カナダにゆかりのある翻訳者さん募集中

ツイッターに二度投稿した結果、「主旨」を説明する必要があることに気づいたので、ここに書きます。

カナダの書き手を日本語で紹介するグループを作ろうと思っています。原書は英語でも仏語でも構わないので、英訳者、仏訳者どちらでもいいですし、逆に和訳をしているカナダ人も参加できるようなものにしたいです。イメージとしては、北欧言語の翻訳者グループさんの活動です。

具体的にいうと目標はこんなかんじです。これに限らずですが。

1)SNS、ウェブサイトなどでカナダ発の書籍を紹介し合う(クラブハウスやポッドキャスト的なものも含め)。

2)カナダ作品を読んでくれる人を開拓する。

3)カナダの文化的背景も説明する。ついでにライフスタイルなんかも紹介する。

4)オンラインの読書会的なものもやってみる。

5)ゆくゆくは、カナダの本を出版社に持ち込めるようなイベントを開く。

カナダに住んでいる、昔住んだことがある、カナダが好きなどなど、何らかの形でカナダと関わりを持っている、持ちたいという翻訳者さんで、「面白い!」と思ってもらえる方に呼び掛けています。まずはオンラインで活動してみたいので、どこに住んでいてもかまいません。

私もいくつかアイデアはありますが、自分のアイデアがよいとは限らないし、そもそも限界があるので、何人かで一緒に活動したいです。「箱」を作って、そこで各々が好きなことを企画してやる、でもその宣伝はみんなで手伝う、みたいな感じがいいかなと思っています。

なんでカナダ? と思う人もいるかもしれません。カナダで執筆している人たちは売れるとアメリカやフランスの大手出版社から本を出すようになりますが、やっぱりアメリカとは違う視点を持っているんじゃないかと思います。アメリカに何事かが起きると、カナダにアメリカ人がどっと移住してきたり(ベトナム戦争時やトランプ政権発足後など)、アメリカに移住しようと思ったけれどそれがかなわずにカナダに移住したり。本当はカナダのフランス語文化圏に住んでいるのにあえて英語で執筆していたり。カナダの先住民や宗教的マイノリティの中にもすばらしい書き手はいるのに、国内だけで売れていたり。そういうものを紹介してみて、世の中がどう反応するのか見てみたい。あるいは、同じ北国のくくりで、テーマを決めて北欧言語の書き手と比べてみたい。あるいは、同じように北国だけれど帝国的な匂いを放つ大国ロシアと比べてみたい、などなど。ウルヴァリンもカナダ人設定ですしね。

書籍はフィクションでもノンフィクションでも、グラフィックノベルでもいいと思います。ジャンルも今は何でもありで。

もしかしたら、「翻訳者」でくくってしまわないほうがいいのかもしれないです。海外文学のスーパー読者さんも招いたほうが幅や深みが出るかもしれません。

今は何もかもが流動的です。好きなように作れるチャンスかも!?

興味のある方、質問のある方は、是非私まで連絡をください(ツイッターのDMが一番いいです)。それではお待ちしてます!

白鯨 モービィ・ディック(4)

 

『白鯨 モービィ・ディック』をとうとう読み終えました。時間のあるときにちびちびと読み、内容を忘れないようツイートしながら読んだので、間が空いても内容をよく覚えていました。

遂にピークオッド号がジャパン沖に達し、赤道付近へと南下していき、モーヴィ・ディックと対決します。対決の3日間は克明に描かれています。ここに至るまでに、私は散々捕鯨の道具や船の作りや漕ぎ手たちの役割について読まされてきたのですから、白鯨との死闘の場面は感動というかすさまじい勢いでページをめくりました。狂ったエイハブ船長がさらに狂い、船員たちも「決死の覚悟」で船を漕ぐので、最後はもう全員の瞳孔が開きっぱなしだったのだと思います。

19世紀といえば、イギリスやフランスなどヨーロッパの列強が先端の海洋技術を駆使して覇権を争っていた時代。最先端の海洋技術を取り入れ損ねたオスマントルコなどが没落していった時代でもあります。パトリック・オブライアンの『マスター・アンド・コマンダー』の世界ですよね。『白鯨』もそういう時代に出版された本なので、鯨船や帆船の細やかな描写は、それだけで当時の読者をわくわくさせたのかもしれません。そのとき日本は鎖国していて、まだペリーが浦賀に来ていなかった。

ロンドンに3カ月滞在していたとき通ったニットクラブには、若いアメリカ人女性がよく来ていました。「なんでロンドンにいるの?」と訊いたら、「19世紀の海軍の歴史を研究していて、大英博物館の資料を読みに来ている」と言っていました。私もお金の心配をしなくてよいなら、そういうことを勉強したい。

あと、この講談社文芸文庫版には、ロックウェル・ケントというアメリカのイラストレーターの挿絵がたくさん使われています。このイラストを復刻させて売っている人もいるくらい、モーヴィ・ディックのイラストも有名です。岩波文庫版も同じ挿絵使ってるのかな?

A Man of a Small Calibre

カナダではワクチン接種が進んで新型コロナウィルスの新規感染者が激減し、経済再開が進んでいます。しかし、デルタ株が増えてきている……。

そんなわけで、お店の中に入るにはまだまだ必ずマスクをしなくてはならないのですが、夏になってマスクで顔を覆うのがつらいのと経済再開の喜びから、マスク着用を嫌がる人もいます。先日、マスクをしていないおじさんがスーパーマーケットへの入店を拒否され、店頭でごねていました。若い店員さんが気の毒でした。

揉めている間、後ろで待たされた私は「器の小さい男だな」と心の中でつぶやきました。このような状況で男性に対しては「XXが小さい」という表現がよく使われます。文化的に「男たるもの大きくあれ!」と求められるのですね。しかし、女性とて同じです。

そこで、「A man/woman of a small calibre」という表現を紹介しましょう。Calibreは「器量」の意味です。

英語を学びはじめたばかりの頃は、ポジティブな表現や謙遜の表現をまず学び、ちょっとむかついたときなどに言いたい言葉は後回しになります。「I’m angry」と言いながら地団駄を踏むくらいしかできません。しかし、それは語学学習におけるサバイバルスキルなのです。幼児が母語を学ぶ場合と同じです。まずは「ママ、ママ!」と可愛い言葉を発し、「このババア!」と言えるようになるのは、自分の足で走って逃げる能力を体得してからです。語学学習でも、人をけなす表現を学ぶのは、外国語である程度自己弁護できるようになってから。そこに行き着くまでは、腕力に頼るか、我慢するかの二択です。英語学習、がんばりましょう!

Calypso

積読状態だったのをやっと読みました。相変わらず面白かったですが、 デイヴィッド・セダリスも年を重ねているのだなと思うような話が多かったです。家族のことがいろいろと書いてあり、日本のこともわりと登場します。特に「The Perfect Fit」は、デイヴィッド・セダリスがきょうだいと東京へ遊びに行き、恵比寿、銀座、青山、渋谷で変わった洋服を買いまくる話です。このエッセイはニューヨーカーにも掲載されたので、読んだ人も多いのでは。彼は日本で買った変わった洋服を着て、様々なイベントに登壇します。私が参加したトロントのイベントでも、東京で買った男性用キュロットをはいていました。実は私も日本に行くと不思議な洋服を買ってしまうので、Dover Street Market で買ったギャルソンの服を着てイベントに出かけました。「私もですよ!」と本人に話しかけるためにです。『Calypso』は、このときに買いました。

残念ながら、デイヴィッド・セダリスは見知らぬ読者とでも長々と話をしながらサインをするので、私は時間切れでサインをもらうことも、話しかけることもできませんでした。彼がこういうイベントでどれくらい読者としゃべるのかは、この本を読めばわかります。

たとえば、この本のタイトルにもなっている「Calypso」というエッセイ。あるとき、デイヴィッド・セダリスの顔に脂肪腫ができ、それを切除することになったのですが、彼は切除した脂肪腫をノースカロライナ州に棲む、ある「スッポン」に食べさせようと考えます。しかしアメリカでは、医者が手術で患者の体から切除したものを患者に渡すことは法律で禁じられています。「どうしてもスッポンに食べさせたい」と諦められないデイヴィッドは、あるブックイベントでその話を披露したところ、そこにいた読者の一人に脂肪腫を切除してもらい、とった脂肪腫を冷凍便で送ってもらう話を付けます。その結末は、この本を是非読んでもらいたいです。抱腹絶倒です。

デイヴィッド・セダリスはダークなユーモアあふれる書き手なのと、本読みも上手なので、オーディオブックをお勧めしたいです。『Calypso』のオーディオブックは、ライブの読書会を収録したものがいくつか入っていて、観衆の笑いにひきずられてライブ感を楽しめます。

デイヴィッド・セダリスの本は一部日本語訳が出ているのですね。訳すのがとても大変だったのじゃないかと……

The Staircase

今ネットフリックスで配信されている『The Staircase』が、HBO MAXで新たにドラマ化されるらしい。キャストが豪華なのでこちらでは比較的大きな芸能ニュースになっています。

小説家マイケル・ピーターソンの妻が階段から転げ落ちたかのように死んでいた。事故なのか、それとも他殺なのか。やがて裁判が始まり、マイケルの有罪が確定する。ところがいろいろなことが発覚し、再審を求めるが…… というあらすじ。

結局のところ「真実」はわからない。もしかしたらマイケルは無罪だったのかもしれないし、二重人格的な「心の闇」を抱えている人なのかもしれない。いずれにしても、彼はお金のある白人男性で、自分の財産をつぎ込んでどこまでも戦う姿勢を見せます。視聴者はあの「O.J.シンプソンの裁判」なみのすごさを体験すると同時に、警察への不信感も募らせてしまいます。

そういうドラマチックな部分もすごいのですが、このドキュメンタリーでは、アメリカの司法制度における判決確定後の様々な救済措置や法取引が実に細かく描かれているのです。聞いたこともない法律用語がでてくるし、有罪を言い渡された人がどのタイミングでどういう手を打つことができるのかを学ぶことができます。でもやっぱり、お金がないと判決を覆すのは難しい。

アメリカは陪審員制度を採用しているので、評決の際には陪審員全員の意見が一致しなければなりません。どういう証拠が陪審員の意見を動かすのかも見どころです。

裁判が行なわれたのはアメリカ南部のノースカロライナ州。したがって、南部の訛りのある英語がバンバンでてくるし、2000年代前半当時の南部でのマイノリティに対する差別意識を垣間見ることもできます。でも、製作はフランスのテレビ局なんですよね。

このドキュメンタリーを見て他人の不幸を「消費」してしまった私が言うのもなんですが、遺族の中でも意見はきっぱりわかれていて、有罪か無罪かの瀬戸際に立つ本人よりも、私は遺族が気の毒でなりませんでした。本人が本当に無罪であるなら、いちばんシャレにならないのはマイケル・ピーターソンなんですけどね。

しかし、True Crimeの見すぎです。『Cruella』が公開されたので、まずは101匹わんちゃんの古いアニメや実写版を復習して気分転換中。