そこでいいですか? このブログを夫に見せてあげてくださいね。

Midsommer

Midsommer

前から見たかった。しかし心理的に怖そうな映画だったのでひるんでいたら、案の定、不気味な映画だった。不気味ながらもぐいぐいと引き込まれていった。どことなく『2001年宇宙の旅』が発していたような一種の警告を感じた(何を警告しているのかは違うが)。とにかく、スウェーデンの山の中の村には怖くてもう行けない……。

きっとあれは、「個」が重視されて、個人主義が発達しすぎた世界と、村っぽい共同社会の対立が描かれていたのだと思う。私の中にも共同社会に憧れる部分がある。だから人と一緒にいれば悲しみも倍増するし、それがありがたいとも思う。一方で私は自分の「個」も大切にしたい。だから自分の中のルールや常識を無視されたと感じて「キィー!」と腹が立つのもわかる。映画を見ているあいだ、「こっちもわかる」「あっちもわかる」と忙しかったのに、最終的に怖さが先立って、宙ぶらりんな、空虚な気持ちに襲われた。

排他的な共同社会が部外者を呼び込むのは、きっと血がどんどん濃くなるのを避けるためなんだろうな。とにかく、いちいち怖いんだよー! あの村人たちが! そして都会の若者たちにいちいちいらつくんだよー!

映画館の大画面で見なくてよかった……大画面だと、相当なショックを受けていたかも。

映画とは関係ないけど、ここのところ、あまりにもあまりにも追い詰められた気分で働いていたら、いつのまにか眉間をかきむしるのがくせになっていて、今私の眉間の皮が厚めになっている。なので、眉間にシワを寄せたくても、寄せられない。

鍵

Treasure Chest

 ある日彼からメッセージが届いた。

「Z」

 たった一文字。だたそれだけだった。どういう意味だろう。「X」でもなければ「L」でもなくて「Z」…… すぐに返事をしてこじらせるよりは、彼が帰ってきたときに聞いたほうがいい。そう思って不安な気持ちを抑えた。
 長い間待って、やっと彼が帰宅した。彼はあのメッセージにはまったく触れずに自室に下がった。彼の部屋には大きなつづらのようなものがあり、鍵がかかっている。そのとき私は、暗い閃きを感じた。ひょっとしたら、あの中に何かヒントがあるかもしれない、と思った。今彼は自室で、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め、深い溜め息をつきながら、あのつづらを開けているに違いない。いや、もしかすると、毎晩私が寝たのを確認してから、そっと起き上がり、何か私には見せたくないものをそこにしまい込んでいるのかもしれない。暗がりの中で、月明かりだけを頼りに。
 あのつづらはいつからあの部屋にあるのだろう。気がついたときにはもう置いてあった。あれを開ける鍵はどこにあるのだろう。夕食を温め直す私の手に力が入った。

 翌朝、彼を仕事に送り出し、独りになった私は、鍵のありかを考えた。常識が「開けてはいけないよ」と囁いている。でもこれくらいのルールは破ってもいいような気がしてならない。すると常識は、「知ってしまった秘密を、知らなかったことにはできませんよ」と、畳み掛けるように、語気を強めてきた。でも、鍵を探すぐらいはいいじゃないか。見つからないかもしれないし、見つけたところで、思いとどまって、実際にはあのつづらを開けないかもしれない。それに…… あの中には、私にとって大切なものは入っていない可能性もある。なーんだ、こんなものを大事にしまってたのか、と結果的に笑って終わる可能性もある。常識は、もはやこれ以上何も言うことはないと、腕組みをしているだけだ。
 鍵を隠すとしたら、どの辺に隠すだろう。ひょっとしたら彼は持ち歩いているのかもしれない。なぜわざわざ持ち歩くのだろう。きっと私に探し当てられては困るからに違いない。とすると、あの中に入っているものは、やはり…… まさか……?
 そっと彼の部屋に忍び込んだ。常識は「知ってしまった秘密を知らなかったことにはできないんですよ!」と、最後に叫びに近い声を上げた。そんなことを言われても、私には「知らなかったことにできない状態」を想像できない。知らなかったことにできない状態…… 知らなかったことにできない状態……

 そうだ、やっぱり彼に聞いてみよう。あの「Z」にはどんな意味が込められているのかを。携帯電話を取り出し、おそるおそる文字を入力した。

「昨日のあのメッセージ、あれは何だったの?」

 携帯の画面は怖いくらいに静かだった。
 しばらくすると、返事が来た。

「ああ、あれのことかな? 別の人にメッセージを送ろうとしたら、間違えて君に送っちゃったんだよ」

 別の人?…… それはやっぱりあのつづらの中にあるものと関係しているのではないだろうか。頭の中でありとあらゆる警告アラートが鳴りだした。常識が何かを叫んでいるけれど、その声はかき消されて聞こえない。私は指で額の脂汗を拭った。

The Crown Season 3

ザ・クラウンウォッチャーとしては、シーズン3は新キャストでも面白いかどうかが気になるところでした。キャストはとってもいいのですが、時代が…… イギリスが斜陽の時代だったのと、女王も妹のマーガレット王女も中年になっていて、ジューシーな出来事というより泥沼な出来事が多く、個人的にはぱっとしませんでした(シーズン1と2に比べての話ね)。マーガレット王女の酒池肉林ぶりがよかったです。ちらっと昭和天皇と皇后が出てきましたが「おいおい!」な感じでした。でもシーズン4に向けた伏線がいっぱい散りばめられているので、次が待ち遠しいです。

過去を振り返っている間にも、現在進行系でイギリス王室のジューシーなニュースが流れ、『ザ・クラウン』がどこまで続くのかが楽しみで仕方ありません。ストーリーが現代に追いつく前に、ネットフリックスがストリーミング業界で淘汰されるようなことがあっても、この番組だけは、アマゾンなり、アップルなり、ディズニーなり資金のあるところが、あの超豪華なセットとキャストで引き継いで、ヘンリー王子とメーガン妃までたどり着いてほしいです。なんなら、メーガン本人がメーガンを演じるっていうのもアリですね。

エズラ・ヴォーゲルの日中関係史

下訳を担当したので、紹介したいと思います。「東アジアの今を理解するために、その1500年の歴史を振り返りたかった」というエズラ・ヴォーゲル氏が書き上げたのがこの1冊です。では、東アジアで生まれ代々暮らしている私たちは、そこに住んでいるだけで東アジアのことを理解できているのでしょうか。そこはやはり勉強が必要で、それがこの本の「売り」なのだと思います。しかし、なんといっても1500年に亘る長い日中関係史、まずは興味をそそる時代のページを開いて読むのがいいと思います。

私は門外漢なので、ここからは翻訳こぼれ話でお茶を濁すことにします。

私が担当したのは近代の部分。翻訳作業中はイタコ状態になるほど、翻訳している本の内容のことばかり考え、脳内が完全に日中モードになりました。

鄧小平の前後の中国の指導者たちのことをネットで検索していたら、いつのまにか山崎豊子の『大地の子』にたどり着いていました。仕事が終わると、夜な夜な、あのドラマを見たり、原作を読んだりしていたのです。

当時は世界最先端の鉄鋼技術を誇っていた日本、重工業で巻き返しをはかりたい中国、そんな時代に自分も生きているような気がしてきました。そして「翻訳」という仕事柄、気がつけば、2つの国の間に立つ『大地の子』の主人公の陸一心(上川隆也)に心の底から共感し、彼が日本語と中国語の堪能さのせいで味わう苦しみや達成感に、「わかる!!」と涙を流していたのです。

日本と中国、この2つの大きな円のどこかに自分がいる…… そう考えてみてください。あなたは円のど真ん中にいるでしょうか。それとも端のほうでしょうか。端のほうでも2つの円が重なっているところでしょうか。

そして、時間軸でも考えてみましょう。自分、自分の先祖、親の世代、子どもの世代…… 私たちの人生は、寿命が長くなってきたとはいえ、所詮90年ぐらい。でも、私たちは先代が築いた時代を引き継いで、先代の功績も負の遺産も背負って生きています。そして、私たちもまた同じように次世代にバトンタッチしていきます。

長い長い日中の歴史研究に人生を捧げてきた学者が、その綺羅星のような人脈を生かして研究した成果を是非一度読んでみてください。