ハチのムサシは死んだのさ

The Kiwiberry

またハチに刺された。その日、私は一歩も外出していない。網戸を開け放した窓から入ってきた模様。私は袖が複雑な形の服を着ていて、ハチはその袖の中にこっそりと侵入し、長い間潜んでいたらしい。

そしてバスルームに行ったとき、不意打ちにあった。2年前にも刺されたので、「今度はアナフィラキシーショックが起きるかもしれない…….」と狼狽えるも、ハチはまだ生きていたので、とりあえずバスルームのドアを締めきった。そして片手で「ハチに刺されたときの応急処置」と検索。←こういうときは、アレクサやシリに聞いたほうが速いと学習。

検索結果を読みながら、「今は忙しいからクリニックに行っている暇がない、気合で直したい」と非科学的になる。結局、大丈夫そうだったので、クリニックに行かずに済んだが。2年前、外出中に刺されたときは手が腫れ、その足でクリニックに行き、処方箋をもらった。今回はハチの種類が違うような気がする。2年前のはもっと黄色っぽかった。

バスルームの中にまだハチは潜んでいる。電気を消しておけば、夜っぽくて活動しないかも、と思って電気を消す。しかしバスルームに行かないわけにはいかない。根負けして、そうっと入ったが、やつはまだバスローブの影に息を潜めて隠れていた。どうにかして屋外に追い出したいが、へたに刺激してまた刺されたりしたら、それこそアナフィラキシーショックが起きるかもしれない。悩んだ末、包囲戦しかない、と決意。

午後10時、恐る恐るドアを開けると、やつは床にいた。死んでいるかどうかは私の視力では確認できない。私を刺したことで既に体力を消耗していたのだと思うけど、渾身の力を振り絞って最終攻撃を仕掛ける可能性がある。

午後11時、家人に紙で突いてもらい、死亡を確認。ゴミ箱に死骸を捨てず、トイレに流してもらい水葬。西城秀樹が脳梗塞を患ってから「命の大切さを知ったから、虫も殺せなくなった」と言っていたのを思い出しては、一日中悶々としていたが、私は直接手を下してはいないぞ、と自分に言い聞かせた。

さようなら、ハチ…….

以上「大阪冬の陣ー蜂の巻」でした。

The Book Thief

8月のブッククラブのお題は『The Book Thief』でした。邦題は『本泥棒』。映画化もされています。映画の邦題が『やさしい本泥棒』…… この本泥棒が「やさしい」かどうかは、見る人読む人に決めさせてほしいと思います。

内容は、第二次世界大戦下のドイツで迫害された人々の話ですが、ユダヤ人だけでなく、共産主義を信じたドイツ人、ナチスドイツに不満をもちながらも声を上げられなかった一般市民の話です。著者マーカス・ズーサックはオーストラリア人ですが、祖父母がドイツのミュンヘンで戦争を体験し、その体験を聞いて育ったので、これを書いたそうです。なんと、この小説のナレーターは「死神」――「死神」が「人間はいつかは死ぬが」と前置きしながら、死ぬまでの人間たちの人生を語るのです。600ページ以上ある分厚い本ですが、中高生向けです。歴史的背景の説明などはなく、文章は、頭の柔らかな中高生が飛びつくような軽いタッチで、クリエイティブで短めです。中高生向け、と言っても大人でも十分に手ごたえを感じる本です。

ブッククラブの参加者たちは「高校生ぐらいのときに読んだ」と言っている人が多かったです。

  • タイトルは「本泥棒」。主人公のリーゼルはなぜ本を盗むのか?

実の両親を失い、貧しくて、文字が読めない子だったのに、あることをきっかけに本を読み始める。本を盗まざるを得なかったのは、貧乏だったから。リーゼルは言葉を知ることによって、成長し、自立していった。言葉を自在に操るようになることは、パワーをもつことでもある。ヒトラーも言葉を自在に操ることのできる独裁者だったことを考えると、感慨深い。

  • ナレーターの「死神」をどう思う?

ナチスドイツ下で何が起きたのか、どれほどの犠牲者が出たのかは、みんな知っている。「死神」が「生きている人」の「死」をちらつかせながら話を進めていくので、悲惨なことが起きるとわかっていても、それを受け入れる心の準備ができるので助かった。それに死神はちょっと皮肉な冗談も言うので、気持ちを和らげてくれる。

  • リーゼルは誰と結婚したのか?

誰なのかはっきりしないけど、「マックスだと思う。マックスであってほしい」のマックス派と、「マックスだと陳腐すぎる」の反マックス派にきっぱり分かれた。ブッククラブだけでなく、オンラインの読書コミュニティでも意見が真っ二つに分かれて、プチ論争が起きている。ちなみに、映画でも真相はぼやかしてある。

  • 同じようなナチスドイツ下のドイツについて小説でお勧めは?

『The Boy in the Striped Pajamas』(邦訳:縞模様のパジャマの少年)

 

実は、私はブッククラブの日までに読みきれず、映画を見てしまいました。映画だとリーゼルがやたらと可愛らしくて身ぎれいで、里親のジェフリー・ラッシュとエミリー・ワトソンが薄汚い。その不自然さが最後まで気になって仕方がなかった。もともとが可愛らしい子役や美しい女優をきれいなまま、貧乏な設定に出すのはやめてほしいです。

勢いで『The Boy in the Striped Pajamas』も映画を見ましたが、こちらのほうが悲劇的。

 

Stocking up

先日、店じまいをするアメリコに連絡を取り、直接毛糸を買いに行った。話したいこともあったから。

なぜ急に店じまいするのか訊いてみた。それは、長い間頭をよぎる問題だったらしいが、ある日突然朝5時に目覚め、「やっぱり辞めよう」と思って、フェイスブックに投稿する文章をしたためるに至ったとのこと。要は、十分やりきった、と思ったわけで、重要な決断とは、そのようにして起きるものだとその話を聞いて思った。

この世の中に「正しい解」があると思い込んでいると、こういう決断はできない。「何が待っているのかわからないけど、次に進みたい」という意志のみがある。ポジティブで、いさぎよい! と思った。「次に何がしたいかわかっている」のと、「何がしたいかわかっていないけど、次に進みたい意志がある」のとでは、エネルギーのレベルがまったく違う。「次にやりたいことがわかっている」のは年寄りくさい。

Scarborough

今月のブッククラブのお題は『Scarborough』

Scarboroughは「スカーボロー」と読み、トロントの東端にある地区の名前。その中の貧しい地域にあるシェルターとコミュニティーセンターで子どもとその親たちが生活している。彼らは福祉の世話になっているという共通点だけでつながっていて、バックグラウンドはフィリピンやパキスタンからの移民、白人、先住民族と多種多様。いわゆる「移民文学」ではなく、カナダの富裕層がひしめく大都会トロントからは忘れられた人々に光をあてている。

著者はキャサリン・ヘルナンデス。肌の色は浅黒く、LGBTQで言うと「Q」に属す人。ストリートで使われる英語で書かれた、歯切れがよくてパンチのきいた文章は読みやすい。私は時々ライティングコーチに指導してもらっているが、そのコーチもキャサリン・ヘルナンデスと似たバックグラウンドを持っていて、「L」に属す人。実は二人は知り合いで、どちらも生まれてこの方「マジョリティ」に属したことなど一度もない人たちなのである。

『Scarborough』は2017年の刊行後、トロント市、オンタリオ州の文学賞候補になっている。地元ではわりと話題の1冊なのだ。ブッククラブの今月の参加者はあまりにも多く、2グループに分かれての話し合いになった。

それでは、どんなことを話し合ったのか。

  • 子どもの視点で書かれている

どの章も長めのブログの程度だし、各章の語り部が子どもたちになっている。どの家庭も実は大人は悲惨なのだが、「悲惨な状況」は子どもを通じて間接的に伝わってくる。救いようのない話も、子どもがひょっとしたら今の境遇から抜け出せるのではないか、と期待しながら読める。逆に言うと、大人たちの身の上に何が起きたのかは中途半端にしか知ることができないので、想像するしかない。

  • トロントの教育委員会とコミュニティーセンターの職員のメールのやり取りどう思う?

中央と現場の対立が、さもありなん、という感じで描き出されていて、すごく効果的だった。

  • スカーボローに行ったことがない

ブッククラブ参加者は基本みんなダウンタウンに住んでいる。そう遠くはないけれど、ダウンタウンからはスカーボローには用がなければ行かない。それでも、スカーボローってこんな感じだよね、と伝わってくる。著者がスカーボロー出身だから。

が、登場人物の中に、自分を重ねられる人物はいるか、との質問には、全員が「ノー」と答えていた。地理的に離れているだけではなくて、余暇に読書できる環境が持ててブッククラブにまで来る人たちから見ると「遠い別世界」なのだと思う。

  • タガログ語が容赦なく出てくるけど、どう思う?

英語とタガログを混ぜながら話しているところにフィリピンからの移民らしさが出ている。馴染みのない外国語や外国の文化をいちいち説明しないのも「これが移民ってもんだ」という感じが出ていていい、との意見が多かった。

  • 最後の章をどう思う?

意見が真っ二つに分かれ、半数以上が混乱したとか、納得しなかったとか言っていた。「死後の世界の存在」を許容できるかできないか、そんな価値観も関係しているのかも。私は肯定派。今後この本を読んでみたい人のために、これ以上は言わないでおきます。

  • この本を人に勧める?

お勧めすると言っている人がほとんどだった。ただ、ガチガチの自己責任論者には読んでも響かないのでは…… あとトロントに来て間もない日本人が読むと、スカーボローに対して恐怖心を植え付けられてしまいそう。たとえば、パリに憧れる人がパリについて書かれた本を読んでみたいと思ったとき、まずは「美しいパリ」を想起させる本を選ぶと思う。パリ在住歴が長く、パリにも貧困地区があることをよく知っている人なら、もっと違う本を読むはず。『Scarborough』もそれと同じ。トロント在住歴が長い人にお勧めしたい。

私は、恵まれた自分とのギャップに衝撃を受け、やるせない気持ちになったし、悲しみの涙と感動の涙で目頭が熱くなることもあった。あっという間に読めてしまうのもいい。

Memoirs of a Geisha

ブッククラブの今月のお題は『Memoirs of a Geisha』

20年ぐらい前に読んだけれど、今更読み直したいわけでもなかったので、記憶が曖昧なまま参加。驚いたことに、参加者がいつもより多く、40人はいたと思う。昭和の戦前から戦後にかけて、貧しい漁村から売られて祇園で芸者になった女性の話なのだけど、2019年の時点で20代半ばから30代半ばの女性に何か響くものがある本なのだろうか……「読み始めたら止まらなくなった」と言っている人も多かった。

  • 文化の盗用(Cultural Appropriation)

私の予想に反して、参加者たちは(女性のみのクラブです)、「京都の花街」という特殊な世界で生き、「処女の売買」がお約束の職業に就いた女性の境遇に対して理解があった。それだけでなく、この小説がアメリカの白人男性によって書かれていることの意味も理解していた。彼女たちは、小説を読むことにかけては「スーパー読者」なのであった。私が「白人男性が書いた芸者の話だし」と否定的に思っていることも、「それはそれ」と受け入れている。近年、たとえば「白人なのに黒人の話を書くな」のような「文化の盗用(Cultural Appropriation)」が取り沙汰されることが多く、食傷気味になっている人も多いので、その反動なのかもしれない。日本でオール日本人キャストの「レ・ミゼラブル」のミュージカルを「文化の盗用」と思うか、「それはそれ」と思うかの違いだろう。

  • 自分の人生を選ぶ

この小説について、参加者の彼女たちにとって一番気になった点は、主人公がいつ「自分の人生を選択するのか」だった。貧困や置屋生活など、自分で自分の人生を選択することが困難な状況が長く続き、「流れに身を任せる」しかなかった女性に、どこかで「自分の人生を選んでほしい」という期待があるのだった。だから、「旦那」といつまでも縁が続くことに疑問を感じているようだった。その一方で、仮に「置屋から逃げて、貧しい漁村に帰って、地元男性と結婚したとしたら、主人公は幸せだっただろうか?」の質問に、「いや、それはないよ。花街で芸者になって、旦那に海外で店をもたせてもらうという人生でよかったし」と、運命に逆らわなかった主人公の人生を肯定する意見もあった。「自分で自分の人生を選択」しても、その結果として成功あるいは安定が得られるかはわからない、ということなのだ。

  • トゥルー・ラブ

最後に誰かが、「トゥルー・ラブって、カルチャーが違うとやっぱり違うのかな?」と疑問を投げかけた。「トゥルー・ラブ」と聞くと、反射的にディズニー的なものを想像してしまう。その時点まで私はずっと黙っていたが、日本人だし、ここで何か言ったほうがいいのかな、と次のようなことを述べた。

「戦前の日本は、自由な恋愛をして結婚する社会ではなかった。食いっぱぐれないようにとか家族の繁栄のためにとか、そんな理由で結婚していた。でもそのおかげで貧乏から救われ、相手に半永久的な感謝の気持ちを抱いたとしたら、それをラブと呼べるケースもあるかもしれない」と言ってみた。処女で結婚して、その男性と床を共にすることで、そこから始まる「愛」もあると思うし、散々とっかえひっかえ相手を試していれば、その中から一番を選べるのではないかというアプローチもある。そのあたりについてブッククラブでちょっと話したい気がしたけど、さすがに聞けなかった。