David Sedaris’ Book Tour – Calypso

David Sedaris が新刊『Calypso』を出し、ブックツアーの一環でトロントにもやって来た。

彼はアメリカの公営ラジオから出てきた人で、今でもラジオにはよく出演する。ラジオ向きの声をしている。その頃から彼の話が好きだった。今はイギリスに住んでいる。本人曰く強迫性障害の傾向があって、何か気に懸かることがあるとそれが頭から離れない。ここ何年かはゴミを拾わずにはいられず、晩御飯を食べた後、ゴミ袋とゴミバサミをもって、道端でゴミを拾っているらしい。イギリスではゴミ拾いのおじさんとしてニュースになっていた。

サイン会では、ニューヨーカーに掲載された東京が舞台の話を朗読してくれた。東京で姉妹と一緒に、恵比寿のKAPITALと、銀座のコムデギャルソンで、斬新すぎる洋服を買い物しまくる話。あまりにも面白くて、私も何回も読んだことがある。会場は笑いの渦。『Theft By Finding』からいくつか古いダイアリーも朗読。こんなに楽しいサイン会はないね。

残念ながら時間が足りなくてサインはもらえなかった。でもいい。本人に会えただけで十分。

ニューヨーカーに掲載されたストーリーはこちら

The Quiet American

この間、トロントのブッククラブで読んだ本。

男女の三角関係のようでありながら、青くて理想に燃えるアメリカ、老獪なヨーロッパ、その間で翻弄されるベトナムにかけてある。でも実は、当のベトナム人女性はそんなに翻弄されてはいない。愛よりもまず生活の安定 — 自分を正式に妻にしてくれて、経済力もあって、将来性もあるほうの男を求めている。そして、アメリカ人とイギリス人の男たちも、なんだかんだといって、彼らが生きている時代に思い切り翻弄されている。なんたって1950年代の話。けれど、男女の駆け引きは女のほうもうまい。大人の男と女の匂いがムンムン。

当然ブッククラブでは、この女性キャラクターが話題になった。ストーリーの中ではうっすらとした存在感しかなく、なにゆえ2人の男が奪い合っているのかは判然としない。「色がない(個性がない)」「振り回されすぎ」の意見から始まり、結局は「自分が何が欲しいかを前面に押し出して言わないけれど、欲しいものは手に入れている。存在感がないようで、実はある」で落ち着いた。女ばかりのブッククラブなので女性キャラクターにはみなうるさい。

ストーリーに漲る「矛盾」についてもひとしきり話題になった。タイトルそのものが矛盾している。アメリカ人はステレオタイプ的に「おとなしく」ない。この本の中に出てくるベトナムのキリスト教と仏教と土着の精神が融合したような教会(お寺?)のシーンも「一体何の宗教?」と西洋人には不思議である。結局は、矛盾に満ちた世の中に生きる矛盾だらけの人たちの精神バランスのとり方が絶妙だから、古典作品というわけなのかも。

比較的短いからさっと読める。アメリカが泥沼に入る前のベトナム戦争初期の知識があったほうがいいに越したことはない。それは適当にウィキペディアで拾って、地図を見ながら読むと、もっと楽しめる。イギリス人男性とベトナム人女性は仏語ができるので、仏語のフレーズも割りと頻繁に出てくるが、その辺は疎外感を味わいながら読むのもよし、多少の知恵を働かせて意味を想像するもよし、グーグル翻訳に頼むのもよし、である。

このブッククラブには20人ぐらい人が来て、いつも古典を読んでいるようである。そのほうが図書館で本を借りられ、安く上げたい人には都合がいい。

The Vegetarian

邦題は「菜食主義者」

2016年国際マンブッカー賞を受賞して話題になったけれど、イギリスの文学賞だから作品は英訳されないと候補にならない。個人的には、この訳者はかなりの短期間で韓国語を習得したというのも驚きだったし、賞金は原作者と翻訳者が折半というのも興味を引いた。

その後、この英訳が物議を醸していた。英語と韓国語ができるバイリンガルな韓国人たちから「意訳しすぎで、不正確だ!」「寡黙な小説が饒舌になっている」という反論。それがニュースになり、この若い英訳者がカナダのラジオ番組で弁明していた。自分の訳に間違いはあるけれど、翻訳に正解は1つ、はありえない、と堂々たる釈明だった。かっこよかった。

ニューヨーカーにも「The Vegetarian」の英訳にまつわる意見の違いの全容が取り上げられていた(記事はこちら)。

私もこの作品は英語で読んだ。韓国語を知らないので、この英訳はとてもよかったと思っている。何より、こんなに原作者のハン・ガンが英語圏で有名になり、ほかの作品も訳されて、御の字じゃないかしら、と思ったりする。