Paper Box

Boxmaking

仕事が溜まって、仕事机と食卓を往復するだけの日が続くと、ついくだらないことを思いついてしまう。あるギフトボックスを分解して、それを型紙にして、ちょっと厚めの紙に型紙を印刷して、箱をいっぱい作ってしまった。かわいいし、エコだ! と思い、もっとかわいい紙を買いに行った。クレジットカードを家に置き忘れて。

紙をいっぱい買って、レジで「$20です」と言われた時点で、カードを持っていないことが発覚。必死で小銭をかき集めるも、あともう少しのところで$20に満たない。焦ってかばんをひっくり返していたら、レジのお姉さんが、

「あなたは学生だったわよね?」

とウィンクしている。学割を適用して私の手持ち現金で間に合うようにしてくれる、ということらしい。

「そうだったかも、そうです、学生です」と返事した。おかげで払えた。チェーン店の画材店なのに、お姉さん、気が利く!!

あと、友達の真似して、アマゾンの空き箱でアマゾンハウス(猫用)を作った。しかし、うちの猫はこの家に入らないどころか近寄らない。箱が大好きなくせに。

The Book Thief

8月のブッククラブのお題は『The Book Thief』でした。邦題は『本泥棒』。映画化もされています。映画の邦題が『やさしい本泥棒』…… この本泥棒が「やさしい」かどうかは、見る人読む人に決めさせてほしいと思います。

内容は、第二次世界大戦下のドイツで迫害された人々の話ですが、ユダヤ人だけでなく、共産主義を信じたドイツ人、ナチスドイツに不満をもちながらも声を上げられなかった一般市民の話です。著者マーカス・ズーサックはオーストラリア人ですが、祖父母がドイツのミュンヘンで戦争を体験し、その体験を聞いて育ったので、これを書いたそうです。なんと、この小説のナレーターは「死神」――「死神」が「人間はいつかは死ぬが」と前置きしながら、死ぬまでの人間たちの人生を語るのです。600ページ以上ある分厚い本ですが、中高生向けです。歴史的背景の説明などはなく、文章は、頭の柔らかな中高生が飛びつくような軽いタッチで、クリエイティブで短めです。中高生向け、と言っても大人でも十分に手ごたえを感じる本です。

ブッククラブの参加者たちは「高校生ぐらいのときに読んだ」と言っている人が多かったです。

  • タイトルは「本泥棒」。主人公のリーゼルはなぜ本を盗むのか?

実の両親を失い、貧しくて、文字が読めない子だったのに、あることをきっかけに本を読み始める。本を盗まざるを得なかったのは、貧乏だったから。リーゼルは言葉を知ることによって、成長し、自立していった。言葉を自在に操るようになることは、パワーをもつことでもある。ヒトラーも言葉を自在に操ることのできる独裁者だったことを考えると、感慨深い。

  • ナレーターの「死神」をどう思う?

ナチスドイツ下で何が起きたのか、どれほどの犠牲者が出たのかは、みんな知っている。「死神」が「生きている人」の「死」をちらつかせながら話を進めていくので、悲惨なことが起きるとわかっていても、それを受け入れる心の準備ができるので助かった。それに死神はちょっと皮肉な冗談も言うので、気持ちを和らげてくれる。

  • リーゼルは誰と結婚したのか?

誰なのかはっきりしないけど、「マックスだと思う。マックスであってほしい」のマックス派と、「マックスだと陳腐すぎる」の反マックス派にきっぱり分かれた。ブッククラブだけでなく、オンラインの読書コミュニティでも意見が真っ二つに分かれて、プチ論争が起きている。ちなみに、映画でも真相はぼやかしてある。

  • 同じようなナチスドイツ下のドイツについて小説でお勧めは?

『The Boy in the Striped Pajamas』(邦訳:縞模様のパジャマの少年)

 

実は、私はブッククラブの日までに読みきれず、映画を見てしまいました。映画だとリーゼルがやたらと可愛らしくて身ぎれいで、里親のジェフリー・ラッシュとエミリー・ワトソンが薄汚い。その不自然さが最後まで気になって仕方がなかった。もともとが可愛らしい子役や美しい女優をきれいなまま、貧乏な設定に出すのはやめてほしいです。

勢いで『The Boy in the Striped Pajamas』も映画を見ましたが、こちらのほうが悲劇的。

 

夏の終り

北国に住むようになり、夏との関係が変わった。夏は、来るときは私を散々焦らし、去るときは置き手紙すら残さない。8月後半の晴れた日でも、ぱっと窓を開けると、「あ……. もういない」と直感的に感じる。

夏は虚しさを教えてくれる。今の私からは想像もつかないけど、子どもの頃は野球ファンで、プロも好きだったけど、夏の甲子園を観戦するのが好きだった。トーナメント戦の「負けたら終わり」に儚さや悔しさを教えてもらった。特に、第四試合とか遅めの試合が好きだった。試合の後に、バァーっと二階に駆け上がり、屋根に登って、夕焼けを見ながらこっぱずかしい詩を作って、ひとり泣いていた。「第四試合後の夕焼け、見たことある?」と、踏み絵的によく人に訊いていた(わかってくれる人とは親友になっていた)。

ある日、その詩が姉に見つかって「曲つけたるわ」と言われ、地獄の思いをしたのを覚えている。姉に作曲の才能があったわけではなく、でたらめに大声で歌われただけ。

誰かに「虫除けにタンスの引き出しには新聞をひくとよい」と聞き、新聞をひいておいた。実家に帰ったとき、引き出しを開けたら、新聞がスポーツ欄で、巨人の定岡が20勝を上げていた。あらためて読みふけってしまい、断捨離に新聞は禁物、ということを学んだ。

RES GESTAE POPULI ROMANI

RES GESTAE POPULI ROMANI

断捨離を決行し、カリフォルニアから引っ越したときのまんまの段ボール箱を開けてみたら、『ローマ人の物語』のハードカバー版が全巻揃って出てきた。塩野七生にとって長い長い道のりだったこの作品は、私にとってもいろんな意味で「歴史」だった。

1991年頃、 世界のタイルの本を読んでいて「イスタンブールに行ってみたい」と思い立った。まずは、京都のトルコ文化協会に行ってみた。「トルコについて学べる面白い本ありますか?」と訊いてみると、バックパッカーが書いた本を何冊か、そして「塩野七生もオスマン帝国を描いた小説書いてますよ」と『 コンスタンティノープルの陥落 』を勧めてくれた。これが、塩野七生との出会いだった。 インターネット以前の時代には、こんな悠長に情報を集めていたのかと思うと感慨深い。そして友達からも塩野作品を贈られたりして、どんどん読んだ。

塩野七生は最初、ローマ帝国が東西に分かれて崩壊した後の歴史をずっと小説にしていた。そこから「ローマ帝国のことを書かなくちゃ」ということで、『ローマ人の物語』 を書いた(と本人が言っていたような気がする)。

その間、私はトルコやイタリアに何回か行った(ローマの遺跡巡り)。パリのルーブル美術館に行っても古代ギリシャ・ローマのコーナーだけで一日つぶすぐらいの勢いだった。 今思い返してみると、トルコにはモスクワ経由か、シンガポール経由で行っていた。シンガポールで乗り換えるときはチャンギ空港で買い物して遊べるのに、モスクワ経由のときは、ソ連崩壊中だったので、空港に何もなくてショックだったのを覚えている。そして、私はチャンギ空港でラケットなどテニス用品を一式買い、トルコでテニスをして遊んで帰ってきたのだった。 でも、『ローマ人の物語』 を読み終わってしまうと、私も心の中で何かが完結してしまった。

今年はレオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年なので、それ関係の仕事を手に入れたい!と思い、久々に レオナルド・ダ・ヴィンチ が出てくる 塩野七生の小説をちらちらと読んでいた。やっぱり面白かった。でも仕事は来なかった……

Once Upon a Time in Hollywood (2回目)

2時間半以上ある長い映画だけど、また見に行った。2回見ても面白かった。

前回は、ディスカウントデーの火曜日にVIP席で満席状態で見た(自分で払った)。今回は、月曜日の夜遅い時間だったのに、ディスカウントデーよりVIP席が安かった(おごり)。そこそこの混み具合だった。何だろう、普通のチケットの値段とほぼ一緒だった。

同じコンサートを2日続けて行くと、客が違うから雰囲気も全然違うと友人が言っていたが、映画もそう。混み具合とか、客の反応ですごく変わる。

で、VIP席問題について。
VIPチケットを買う時点でプレミア価格を払っているが、さらにそこで飲み食いする場合、お給仕する人にチップを渡すべきなのか、チップを渡すとしていくら上乗せするのか、今悶々としている。いい格好シイのワタシは、結局レストランで払うチップと同じ割合で払っている。あそこで給仕してる人たちは客からのチップをちゃんと貰えているのだろうか。あと、給仕してる人が注文を取るためのタブレットとクレジットカードの読み取り機の両方を持って、両手がふさがっているのが解せない。 時間の問題だとは思うが、1つにまとめてあげたい。