旅する練習

わぁ、書評講座の課題書が『旅する練習』だったので、つい最近読んだばっかり! 三島由紀夫賞受賞おめでとうございます。すごくよかったですよ、この小説。

で、書評講座はこれから始まるところなのですが、「Before and After」ということで、講評前の、私が書いた「書評」をこのブログにさらしておきましょう。書評を書くときのルールなどは知らない状態で書いたので、「もしもこの小説についてブログを書くとしたら」と想定して書きました。

プロが書いた『旅する練習』の書評は出ていて、たとえば、毎日新聞に鴻巣友季子さんのものがあります。私のなんか読みたくない人は、そちらをどうぞ。


 あなたは「旅」や「練習」と聞いて何を思い浮かべますか。「練習」というと、なにやら、努力や忍耐が必要なものに聞こえませんか。
 この小説では、亜美と書いて「あび」と読む名の少女が、「にいちゃん」と呼ぶおじさんとふたりで、ある目的を果たすために、手賀沼から鹿島に向かって利根川沿いを歩きます。亜美は小学校を卒業したばかりのサッカー少女。一方のおじさんは小説家。したがって、亜美はサッカーボールでドリブルしながら、おじさんは風景を文章で描写しながら、六日間の旅をします。
 ふたりが出発したのは二〇二〇年三月九日のこと。WHOがパンデミック宣言をしたのは三月一一日で、東京などで緊急事態宣言が出るのはその約一カ月後です。つまり、まったく先が読めないタイミングで、ふたりの旅は始まり、終わるのです。
「今度中学生になる女の子が成長する話でしょ」と早合点してはいけません。利根川河口までの徒歩の旅は、小説家のおじさんの趣味により、瀧井考作、田山花袋、柳田國男、小島信夫、安岡章太郎らの文豪が書き残した小説に触れ、数々の鳥や草木に出会い、名もなき先人たちが残した信仰の跡や碑を訪ねます。そして、「みどりさん」という女性と出会い、回り道もします。
 みどりさんは、誰かのために何かをしてあげられる人です。逆に言うと、自分のために何かをすることができずにいる人。そんなみどりさんの傍らを歩く、中学進学を目の前にした亜美は、自分がやりたいことを見つけ、それをだけを考え、それに向かって生きていくつもりでいることに何の疑問も持ちません。
 ところが、三人がのどかな田園風景の中を旅する間に、コロナ蔓延は刻々と深刻さを増してきて、ますます先の見えない状況になっていきます。
 三人の旅は、あちこちで支流が合流する利根川の流れそのもので、河口に達したときに終わりを迎えます。小説家のおじさんによれば、利根川河口にある鹿島神宮は「鹿島立ち」といって、旅の祈願をする場所なのだそうです。終点だと思った場所が実は始点だったというわけです。
 亜美、みどりさん、そしておじさんの三人はそれぞれに約束をして、ひとまずは、六日間の旅を終えます。でも、話はそこでは終わらないのです。

My Anna Madrigal

2021年5月1日。私の大好きな「人」が亡くなりました。亡くなったのはオリンピア・デュカキスですけど。私の愛読書『Tales of the City』(ドラマ化、映画化もされている)の主人公のひとり、アナ・マドリガルを演じていたのがオリンピア・デュカキスだったのです。邦題は『メリー・アン・シングルトン物語』です。

アナ・マドリガルは、サンフランシスコのロシアンヒルにある、28 Barbary Laneという架空の場所にあるアパートの大家で、男性から女性へ性転換をした人です。アパートの大家になる前は、書店をやっていたので、とても文化的で洗練されています。トランスジェンダーとして先陣を切って性転換をし、いろんな苦難をひとり孤独に乗り越えていった経験があり、人の心の痛みがよくわかるから余計な口出しはしません。男性として家庭を持っていたけれど、その家族を棄てて女性になり、差別されながらも女性として男性といろいろな恋に落ちた経験のあるアナ・マドリガルは、「何にも反対しない」のです。

アナ・マドリガルのアパートにはいろんな問題を抱えた人々がやって来ます。その一人が、メリー・アン・シングルトン。彼女は性的マイノリティではないし、中西部出身の白人女性とメインストリームの人なのですが、自分探しにサンフランシスコに来て、28 Barbary Laneに居着いてしまう。なんたってマイノリティの心情など今まで考えたことがないような「善人」のメリー・アンなので、よかれと思ってやることがいつも裏目に出る。でも、アナ・マドリガルはそんなメリー・アンのよさを見抜いているのです。三重県からサンフランシスコにやってきた私は、映画版 『Tales of the City』 を観て自分とメリー・アンを重ねてしまい、「いつもアナ・マドリガルが私のことを気に掛けてくれている」と勝手に思い込んだのでした。ちなみに、私が生まれた町はアメリカ中西部のある町と姉妹都市なので、多分、文化的に似ているところがたくさんあるのでしょう。

『Tales of the City』 の中で、アナ・マドリガルは自分が丹精込めて作ったアパートの庭で、星を眺めながら静かに死んでいきました。

ギリシャ系アメリカ人のオリンピア・デュカキスは、ギリシャの文化とアメリカの文化に挟まれ、どっちにも馴染めずに苦労したそうです。それに、あのギリシャ彫刻っぽいしっかりとした鼻梁。アナ・マドリガル役に抜擢される要素をたくさん持っていました。 5月1日の朝、オリンピアも静かに平和に死んでいったようで、何よりです。

ネットフリックスで配信されている、新しいほうのドラマは古いドラマの同窓会仕立てになっているのと、話がちょっと小難しい感じになっています。1993年版の映画か、古いほうのドラマシリーズがエンタメ要素が強いのでお勧めです。

This will go with me to my grave

大変長い間が開いてしまいましたが、きくたまの動画を作りました。間が開いたのは本業のせいです。

動画編集ソフトを長らく使っていなかったので、アップデートがあったり、サササっと編集するコツをすっかり忘れており、時間がかかりました。本格的なポッドキャスターやブロガーたちがよく、「時間を決めて毎日更新しろ」と言うのがわかる気がします。

あまりに久しぶりなので、私の動画編集ソフトで使えるエフェクトや効果音、音楽などが増えており、「ほう、こんなものもあるんだね」と使いもしないものをクリックしては眺めておりました。

基本コンセプトとして、英語学習とぬいぐるみとミニチュアは外せないのですが、1分も満たない動画にやたらと手間暇かけて作っています。最近、こういう動画づくりについて助言してくれる人々がいることを知り、なんか目から鱗が落ちるようなことを教えてくれるなら、と変な期待を抱いて、連絡しようか迷っています。最初は無料コンサルで、「おおっ!」と前のめりになった段階で有料になるのだと思いますが。

まったくの独習で、手探りで知ってる機能だけを使って、このまま突っ切るべきか、プロっぽくしてみるべきか、自分でもわかりません。わかっているのは、ほんの数人、ファンが存在することだけ。

This will go with me to my grave は秘密を「墓場まで持っていく」という意味です。

Nomadland

先週のアカデミー賞授賞式は、ツイッターで追いながら、友達とチャットするという形で参加しました。ノミネートされている作品のうち半分も見ていなかったし、なんといっても、どの映画も映画館で誰かと一緒に見なかったというだけで盛り下がること甚だしかったです。ちなみに私は、『Promising Young Woman』と『Pieces of a Woman』推しでした。どっちも女の人が共感しやすい内容です。

アカデミー賞授賞式の翌週、『Ammonite』と『Portrait of a Lady on Fire』についてクラブハウスで語り合いました。そのときに、オスカーにノミネートされていた他の映画が話題になって、『Nomadland(ノマドランド)』 を見ました。フランシス・マクドーマンドが 「できるだけ大きな画面で見てね」と言っていたのがわかる気がします。

あの映画で描かれているノマド暮らし、しがらみのない生活をどう見るかは、意見の分かれるところですが、私は「絶対に無理派」です。決定打は、「誰の世話にもならないんだから、排泄物の処理も自分でやらなきゃね」とおばさんが巨大なバケツを持って説明しているシーンでした。むしろ、「そっか、そういうことは行政が税金でやってくれている」と改めて気づかされました。自らあの生活を望んだ人々は、ハイジの「おんじ」と同じ精神を共有しているのかもしれません。おんじの暮らしはアニメだからこその美化があって、私は喜んで見ていましたが、あれが実写だったとしたらどうだろう…… と思ってしまうのです。私は逆に、仙人のような生活や、コミューンやキャンプ生活で強いられる諸々のことが苦手なのです。

イタリアのヴィットリオ・デ・セータという人が作った短いドキュメンタリーが大好きなのですが、そのドキュメンタリーの題材になっている1950年代のイタリアの農民や漁師、羊飼いの生活と、ノマドランドの人々の生活はかなり似ている気がしました。ヴィットリオ・デ・セータの短編ドキュメンタリーを「詩」と捉えるなら、『ノマドランド』は「小説」かな。あの映画のノマド暮らしをする人の中には、自分の意志であの生活を選んだ人もいれば、何かをきっかけに転落してあそこに行き着いた人がいて、農民や漁師、羊飼いとはわけが違い、何かしらの物語があるわけです。

書評の書き方講座

最近、翻訳業界の諸々について調べているうちに、書評に興味を持つようになり、 日本語あるいは英語で書かれた書評をあれこれと読んでいました。書評ばっかり読んでいると、やっぱりすばらしいものとそうでないものがあることに気づく。プロの書評家さんたちからも、書き方ではないけれど、諸事情を教わりました。

出版翻訳者として書評の副業はありだと思います。第三者的な目で読むことに慣れているから。副業にしなくても、翻訳にまつわる仕事(ブックレジュメの書き方など)に大いに役立つと思う。でも、勉強する機会が海外にいるとなかなかない…… できれば、翻訳者に特化した書評講座があったらな……

一般者向けのようですが、うまい具合にZoomの書評講座を見つけたので、書評の書き方を勉強することにしました。講師は豊崎由美さん。最高じゃないですか!! 実は、コロナ禍の中で時間を捻出して勉強する友人知人が周囲に増えていて、私も何かやろうと思っていたところでした。本のレジュメをもっと魅力的に書けるようになりたいし(悪くはないレジュメを書いていたとは思うけど、自分の能力を客観的には判断できない)。

たった一回の講座ですが、受講日までに本を一冊読んで書評を書くのが宿題。先着10名分しか講評してもらえないという決まりもある。これは絶対に講評してもらわねば! と電子書籍を慌てて買い、メモをとりながら猛スピードで読み、ざざざっと書評をかき上げました。ギリギリ間に合った!!

お題には、和書と訳書の選択肢があり、訳書を選びたかったのですが、そちらは電子書籍ではなかったので、残念ながら時間内に手に入れるすべがありませんでした。

講評してもらったら、このブログに掲載してみようかな、ビフォアフター形式で。ハハハ…… どうなることやら。